1/3 志望理由書に書いた言葉を会社のミッションにした。#総合型選抜受験生のキャリアマガジン
「全ての人が、属性を理由に選択肢を奪われない社会を。」
私、中村京香が、17歳・高校3年の春。
総合型選抜対策塾に通い始め、当時、最初に授業内課題として志望理由書の冒頭に執筆した言葉だ。
同じく、19歳・大学2年の秋。
総合型選抜対策塾を基幹事業に、法人を設立した際に、会社資料の冒頭にしたためた言葉でもある。
「女のくせに」と言われ始めた中学生以降、ずっとやるせ無い怒りと悲しみに苛まれてきた。
夜は後ろを気にして歩かなければならないこと
服装や容姿に常時批判や評価をうけること
性的な視線に晒されながら生きること
言い切れない程に沢山の理不尽と、“この世界で女として生きるならこうであれ”という抑圧に苦しみながら、勉学に励んできた。悩みを振り切り、余剰な時間を埋めるが為に、いつしか高校2年生の頃から私は【仕事】を始めた。
(当時は無賃金労働でおおよそビジネスごっこだったが)
私は、自身が感じてきた沢山のジェンダー観念への加害・無配慮を、非営利団体の草の根的活動から「失くしたい!」と、真剣に考えて、自身の“思想のようなもの”を大声で大人に語っていた。
それらを、志望理由書に自身の独白のように書き記すことが、何かしらの社会的貢献のような気すらしていた。
家賃や学費を自腹で払う大変さすら知らず、納税すらしたことがない子どもが、子どもなりに考えられたのは、収益化できないワークショップやコミュニティが精一杯。組織づくりもマネジメントノウハウもなく、見よう見まねで【活動】をすることが私のできる全てだった。
それから、今。
高校生のわりに、高校生なのに、凄いね。
大学生のわりに、大学生なのに、えらいね。
そんな言葉を振り払って、あの頃の私のように今を生きている10代学生らの人生を、受験対策というライフイベントを通じて支える事業を自身の営利法人で営んでいる。
高校生の頃、多数のイベントや活動、探究やインターンに取り組み、名声と権威にかこつけたカタカナ塗れの肩書き欲しさに、深夜mtgを繰り返す。
そんな世の中を知らない子供だった私が書いたスローガンは、大学受験合格のためのリップサービスから、今や、ひとつの小さな企業のコーポレートミッションになった。
消化試合として、学歴のために、ゲームとしてこなすだけにだってできたはずの受験というフィールドに、私たちは「これでいい」ではなく、「これがいい」をビジネスとして、サービスとして提供している。
その【仕事】に、生徒さんへの愛情はあれど、そういった特別な感情がなくたって、適切な役務提供を全うに行っている自信がある。今後も、学習塾という不安商法的で拝金主義的な一部の業界慣習に逆らってでも、徹底的に適切な役務提供に取り組み続けていく。
「全ての人が、属性を理由に選択肢を奪われない社会を。」
『高校生の夢物語』『10代の自己啓発』『インスタのストーリーの端書き』『日記に書いた大きすぎる目標』だったはずのこの一言に、総合型選抜・推薦対策専門塾のBlue Academyを基盤に、今持続可能なビジネスという形で、挑んでいる。
私自身、個人、私の所有する法人は、偉くも、凄くも、全くない。けれど、この大それた、途方もないミッションを掲げさせてくれている私たちのお客様やスタッフについて、彼らの受験の前や後、キャリアについて、もっと知っていただきたい!と思い、不定期でさまざまな文章をnoteを通じて世に出していくことにしました。
初回は、blue academy及びCLEA.合同会社代表の私、年甲斐もなく【仕事】が生きがいの中村京香より書かせて頂きます。
乱文ですが、ご拝読いただけましたら幸いです。
📝vol.1-vol.3 の全3回
[自分より賢い先生なんていない]と思っていた子供が、コンサル勤務を経て、塾講師になるまで。
「この先生、チェンジで。」
と今時、高級クラブでしか聞かないようなイケすかない発言を明け透けに、担当チューターに言っていた、17歳の春。私は、留学先のニュージーランドから大学受験のために、オンラインで総合型選抜対策塾に通い始めた。
”塾”とは名ばかりの情報商材サービス屋さんがひしめく学習塾業界は、当時酷いものだった。10社以上の体験授業を回ったが、担当者が口にする言葉は揃いも揃って「志・夢・経験が大事・価値観を深掘りしよう」なんてものばかり。こちらは人生がかかっているのだから「どうすれば合格するのか・そのための適正価格はいくらなのか」を聞いているのに、おそらくマニュアル通りに話される料金システムと合格実績の数字を言葉尻に羅列されるだけで、全く身のある話は聞けなかった。
最初にオンラインの塾説明に出てくる講師がこのレベルであればたかがしれていると思い絶望したが、当時の知り合いの紹介で小さな塾に入った。コンプライアンスや顧客対応は酷いものだったが、ただ一つ、講師は優秀だった。持ち込んだ志望理由書に「抽象的だねえ、夢をもっと書かないと〜」なんて子供向けの講評はせず、それなりに筋の通った指摘をされた。総合型選抜・推薦入試の学習塾業界の水準や価格に疑義を感じながらも、おとなしくその小さな塾に入塾した。そして、あの冒頭の発言である。
自分より優秀だ、と思えない(当時)”新入りバイト”感の漂う拙いトークの講師に、「チェンジで」と言い放つ私は恐らく面倒な客だっただろう。結果、第一志望ではなかったものの、横浜国立大学経営学部に進学。それ以来は、高校時から続けていたインターンを続けながら、フリーランスで中小企業向けコンサルティング会社や広告代理店の下請け会社等で働く生活を選んできた。家庭教師として総合型選抜対策にささやかながら関わってはいたものの、講師業をライフワークにするつもりは一切なかった。
私が当時塾に払った金額は8ヶ月間で100万円弱。
業界大手に通い、早慶レベルを目指す高校生は200万円以上払う家庭だって少なくない。顧客単価として、私は悪くない方だっただろう。
ただ、塾という業界のコンプライアンス(ロリコン変質者やセクハラ・パワハラ問題の告発や垂れ込みも多い)や、サービス内容の曖昧さ、消費者側が「受験に受からなければ」と心理的に不安感が強い状態等を総合的に考えると、はたして妥当な金額とサービス内容だっただろうか、と思う。(100万円払って大学に受かるなら安いのか、高いのか。)
学習塾はビジネスとして存在しているはず。その割に、現場に出てくる人間は大学生に学歴と教育意識が乗っかったような人材が多い。実際、受験終了後にバイトをしていた大手塾でも採用フロー・研修の間に、顧客から高い対価をいただくに値するような専門的な添削や講義をできるような技能を授かる機会はほぼなかった。
客先に出る人間の質・倫理観が、高校生の進路に最も強く影響する。
ならば「教育が好きで」と高尚な思想を語ったり、「時給が高い楽なバイト」と思っている学生よりも、プロとして仕事に取り組める優秀なビジネスパーソンとして育成された人材が講師にあたるべきではないか。
そう思い、学生サラリーマンをしていた私は右翼曲折の末に、総合型選抜に特化した学習塾を創業した。通常、学習塾は価格を下げようと思うと、校舎代や広告費等の原価がかかりすぎるが故に、「やりがい」で働いてくれるような学生を低賃金で大量に雇用し、うまくシフトを調整する必要がある。最初に最も経費として圧縮されやすいのは人件費・採用費である。一方、社会人講師・プロ講師らを囲い込む場合にはそれなりに価格は高くならざるを得ない。
だったら、最適な価格と最適な人材雇用を両立し「受験を通じて成長しよう」なんて精神論を語る前に「狡猾に確実に受かる」そんな予備校があったらいいのでは?
努力すればするほど塾費用がかからない
塾なんて本当はいらない
営業はしない
と世の中の学習塾が絶対に言わないであろうことを胸を張って言う。
高校生が必要としている“受験関連”の知的財産を提供し、“受験関連業務”を代行するコンサルティングカンパニーとしての学習塾。
学生サラリーマンだった私は、そうして、副業として続けていた総合型選抜指導を法人化し、Blue Academyを設立した。
起業家でも先生でもなく事業家と自称したい訳。
これは世間的には“起業”にあたるのだろうが、私はあいにく自身を起業家だとは思っていない。『10代でバイアウトした凄腕社長』や『インフルエンサーマーケで有名な大学生社長』や『スタートアップで投資してもらっている新進気鋭の学生』や『六本木でBARとか経営しちゃっている港区社長』と言う柄ではなく、スモールビジネスを粛々と経営するどちらかというと事業家だ。
そう自称していると私を「先生」としたってくれる学生や関係者も多いのだが、どうも私は自身をそうとも思えない。
(先生と自称したくないわけを会社資料の代表メッセージから引っ張ってきました)
あくまでも私が学習塾というサービスを事業者として、お客様に提供するだけであって、そこに職業倫理こそあれど、お客様への愛はあれど、自身を先生、だとおごってはいけないと、常日頃から思っている。
教員や講師という立場に立つと、社会に関することを良く知らず、高額納税の辛さや、賃貸契約の面倒さや、税制・法令に関する知識すらないような状態でも、自分が“大人”で、“正しい人”で“倫理的”で”誰かに何かを与えられる人”だと勘違いしてしまいやすい。
輝く瞳で受験合格に対して感謝を述べてくださる生徒さんや保護者様を見れば尚更、そう思ってしまっても仕方がないとは思う。だから、“先生”という仮面に愛着やプライドを持つ人を批判するつもりは毛頭ない。
しかし、あくまでも法人の一事業として運営する弊社の予備校は「できるだけ合格させる」ことに特化しているべきで、そこに必要な愛着や感情は必要だが、それよりもまずはプロとして健全な役務提供をするという意識が優先されるべきだ。
だから、私は自身を、起業家でも先生でもなく事業家と自称したい。
それが、顧客への最大限の誠意だと、考えている。
📝vol.2に続く!
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