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【MBTI】ESTPの父、INFJの子【親子関係】

今回は小話。ESTP父との思い出について。


ESTP父の記憶

 筆者がこのnoteを始めて半年程度になるのだが、noteではたまにお題がトレンドとして自然発生することがある。このアカウントではMBTIを扱っているが、フォロワーさんの間で家族関係の話はポツポツと出てくるようだ。

今回は「父の話」で、まふゆさんのところでこんな面白そうな話をされていたのだが、、

筆者のところでもちょうどタイムリーだったので少々話してみたい。こういうのは個人ブログではない要素だし、「バトン」のように強制されるものでもないのでなかなか面白い。


1.反発することが多かった親子関係

 さて、上記のまふゆさんは高校生くらいまでパパと一緒におフロ一緒に入ってそうな勢いで仲が良く、何なら今からでも入ってそうなくらいラブラブで非常に羨ましいのだが(※筆者の想像です)

対して筆者の父は2年前に他界しすでに故人となっている。そして生前も相性が良かったとはあまり言えなかったかもしれない。

その関係性を表すと、幼少期はヱヴァンゲリヲンのゲンドウとシンジみたいな感じで、青年期はワンピースの赤犬と藤虎みたいな感じだった、といえば伝わるだろうか。さすがにそこまで険悪な仲ではなかったが、割と衝突が多かったように思える。

無事オッサンに成長してからは距離感を学習して衝突を避けるようになったものの、これはこれで本音でぶつからなくなったため悔いが残る。後でMBTIという概念を知って、父:ESTP 筆者:INFJ という全く正反対の性格だったと知って、成程腑に落ちたという感じだ。

①若い頃は素行が悪かった

 その父であるがESTPの例に漏れず素行が悪かった。時代もあるのかもしれないが、若い頃は車やバイクが好きでブイブイ言わせていたらしい。ビリヤードやカラオケ、ゴルフなどの趣味にも興じ、あるいは麻雀や競馬やパチンコを好んだ。

お酒は下戸であまり飲めなかったがヘビースモーカーだった。またが好きで、ステーキや焼肉を好んで食べることが多かった。また誰かの誕生日にはよくケーキを買ってきてくれた。要は自分が食べたいだけなのだが、この辺の気前の良さはなんともESTPらしい。

一方で手が出るタイプの人でもあり、機嫌が悪くなると物に当たったり、普通に叩かれる・蹴られるということがあったので子ども目線だと普通に怖かった。これもまたESTPらしいのだが、ある時に禁煙をはじめ暴力も振るわなくなった。思うところがあったのだろうか。

②何かを教わった記憶がない

 筆者は父や母から何かを理論的に教わったことがない。父:ESTP 母:ISFP 妹:ESFP 筆者:INFJ という構成ゆえに、要領は良いが教えるのは苦手な人が「親」で、教えるのは得意だが飲み込みが悪い人が「子」をやっているので、役回りがどうも逆な気がしてならない。

なかなか難しかったのがSP型特有の「人の話を聞けない」という点で、コチラが話をしてもうまく伝わらないことが多い。逆に両親が当たり前にできる動作が自分はできなかったりするので、すれ違いは多かったように思える。同様の理由で筆者は妹ともあまり仲がよくなかった。

SP型は探索志向が強いので放任主義となりがちだ。父の場合、外向型でしかも会社経営者だったため休日も外出していることが多く、(筆者視点からは)話が通じるタイプでもなかったため、何かを教わるということはあまりなかったように思う。

ただし感性として学んだ部分はそれなりにある。ESTPらしく車でのドライブは好きだったので、色々なところに連れて行ってもらった。筆者のカメラ趣味はここからきている。

③やっぱりデリカシーがない

 また父はESTPらしくデリカシーがない。親戚の集まりで若い子を見かけると「彼氏はできたの?」とか、付き合ったとわかれば「で、どこまで行ったの?」などと結構なセクハラ発言が多い。

また母と妹曰く「情緒がない」らしくこれは筆者も同意せざるを得ない。特に母に関してはデートで映画を観にいくと、スタッフロールが流れるあたりで席を立って帰りたがる点が昔から不満だったようだ。

特に笑ったのが鬼滅の刃を見ていた時、キャラの回想シーンは全てカットして見ていたことだ。遊郭編の堕姫と妓夫太郎の生い立ちのくだりとか全カットである。そこが本体だろwwwと思わずツッコまざるを得なかった。

④機嫌がいい時の謎仕草

 また父はトイレに入って用を足すときは両手で手を叩くという謎仕草があった。奇妙に思ったが機嫌が悪いとこれはやらないので、トイレで手を叩く=機嫌がいい というバロメーターとしていつしか認識されるようになり、むしろ通常営業として歓迎された。

また風呂上りに全裸でいる時間が長い。結構な時間そのままでいる上歩き回ったりリビングで寝そべったりするので「いい加減服着ろよ!」とツッコまれたりする。そして風呂が熱すぎるので次に入る人が困ってしまう。

なおこれらの特徴は孫に隔世遺伝しているきらいがあり、主に妹によって危惧されている。矯正しようとすると癇癪を起こすため割と深刻らしい。


2.占星術的には相性がいい?

 このミョーなところで相性が良かったのは何だろう思ったのだが、実は筆者と父は占星術的には相性が良かったのである。MBTI的には真逆の性格だったが、妙に気が合ったのはこのおかげかも??

①地のエレメント

 筆者はおとめ座で父はやぎ座である。それぞれ流動宮・活動宮という違いはあるもののお互いに地のエレメントの星座であり、割と現実思考で地に足が付いているといわれている。

黄道十二宮では、自身の星座から見て正三角形(60°)に位置する星座はエレメントが一致するため相性がいいとされる。筆者はおとめ座(9月)なので、やぎ座(1月)とおうし座(5月)は相性がいい。

ちなみに母は水のエレメント、妹は火のエレメントなので、SP型のノリは合うが重きを置く価値観が微妙に違う。母は情緒的で合理的思考が苦手だし、妹はかしましいので、父がうまいことバランサーになっていた節がある。

もし私が1月遅れててんびん座(風のエレメント)だったらどうやっていたのだろう。結構荒れたかもしれない。

②優良不良少年?

 思えば父は妙なところで常識人だった。父は素行が悪かったが、暴力や器物損壊で誰かに迷惑を掛けたり、アンパンやクスリで中毒になったり、女性を泣かせたりするタイプではなく、どちらかというとAKIRAの金田正太郎みたいなかっこいいタイプの不良だったらしい。

金銭感覚は割とまともなようで、パチンコや競馬で負けることはあっても、生活費までスッたり家族に腹いせで暴力振るうことはなかった。タバコが体に悪いときっぱりやめたのも常識的だ。

また父はESTPにありがちな女性問題は生じなかったようだ。刺激に対する報酬系が性欲よりも、仕事・肉・ゴルフに関心が向かうタイプのようで、たぶんトランプ大統領なんかと同じタイプの人種っぽい。

③妙に気が合うことも

 筆者と父は趣味は通じる部分があったため気が合うことも多かった。90年代のB級映画や大河ドラマを好んで見ていたのだが、筆者のモデルガン収集や居合道などの武器趣味はここからきている。

ゲームでいえばドラゴンクエストは一緒にプレイしたし、最近なら漫画のキングダムや進撃の巨人を勧めたらこれはハマったのでその部分は仲が良かった。ただし先の鬼滅の刃くだりの通り、舞台考察や心情表現はあまり興味はないようだ。

なお過去にSPEC(刑事ドラマ)を好んで見ていたこと、スカッとする作風が好みなことからジョジョを勧めたこともあるのだが、これは絵柄がダメだったようだ。残念。


3.その最期の日

①あまりにも突然の別れ

 さて上記の通り、筆者の父は2025年現在では故人となっている。2年前に亡くなってしまったのだが、病気というよりは事故に近い亡くなり方をしてしたため「そんなバカな‥‥」と周囲を驚かせた。

腰の手術を受けるために入院したはずが、まさか亡くなってしまうなどと誰が予想しただろうか。

筆者とは6日前に、母に至っては4時間前に会話しており、明日病院に会いに行くつもりだった。そしてあまりにも急だったので年金をもらえていない。ピンピンコロリの極致のような生き方を全うしており、このサプライズな最期はなんともESTPらしい。

②その運命の時

 亡くなった原因は静脈血栓塞栓症で、エコノミークラス症候群といえばわかりやすいだろうか。もともと父は肺の病気を患っていたのだが、それとは別に腰を悪くしておりその手術のために入院をしていた。

手術は成功し予後も良好だったので、退院まであと数日というその矢先だ。月曜日の夜のことだった。会社で残業を終えてコンビニでヤングマガジンを立ち読みしているときに母親から電話があった。

「病院から家族に来て欲しいという連絡があった。命に別状はないから落ち着いて。夜なので車で病院まで欲しい」



この時筆者は超絶親不孝者で、別状ないなら呼ぶなよメンドクセーと思い、あろうことか断ろうとしていた。筆者はそういうヤツなのである。

‥‥だがよく考えると、わざわざこの時間に呼ぶってことは何かあるのだろう。一抹の不安を胸に車で駆け付けたところそれは現実のものとなり、6日ぶりの再会はとてもショッキングなものだった。

ドラマでよく見るアレだ。あのサウンドエフェクトも完全再現されている。母と妹はすでに駆けつけており泣きながら必死に呼びかけている。感情を露わにして寄り添う母や妹とは対照的に、筆者は受け入れがたい現実に直面したまま絶句しており、ただその場に立ち尽くすしかなかった。

このあたりSe(外向感覚)Fi(内向感覚)の性能差が露骨で、母(ISFP)や妹(ESFP)はリアルタイムでダイレクトに生の感情を出せるのに対して、筆者(INFJ)はそれができない。多すぎる情報量に圧倒されてしまい、ついていけないのだ。

らしいといえばらしいのだが、なんとも悔いの残る対面となってしまった。この親不孝者め。

③6日前の予感

 筆者が最後に父と話したのは亡くなる6日前で、有休をとって父を病院まで車で送ったのが今生の別れとなったのだが、あろうことかその前日にケンカをしており、率直に言って雰囲気が悪かった。入院するにあたって父と母に遺言を書くように勧めたためだ。

父は会社経営者だったため、もしもがあるかもしれないので書いておけよと言ったのだが、父も母も縁起が悪いと聞かなかった。この辺はNi(内向直観)の性能差だろう。

そして筆者は入院当日に何かの予感を感じたのか、首都高速の分岐を間違えて山手トンネル(C2)に乗って大幅に遠回りしてしまうミスをしているが、普段はせっかちな父が珍しく何も言わず、むしろ打ち解けた。思えばこれは神様がくれた時間だったのかもしれない。

病院のエントランスで父の背中を見送る際、もしかしたらこれが最後になり得るかと思い、その景色を強く記憶したのだが結果的には正解だった。これは心象風景として今でも焼き付いている。


まとめ

 そんなわけで、今回はフォロワーさんの話題に便乗して父について語ってみた。ESTPの父ってどこの家も大抵こんな感じらしい(らしい)

丁度先週に三回忌を執り行ったのだが、この父は亡くなった今もたまに夢に出てくるので筆者(というか家族)の中では準レギュラーみたいな扱いになっている。今朝も言ってる側から出てきたので、だったらネタにしてやろうと思って書いた始末である。

家族が自身にとっての理解者とは限らない。筆者はその境遇から精神的な余裕があまりなく、身近な存在ではあるものの、自身にとっての理解者ではない両親をないがしろにしていた面があった。

それは世の常なのだが、しかしいざいなくなると「なんでもっと知ろうと思わなかったんだろう」という後悔の念はとても大きい。理解しようとしなかったのは自分の側もそうなのだ。

そして同時に人生が次の段階に進んでしまったことを実感する。孫の顔をついに見せてあげられなかった。あるいはもしタイプリープができたとしても、それはドラクエ5のパパスのようなもので、もはや分かり合うことはできないし、これから起こる未来を変えることもできないのだ。

だからこそ親は今大事にした方がいい。

「いつまでも あると思うな 親と金」は本当にその通りで、仲のいい人は存分に親孝行するべきだし、仲があまり良くない人も本音でぶつかった方がいいと思う。ケンカすらできなくなるのはとても寂しいものだ。


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