音楽の企画 #1 「そもそも..」
音楽の企画
第二講は、「音楽の企画」。
ゲスト講師に、岡島かな多さん。
岡島かな多さんといえば、日本を代表する音楽プロデューサー。
嵐をはじめとするジャニーズから、Little Glee Monster、安室奈美恵など、
誰もが知っているようなアーティストの楽曲を手掛けて世界へ発信している。
そんな岡島さんに向けた企画が、今回の課題。
7/22の講座までの期間、以下の課題に向き合うことが企画生のミッションだった。
今回の課題
当初、このメールをいくらを読んでも、イメージが浮かばなかった。
音楽のコアなファンではなく、プロデュースなんて考えたこともないし。
素直に、お手上げ状態だった。
なので、一度企画することから離れ、方針も目標もほっぽりだして、
音楽について考えたいことを、考えたいように考えてみようと思った。
自分にとって音楽ってなんだ?
まずは、自分と音楽の接点を書き出してみた。
自分の思いが込めやすい切り口がみつかるかもしれない。
自分にとって音楽は、
・勉強や仕事の合間で、リラックスさせてくれるもの
・試合に向かう車の中、モチベを上げるためのもの
・帰り道、歌詞から生き方を考えるきっかけを与えてくれるもの
これらが思い浮かんだ。
どうやら自分にとって音楽は、特定の感情を与えてくれるスイッチのようなものらしい。
企画のそもそも
今回の企画での、自分の目標。それは
様々な角度から「そもそも」の視点に立って、前提を疑ってみること。
これに尽きた。
きっと、他の企画生のみなさんもそうだったように思う。
よし、まずは、前提の見直しを習慣にしよう。
1. 「そもそも」楽曲がヒットするとはどういうことか?
かつてはCD売上やランキングで上位になることが、ヒットの定義だったが、Youtubeの普及やサブスク配信サービスの登場で、ヒットの要件も変わったといえる。
そこで、音楽がヒットすることの定義を
多くの人の共感を獲得し、ストリーミング再生で繰り返し聞かれている状態
と想定してみた。
2, 「そもそも」 世界でヒットするために、英語版を出す必要はあるのか?
海外でヒットするために、英語版の歌詞の楽曲をつくるかどうか。
もちろん英語版を出せば、世界中のひとが歌詞の意味を理解できるようになり、楽曲を楽しめるようにはなるとは思う。
ただ、感覚的に、本質からずれているように感じた。
たとえば、自分の好きな、MOROHAというアーティストの歌詞に、
「そこそこの英語より、とびきりの母国語を」
というフレーズがある。自分は今回の企画を考えはじめたとき、この言葉がふと脳裏によぎった。
MOROHAは、メッセージのひとつひとつを、鬼気迫る迫力で観客に突き刺してくるアーティスト。そして、「とびきりの日本語」で世界に自分たちの表現を伝えたアーティストである。
台湾公演のライブ。
観客は、日本語のリリックはわからない。
しかし、ボーカルのAFROが「三文錢」を歌いきったあと、
「日本語、四文字でこのことばを届けます」と言い、
「がんばれ」を一人一人に向けて、全身全霊で叫び続けた。(6:00-)
曲が終わると、異様な拍手と歓声が巻き起こる。
観客は、日本語の歌詞、そして、日本語で訴えかけてくるAFROから、
確かに何かを感じ取っていた。
元きのこ帝国のボーカル、坂本慎太郎さんも、音楽家の青葉市子さんとの対談で、「もはや、言語は全然関係ない」と話した。
日本には、「とびきりの母国語」で世界に表現を届けるアーティストがいる。日本語の歌詞だから生まれるリズムや余韻はたしかに存在し、そこに誇りを持っていい。つまり、日本語が帯びた文化を背負い、誇りをもつことに意味がある気がした。
3. 「そもそも」 海外志向の曲をつくることが、世界でヒットすることに本当に必要なことなのか?
日本と海外で、音楽に求めているものが違う。
これは、自身のデンマークとオーストラリアでの生活の中で感じたことだ。
日本の音楽は、歌詞やメロディーの中に自分を浸らせる。音楽の中に沈んでいくイメージ。自分もこのタイプ。
それに比べて海外の人は、音楽にノる。口ずさむだけじゃなくて、身体全身を使い、リズムに乗っかるイメージ。
日本人の僕らは、心と音楽との調和、感情移入できるメロディーと歌詞を求める。海外の人は、感覚を総動員してノれるような音楽への高揚感を求めている、体感的に思った。
そのため、海外と日本で、音楽に求めているものが根本的に違う。
日本のアーティストにとって、根本的に異なる価値観の楽曲をつくることは、試練となる。海外向けに新しく制作した楽曲は、国内の生活者には共感してもらえず、海外の生活者にヒットするかもわからない。そんな賭けのために、自分の感覚を研ぎ澄ますことは表現者にとって高い壁になる、そう思った。
これは音楽に限ったことではなく、表現でメシを食べていく人たちにとって、
「自分たちの信念を貫くこと」と
「共感してもらえること」
この板挟みで苦しむのは、表現者のジレンマのように思う。
表現でメシを食べるために、彼らはいつだってこのジレンマと戦っている。
海外でヒットする曲をつくりたい、
そういった思いがあっても、国内の生活者に共感してもらいにくい。
(日本国内のみの価値観しか搭載されていないから)
だから、とりあえずは国内に共感してもらえる楽曲をつくろう。となる。
そのため、海外でヒットすることを目指した楽曲が生まれない
まずは、この構造をなんとかする必要があるんじゃないかと思った。
目指す方向
これらを、脳内でぐるぐる考えているうちに、
音楽のコンセプトや、楽曲の広報媒体をどうこう考えるよりも先に、
日本のアーティストのための環境づくりが必要
という結論に辿り着いた。
ここでいう環境とは、
日本アーティストが海外向けに楽曲を作っても、自国の日本人が楽曲の良さを理解してくれる環境のことだ。
たとえば、アーティストが曲制作の段階で海外のトレンドを取り入れたとしても、それ理解できる日本人がいなければ、国内で孤立してしまう。
つまり、国内の生活者にも、音楽を見る目が必要だ。
いま必要なのは、アーティストだけではなく、
日本の生活者の価値観のアップデートが必要ではないか。
そこで、企画のテーマを
日本に住む生活者の、価値観変容とした。
#2につづく