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居場所を愛して広げていくこと

ブランチ。最近、1人で深く自分の中に潜ることがおおくて。

気がついたのは、私は人の中にいることがやっぱり大好きで、円状の繋がりの中にいたいということ。
居場所が何よりも私のエネルギーであり、癒しであり、大切なもの。

私はめちゃくちゃ寂しがりやで、人との深いつながりを必要とする人なんだけど、20代はそれが叶わなかった。
愛着障害があってこの寂しがりが依存になり、恋愛関係にも支障をきたして全くまともなパートナーシップを築くことができなかったし、家族や友人との関係性も希薄だった。

深い関わりが欲しいのに、傷つくのが怖くて人に近寄れなかったんだよね。
よく仕事帰りに『なんで私はこんなに孤独なんだろう?誰からも愛してもらえないならなんで生きてるんだろう?』って泣きそうになりながら夜道を歩いてました。

でもそんな自分を変えたいと思って動き始めた27歳。
そこから自分を改革して改革して、今気がついたら家族は仲良し、私のいちばんの理解者で大好きなパートナーもいる、大好きな友人や仲間たちもいる、職場も超アットホームで、なんでも話せるし家族みたい。

20代の頃の私が今の事態に直面していたら、いったいどうなっていただろうと思う。
寂しくて怖くて心細くて、悲しくて仕方なかっただろうな。

私は猪突猛進型だから、思い込んだら一直線。
行動力もあるんだけど、一歩間違えるとあらぬ方向にまっすぐ進んでしまう。

今年に入って新たなチャレンジをしたけど、結果、そもそものチャレンジの動機が『不安、恐れ』だったからものすごく『そうじゃない』方に進んでしまった。
違和感バンバン感じていたのに、『でもこれをやめたらこうなってしまう』みたいな強迫観念に駆られて手放せなかった。

危うく本当に大切なものを失うところだった。

どの『想い』を出発点として行動しているのかによって、結果が全然変わる。
元々はあまりジャッジがなく、『みんなそれぞれの感性で生きてるからそれでいいんじゃない、人生みんな頑張ってるよね、私はそれでもあなたが好き』って言えていたのに、出発点を間違えて【これをやらなきゃこうなっちゃう】と強迫観念に背中を押されて頑張り始めたら、私は途端に周りの粗探しをし始めた。

やっとやっと、『あ、違う、これ以上進んじゃいけない』って思えて、その日から頑張ってたアレコレをぜーーーーーんぶやめたら、粗探しばかりして不満を感じていた私の居場所がキラキラ輝き出したんだ。

どんな状態の私でも、受け入れてくれて、見守ってくれて、守ってくれている人たち。

それはこの世の何よりも尊くて、私が生まれてから今までずっとずっと『ほしい』と渇望してきたもので、そして私がやるべきことはその居場所を、大切な人たちを、守るために、笑顔にするために、大切にするために生きることなのだ。

ないものを追いかけるのではなくて、あるものを守るために生きること。
そのためにも、自分自身をまず自分で大切に守ること。

『この人面白いなー!』って思う人に会いにいくの得意分野なんだけど、コロナが収束したら、これからもやり続けよう。
いろんな人に会って、繋がって、繋げて、私から円状にご縁が広がっていったらいい。

なんかそういう生き方しようって、それが私なんだなって思うんだ。

今までの生き方で間違ってなかったね^^

【大好き】【楽しそう】【素敵】【やってみたい】が原動力な私でよかったんだ。
そして、応援したいと思うところにお金を使おう。

必要なものは、もう持っているね。

もぐもぐ。