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【MBTI】NF型はどうして暗い雰囲気に惹かれてしまうのか?

NF型はどうして心の闇に惹かれるのか?という考察。考察といいつつ感想文風味になってしまいました。


1.NF型は「心の闇」に惹かれやすい?

 NF型は「心の闇」といった暗い雰囲気に惹かれやすいところがあるようだ。案の定筆者にもその気があり、人混みや賑やかな場所は苦手で、むしろ退廃的かつ寂寥感を覚える風景を好むところはある。そんな性格を反映してか、撮ってる写真も夜景が多い。

単に筆者が根暗だからと思っていたのだが、どうもそういうわけでもないらしい。ネット掲示板やキャラクター性格診断wiki、先駆者様のサイトでもしばしばこの類の書き込みがされていて、以前から気になっていた。

アク禁に巻き込まれてしまって書き込みができなくなり、仕方ないのでnoteを始めて4か月ほど経ったのだが、その確信はより強くなった。INFJやINFPを中心として、病んでる感じの人があまりにも多すぎるのだ。

そんなわけで、今回はNF型はなぜ暗い雰囲気に惹かれやすいのかということを考察してみる。

2.「生きづらさ」を抱える人が多い

 NF型はどうも「生きづらさ」を抱えることが多いらしい。学校や会社などの現実社会に上手く適応できないことで不自由感・劣等感を味わったり、疎外感・孤独感を感じることでメンタルをやられやすい人が多いのではないかと思う。

先駆者様のサイトや文献を見てもそうで、理想と現実のギャップに打ちのめされるとか、浮世離れしているとか書かれることが多いようだ。また筆者の体感になるが、noteを見ても不健全な人はそれなりに多いように思う。

筆者もやはりこうした「生きづらさ」を日々抱えて生きているのだが、自分の考えをMBTIのスケールで表現すると、彼らが苦手としやすいSe(外向的感覚)Te(外向的志向)を酷使する状況や、強制される状況に置かれがちだからではないかと考えている。

これについては以前の記事で書いた通り。


3.NF型特有の人間観

 NF型は人間関係を分け隔てない。ENFP・INFPは他者に価値観に寛大なタイプであり、ENFJ・INFJは人間関係における垣根がない。

もちろん神様ではないので完全に平等というのは無理だが、基本的には他人を拒むことはない。部外者も受け入れるし、自身と敵対する者の身を案じることも少なくない。

なぜNF型がこうなのかを文献を読んで考えてたのだが、NF型は根本的に「人間」が好きなのだと思う。NF型は生きづらさゆえに不健全になっている人もいるだろうが、人嫌いを自称しつつも、なんだかんだ「嫌いになれない」という感じの人は多いんじゃないだろうか。

①「人間」であることのこだわり

ST型が「勝利」に、SF型が「平穏」に、NT型が「能力」にこだわるのと同様に、NF型は自他共に「人間」であることにどこまでもこだわろうとする。

人は自分にとって何の得にもならないにもかかわらず、時には自身の身を危険に晒しても他者を助けようとする。あるいは高い目標や前にして怖気づき、弱音や泣き言を吐く。逡巡や葛藤を抱えて悩み、困難にぶつかり逃げ出して、醜く悪あがきして、でも結局は乗り越える。

これらは理屈じゃない。合理性があるとも限らない。けれども「人間」のあり方としては限りなく自然でありふれている。そういった人間の精神活動、および人間的成長がたまらなく愛おしく、好きで好きでたまらない人達というのがNF型という人種なのかもしれない。

成長物語が好きというのはNF型あるあるだろう。

4.弱みこそが「人の性」

 人間は苦境に陥ったときにこそ、その本質を問われる。人の精神活動が最も活発になるのは強いストレスを与えられた状況で、これを跳ねのけるか、潰れてしまうかの瀬戸際にこそ最も強い輝きを放つ。

「諦めが人を殺す」とか「諦めたら試合終了」という言葉があるように、人生の本番はこれ以上どうにもならないところまで追い込まれた上で、諦めを拒絶するところから始まる。建前やメンツを捨てて、なりふり構わず今できるところから再起を図るのが「人間」としてのリアルな人生だろう。

①人生はお前を待ってくれない

今までの人生で常に「万全を期してきた」という人はきっと少ない。人生は短く、いつも時間が足りないからだ。時間だけじゃない。お金も人手も、知識も経験も何もかもが足りておらず、完璧には程遠い。でもとりあえず今あるもので目の前の困難に立ち向かっていくしかない。

人は何かを成そうとするときいつだって準備不足だ。準備が整うまで待てば遅すぎる。人生において万全な状態は滅多になく、そのほとんどは劣勢かつ困難で、不完全な状況で挑戦せざるを得ない。友達作りから始まって、受験、就活、婚活、出世、子育て……。人生はお前を待ってはくれない。

②持ちつ持たれつの関係

 そうやって困難に直面した人の中には、誰かに助けを求める人もいるだろう。万全を期すことができない以上、大なり小なり人の手を借りざるを得ないからだ。助けを求めずひとりで頑張っているつもりでも、陰ながら見守ってくれる人は実はいるのかもしれない。

手を差し伸べてくれる人がどこからともなく現れて、助かった人は「ありがとう」「助かったよ」の言葉が出てくる。助けた人は「いいってことよ」「困ったときはお互い様さ」と事も無げに返す。この関係はとても清々しくて気持ちがいい。

人間は社会的動物である。それゆえ人間社会は「持ちつ持たれつ」の関係でできていて、そうした関係性が無数に存在して複雑に絡み合っているのだが、見返りを求めず善意で助けるパターンというのは意外と多い。それは人間として当然に備わっている本能であり、習性だからだ。

NF型はきっとこの本能が一際強く、人間の精神活動に感化されやすいタイプの人々なのではないだろうか。

③人間の「理想」としての姿

 人の本質はである。苦しい状況における命の輝き、魂のきらめきこそが人間の強さであり、見返りを求めない善意や助け合いこそが美しさだとNF型は信じている。それゆえ「黄金の精神」や「人間賛歌」にNF型は強く魅せられる。

誰しもが絶望してしまう状況下において、諦めを拒絶して抗った者に対してNF型は賞賛し、身の危険や不利益を顧みず手を差し伸べる人間をNF型は尊敬する。それはNF型が最も望む生き方であり、彼らが憧れてやまない「理想」としての人間の姿だからだろう。

5.他人の不幸は蜜の味?

 ところで筆者はこうも思う。「人の性」を見たいというのは建前に過ぎず、単に自分と同じように、苦悩や葛藤に悩む「生きづらさ」を抱える人、夢や理想を諦めて挫折した人間を見たいだけなのかもしれない。

「こっちにおいで」と手招きをしているだけなのではないかと。

これはNF型だからいう話ではなく、もはやMBTI云々の話ですらないのだが、この世や自身に絶望している人間に興味があるだけなのかもしれない。人が病んで崩れていくさまを見たいという卑しい感情だ。もっとも人間らしい感情とは喜怒哀楽のことではない。「妬み」である。

「他人の不幸は蜜の味」という話がある。無論、それは自分が当事者にさえならなければの話だが。災害、疫病、戦争……、古今東西、人の不幸や破滅はエンタメであり、人気コンテンツであることはもはや疑いようもない。

望みを絶った人間が求めるものはただひとつ。破滅だろう。絶望に染まった人間の成れの果て。それは自身のたどる可能性のひとつであり、あるいは将来の姿なのかもしれない。他人事とは決して思えないその姿に、NF型はきっと強い親近感を禁じ得ない。

①「こっちにおいで」

 前述の通りにNF型は「人間」を愛していて、ゆえに他者の精神活動に共感しやすい。つまり良い方にも悪い方にも感化されやすく、他人の思想や精神状態に引っ張られやすいのだと思う。内向型のINFJ・INFPは尚更だ。

NF型は根っから「優しい」のではなく、たまたま「生きづらさ」を抱えていて、他人の心の闇に「共感」しやすいだけのような気もする。人間は誰しもが困難を乗り越えられる強者とは限らない。挫折に打ちのめされた人、望みを絶たれた人だっているはずだ。

優秀で欠点のない人、明るくて幸せな人がつまらないのは、悩みや葛藤、そこからの成長物語といった人間らしさが見えず、共感できないからだろう。人気者なので接点すら持てない。そこから相互理解は生まれず、自身の劣等感や疎外感があらためて浮き彫りとなるだけだ。

ダメな自分を受け入れてほしい。ネガティブな感情に共感してほしい。心の闇とか人の性とかソレっぽいことを言っても、結局本音はそこなのかもしれない。NF型特有の憂いや憐れみを帯びた仄暗い優しさは、上の世界から落ちてきたあなたにそっと寄り添い、心地よい温度で包み込もうとするだろう。

6.ST型の「強がり」

 こうしたNF型のメンタリティに一番相容れないのはやはりST型だろう。ST型は縦社会に適合的なタイプでNF型とは対極的な人種になる。すなわちメンツや建前を重視し、強さや序列にこだわるタイプといえる。

ST型からみたNF型は「軟弱者」といった印象だろう。弱音や泣き言ばかり言って、自身に課せられた使命から逃げ出す。やるべき義務や責任を果たさない。目標を達成しない。そういった頼りないところ、ナヨナヨしたところが彼らを苛立たせるに違いない。

だいたい部外者のことなど考えても仕方がない。助けられるわけでもないし第一キリがない。まして敵対者にメソメソと感情移入してどうするのか。手っ取り早くぶちのめせばいいだろう。敵の事情なんていちいち知らん。勝った方が正しい。それが一番分かりやすくて手っ取り早いじゃないか。

NF型がしばしば惹かれる「心の闇」や「人の性」とやらにも関心がなく、この類の暗い雰囲気や、ネガティブな感情には嫌悪感を示すだろう。ST型にとってNF型は怠惰な臆病者であり、女々しい敗北主義者でしかない。ゴチャゴチャと不満ばかり多くて面倒くさい奴らという印象はあるだろう。

NF型からしても彼らST型のいうことはもっともで、学校や会社で実際に活躍しているタイプでもあるので、決して無視はできない。NF型はST型の強さに憧れており、コンプレックスを抱えている。

まとめ

 ちょっと感想文チックになってしまったが、NF型がどうして暗い雰囲気に惹かれやすいのかを述べてみた。

まとめると、NF型は「人間」が好きで、精神活動に対する興味や関心が強く、それゆえ他人の思想や精神状態に感化されやすいところがある。その上で現実社会で「生きづらさ」に直面しやすく、劣等感や疎外感から孤独を感じることから、暗い雰囲気に惹かれやすいのではないだろうか。

慢性的な生きづらさを抱えるNF型の精神は、運命に抗い困難に立ち向かっていく者に魅せられる一方で、やがて黄昏れ破滅に身を委ねる者にも共感してしまうという、かなり微妙なバランスで成り立っている。さながらシーソーゲームのように明暗どちらにも転がり得る。

しかしながら、危ういながらも済んでのところで踏みとどまったり、過ちを認めて改めたり、克服して乗り越えたりするのもまた人間の強さといえる。そうした成長物語をNF型はこの上なく喜ぶだろう。

いずれにしても、どうしようもなく「人間」が好きで、良くも悪くも影響を受けやすいのがNF型という人種の特徴なのかもしれない。


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