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ファンタジー小説への愛情【タラ・ダンカン】

こんにちは。香月です。
私の好きなものをひたすらに語るシリーズ、「〇〇への愛情」。
今回は、ファンタジー小説への愛情です。

本と私

私は物心ついたときから本に魅力されていた。
きっかけなんて覚えていない。
まあ幼稚園の頃には絵本を人並みには読んでいたみたいだし、両親は欲しいものを出来るだけ与えてくれる人たちだった。
しかし家族の中にいわゆる読書家は存在しないし、ゆえに家に小説の類が沢山あったという訳ではない。
でも、事実私は本の世界に溺れている。

もしかしたら理由もきっかけも関係なく、何かしらのご縁と運命があって、私は本と出会ったのだろう。

読書が加速した原因

そうして気付けば本を読むようになった私は、小学校へ入学した。
入学式から日を置かず、すぐに学校案内のオリエンテーションがあった。
6年生の優しいお姉さんと手を繋いで、あれこれ教えて貰いながら学校をぐるりと回っていたとき。
2階の一室には本が壁全面にある部屋があった。
きっと読んでくださっている貴方は、もうお気付きのことだろうが。
そう、そこは図書室だ。

衝撃だった。
本に囲まれた夢のような一室の存在を、ちいさな私はその時に初めて知ったのだった。

図書室という沢山の本を読める環境を手にした私は、寝食を忘れる勢いで読書に没頭した。
年間の貸出記録は生徒に通知されるシステムだったが、最高記録はたしか300冊弱くらいだったと思う。
図書室の司書さんと友達になったことで、休み時間は図書室でお話をして、授業中にこっそり本を読んでは見つかって怒られる生活だった。

ファンタジーの世界で生きていた

そうした私が最もハマったのが、ファンタジー小説とミステリー小説。
今回は前者に焦点を当てるが、いつか後者も書きたいと思っている。

ファンタジーは夢と希望と冒険に満ちていた。
見たこともない生物、魔法が溢れた世界、学校で育む友情、未知へ飛び込む冒険…。
幼い私が憧れるには、要素は充分すぎるほどだった。

また、小説はいかにも目の前にあるかのような文章で描かれ、「世界のどこかにはあるのかも」という期待が持てるのも一因だったのかもしれないが。
(余談だが、私は大人になった今でも本気で、魔法はどこかにあるのではないかという期待を持ち続けている。誰も見たことがないのならば、無いという証明は出来ないのだから。)

ファンタジー小説を読んでいるとき。
私は魔法を使って、ドラゴンやハーピーたちに立ち向かい、時には命を危険にさらすような冒険に仲間たちと向かっていた。
ファンタジー小説を読むことは、私にとってその世界で生きていることと同義であったのだ。

そんな私が出会った1冊の本が「タラ・ダンカン」である。

タラ・ダンカンとは

まずは小学校時の記憶なので、幾分説明があやふやなのはご容赦頂きたい。

私が見つけたのは、当時爆発的な人気を誇っていた「ハリーポッター」シリーズを読むか悩んでいるとき。
映画は見たことがあったが、本の分厚さに躊躇してズルズルと読むのを避けていた。
また、見ればハマるのが分かっていたため、予約待ちの期間が長い人気シリーズに手を出して続きが気になる状態が延々と続くのも嫌だった。

いつものように、ハリーポッターの背表紙だけ眺めて違う本を探そうとしたときに、ふと隣に可愛い女の子が描かれた本を見つけた。
金髪のお下げ髪で、少しそばかすがある純朴な可愛らしい女の子。
何となく気になって、手に取ってみた。
「タラ・ダンカン」と書かれた表紙には、カタカナでどこの国の方か分からない作者名が書かれていた。

『タラ・ダンカン』(Tara Duncan)は、フランスの作家ソフィー・オドゥワン=マミコニアンによる子ども向けのファンタジー小説シリーズ。
Wikipediaより抜粋

ちょうど読みたい本も切らしていたため、1巻の上下をその日は借りた。
昼休みに教室でパラりと本をめくったとき。
私はとてつもない衝撃を受けた。

この世界とは別のところに魔法の世界があるというトンデモ設定。
また、今まで見たどの本よりも詳細な魔法の説明。
田舎の普通の女の子だったタラ(主人公、表紙の女の子)が、実は魔法の世界にある帝国の皇帝の世継ぎだという驚き。
何にも知らないタラと友情を育み、冒険と危機に立ち向かう仲間たちへの憧れ。


気付けば、その日のうちに1巻の上下は読み切っていた。
授業の記憶は全くない。
それくらいの衝撃だったのだ。

あまり多くを語ると初見の衝撃を失うかもしれない。
まだ読んだことがないファンタジー好きはぜひ読んで欲しい。
魔法の世界や生き物ももちろんだが、本に描かれている彼らは、確かにいま生きている。
そう思えるほどの魅力的なキャラクターが1番のポイントであるような気がする。
12歳の無知で無謀な少年少女たち。
読み進めるにつれ彼らが成長していく姿は、より愛おしく感じる理由でもある。
こんな冒険がしたかったとも思うし、本を読んでいるときは間違いなく私は彼らの仲間だったとも思える。
未だに心の中で彼らは生き続けている。

ふと、物思いにふけるとき。
完結して描かれなくなってしまった彼らは、いまどんな未来を生きているのだろうと考える。
きっとまた想像もしないようなアクシデントに出会い、協力して立ち向かっているのだろう。


貴方たちの冒険を見せてくれてありがとう。
そして、私と出会ってくれたことに心からの感謝を。

香月



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