【MBTI】NF型はなぜ生きづらいのか?特有の「距離感バグ」の話
NF型特有の「距離感」の話。あなた微妙に距離感近くない?
1.NF型の「距離感」は近すぎる?
他noterさんの間でNF型特有の「距離感」が話題になっている。これは筆者も前々から感じていたところで、割とNF型あるあるだと思っている。どうもNF型は他人との自他境界が曖昧になりやすいらしい。
仏教の世界では分別智と無分別智という概念があるのだが、普通の人は分別智の世界で生きていてやがて無分別智を意識し始めるのに対して、NF型は無分別智からスタートしているがゆえに分別に疎く、自他境界や他者との距離感が曖昧になりやすいのかもしれない。
これについてイブリースさんやまふゆさんは「あざとさ」という概念で考察している。筆者はあざとさを極めたINFPはアザトースに進化するだの、終いにはネクロノミコンになっちゃうとかバカみたいなことをつぶやいていたのだが、これはなかなか分かりみが深く思わずうなづいてしまう話だ。
そして人との距離感の特異点についてはNFJ型についても当てはまる。今回はこれについて考察していきたい。
2.NFP型特有の寛容性
NFP特有の距離感としては他者に対する「寛容性」があげられる。彼らの他人に対するおおらかさは他タイプと一線を画しており、年齢や性別、外見や能力、経済力や社会的身分では人を判断しない傾向がある。
敵と味方、内輪と外輪、付き合いの長さもあまり関心がないようだ。人は基本「好き」というのが大枠のスタンスで、その中にさらに「大好き」(シュキ)というストライクゾーンがある印象だ。
NFPは自身の価値観に忠実であるが故、他者の価値観もなるべく尊重したいという思いから相手を否定することが少なく。受け入れる幅が広い。普通の人だと敬遠してしまったり、浮きがちな人に対しても偏見や差別、排外意識といった悪感情をあまり持たず、普通に接してくれることが多い。
①よそ者も自然体で接する
たとえばグループの中で1人だけ新入り(アウェー)がいるとか、1人だけ女性(男性)、お年寄り(子ども)がいるといった状況だ。この場合NFPは特に区別をすることもなく自然体のまま接してくれることが多い。
それどころか、他の人とは異なる境遇や雰囲気からむしろ積極的に興味を持ってくれる人もいて、それも特に意識をしているわけではなく無意識的なもので「素」の状態でそれをなせる。
否、自身も「変わり者」という自覚があって、それ故に他者に対して寛容なのかもしれない。ややデフォルメが過ぎるため適切なたとえかどうかは微妙だが「オタクに優しいギャル」とか「理解のある彼くん」みたいなイメージだろうか。
②内向感情Fi+外向感情Ne=寛容性
心理機能としては、内向感情Fiの自身(他人)の価値観を尊重したいと働きに、外向直観Neの好奇心や可能性を希求したいという働きの相乗効果になるのかな。
Neが主機能となるENFPは独特の浮動性からグループや階層に縛られずにフワフワ漂いながら動き回る感じになるし、Fiが主機能のINFPは自身の心情表現を他者につ伝えたり、他者の心情を受け止める・寄り添うというムーブメントになるのかもしれない。
この点Fiのペアが外向感情SeになるSFP型は、ダンスやパフォーマンス、音楽といったアクティビティや、イラストやデザイン、手芸といったクラフトワークといった形で、視覚表現をはじめとした五感から他者の心を動かすことが得意なようだ。
3.NFJ型特有の「垣根」のなさ
NFJも特有の距離感があり、人間関係に「垣根」を設けることをよしとしない。具体的には、年齢や性別、外見や能力、経済力や社会的身分で人を判断したり、敵と味方、内輪と外輪、付き合いの長さといったポジションによって人を区別することを好まない。
NFPがそもそも無意識的に「気にしない」という感じなのに対して、こちらのNFJは「気になってしまう」が故に垣根を作らず、意識的に平等に振る舞おうとする。よってNFJはのけ者を作らない、見捨てることをしないという意識が働く半面、身内に厳しい一面もある。
①よそ者は積極的に受け入れる
たとえばグループの中で1人だけ新入り(アウェー)がいるとか、1人だけ女性(男性)、老年(子ども)がいるといった状況の場合、こういった状況でNFJは平等に扱おうとする。
STJが規則や義務感から形式的に平等に扱うのとは違い、NFJは孤立や排除、差別を許さないという信条からこれを行おうとする。それゆえ彼らのいう平等は形式にとどまらず本質的なものとなる。
これはNFJ特有の博愛精神によるものだ。NFJにとって拒絶や排除、選別、見捨てるということは極めて苦渋かつ罪悪感が大きい判断となる。そのため一人だけ浮いてしまう、溶け込めない、居づらい、仲間外れといった状況を嫌い、そうならないように必ず配慮を行う。
そしてこの配慮はかなり巧妙かつ手が込んでいて、配慮される側が気付かないレベルのものまで含まれる。「配慮されている」と悟られるとかえって本人を傷つけてしまうこともあるからだ。
②外向感情Fe+内向直観Ni=博愛
心理機能としては、外向感情Feによる他者への貢献、利他性を欲する働きに、内向直観Niによる物事の全体像を把握することで本質や核心部分に至ろうとする働きの相乗効果によるものだろう。
Feが主機能になるENFJなら「来る者拒まず」のグループやコミュニティを組織、あるいは参加するかもしれない。Ni主機能のINFJなら、人間関係や組織集団の力場を構造的に把握した上で、力場や関係性を加減して居心地をよくする取り組みを行うだろう。
この点Fiのペアが内向感覚SiになるSFJ型は、もっと現実的で内と外は明確に区別するため保護者気質・家族愛的側面が強くなると思われる。結果として、守るべき対象を区別する意識が働くために派閥主義・ムラ社会的気質が強くなり、組織集団や身内を優先するかもしれない。
4.NF型のコミュニケーションの問題点
NF型はしばしば理想主義者と言われることがある。実際にNFPは他者に対して寛容だし、NFJは分け隔てのない博愛精神を持っていることが多いのだが、人間関係形成において致命的な弱点がある。それは‥‥‥。
「人を嫌いになれない」ということである。
一見美点にも聞こえる話だが、実はコレ大問題なのである。政治学の分野にはカール=シュミットという公務員試験受験生なら大体知っている有名な人がいて、その人はこう言っている。
政治というと一見縁遠く聞こえるが、会社・サークルなどの組織集団は当然として、インフォーマル関係ですらその場に2人存在すれば発生するのが力関係であり、すなわち「政治」である。つまり友と敵の区別(線引き)ができないNF型は政治的センス、すなわち人間関係の基本が欠けているという話なのだ。
①「平等な関係」は相手も求めているとは限らない
たとえば友人同士でも暗黙のうちに力関係が働くことは意外とあって、どちらかが誘う側・もう片方が誘われる側になることは多い。恋愛なら男性が誘う側で女性は誘われる側になることは想像に難くないだろう。
この時に自分が誘う側だったとして、相手からも誘ってもらえるような関係性を築くためにはどうするべきか? あるいは恋愛の場合、男性ならどうやって気のある女性にアプローチをかけるべきか?女性ならどうやって気のない男性のアプローチを断るべきか。
こういった「力関係における駆け引き」をNF型は苦手とすることが多い。平等な関係性や共存関係は常に相手も望んでいるとは限らないからだ。
②「駆け引き」の手段を持つST型・SF型・NT型
この点他のタイプは力関係の駆け引きを行う方法を心得ていて、「素」でこれを行うことができる。そこに心理的負担やためらいはない。
ST型はタテ社会による序列意識により、SF型はムラ社会による内輪意識により、NT型は競争社会による優劣意識により、他者との力関係で優位に立ったり、望ましくない者の拒絶・排除を行う。
然るべき状況で攻撃性や否定・嫌悪感情を示すことは、自身の身をまず守り、大事な人を囲い込むための防衛機制という側面もあるのだ。これは特にESFJの攻勢防壁ムーブが分かりやすい。
③「駆け引き」の手段に乏しいNF型
実はNF型も「駆け引き」の手段を持っていないわけではない。他人の価値観を尊重しない者、倫理・良心を顧みない者は許さないのだ。典型的には、暴力を振るう、価値観を否定する、他者を傷つけるといった者をNF型は明確に嫌う。
だが同時に「他人の価値観を尊重しない」「倫理・良心を顧みない」という「価値観」自体はそれはそれとして尊重してしまうこと、「他者を傷つける」という攻撃性や否定・嫌悪感情自体をNF型は遠ざけてしまうことから、自分の身を守れないことが多い。
そして実際にこうした寛容性や博愛精神をもって他人と接すると周りから浮いてしまうことになる。どうしても少数派にとどまってしまうからだ。
メタ的視点ではN型はもともと全体の30%に満たない少数派であり、残りはS型である。NF型で18%程度くらいしかいないとされる。残り8割の人々は上記のように何らかの目的や価値観で、選別・排除を肯定する。
またビジネス領域ではT型の価値観が支配的で、とりわけ営業・技能・現業といった直接部門職の雰囲気はST型が多いため、NF型の価値観と真っ向から相反してしまうのもつらいところだろう。
5.「距離感バグ」の話
そんなわけで、NF型は「人を嫌いになれない」という性質から、拒絶・排除を苦手とするという弱点がある。これは美点でもあるのだが、あくまでも「理想」であって、現実における対人関係にそれを持ち込むとむしろ人との距離感を見誤ることになりやすく、不都合となることも多い。
いわゆる「距離感バグ」というもので、NT型と同様、NF型もまた他人との適切な距離感を保つのが難しい。不用意に近づきすぎてしまったり、これに痛い目を見た教訓から逆に離れすぎたりしてしまうという感じだ。
このように言い切るのは自身の経験を一定踏まえてのことでもある。
①NFP型の場合
NFPはあらゆる価値観を受け入れるので他人に対する寛容性が高い。これは換言すると「惚れっぽい」ということでもあり、「みんな大好き」となってしまうため八方美人とみなされやすい。
人間は本能的に自分を特別視されたり「ひいき」されることを好む。そのために友と敵を区別し、内と外を区別し、派閥を形成して優先するべき対象を限定する。
こうして他者を「ひいき」すると、返報性の原理によって自身も「ひいき」される。相互フォローやブロック経済のようなものだ。そうすることでまずは自身の身を守り、ごく限られた大事な人も囲い込むという感じだ。
NFPはこうした本能があまり働かないところがあり、ゆえに周りからイレギュラーな人、変わり者とみなされやすい部分はあるだろう。
②NFP型女性の「あざとい」気質?
またこれはNFP型の女性に特に多い話で、上記の他noterさんによると特有の「あざとさ」があるらしい。ゲーマー的には七英雄・ロックブーケのテンプテーションみたいなものだろう。
普段通りの態度や振る舞いをしているにもかかわらず、無邪気で愛嬌があり、距離感が近くフェミニンな雰囲気があるために、男性に「気がある」「好意がある」と錯覚させてしまうというものだ。これは特に内向型の男性が引っ掛かりやすい。女性に対する免疫や耐性がないためだ。
このNFP型のテンプテーションはかなり強力なもので、見切るには一度食らって脳が破壊されるくらいしか有効な対策はないだろう(1敗)
意識しなくとも勝手に恋人ができるのはなんとも羨ましい話だが、どうも彼女たちの話を聞くと思ったよりも深刻で、モテたいわけでもないらしい。実際に好意を寄せてくる相手が意中の人とは限らないし、断り方に苦慮した予後が悪く、トラブルや身の危険に遭遇したりとなかなか大変なようだ。
これもN型特有の「注意力の低さ」が原因かもしれない。SP型のように動作がキビキビしておらず、緩慢で身の振り方や警戒感が薄く、隙が多くなりやすい面はあるのだろう。
③NFJ型の場合
NFJの場合、のけ者を作らない、見捨てることをしないというのはいいのだが、その利他性や貢献性を制限しない点が問題になる。
ギバーとしてふるまうのは構わないのだが、その対象が無制限だとリソースが足りなくなるし、競争者・部外者にまでそれをふるまってしまうとトラブルの原因になるのだ。相手からは不審がられるし、見方から内通や利敵行為を疑われてややこしい話になってしまう。
これもやはり、友と敵を区別し、内と外を区別し、派閥を形成して優先するべき対象を限定するという本能的意識が欠けているのだと思う。
④NFJ型の「自己犠牲」気質
NFJ型はしばしば自己犠牲を働きやすい。人間関係の内外、敵味方といった垣根を作らないことで、利他や貢献を無制限に行うことになり、最終的にリソースが足りなくなるためだ。
たとえばトラブル事例において、加害や損失をこちらが側が被ったにもかかわらず、相手に損失補償を請求しないとか、その必要がないのに逆にこちらが相手に謝ってしまうという状況になりやすい。自分が我慢することでその場を収めるという判断をNFJは選択しがちだ。
NFJは総じて過剰適応気味で、自分の考えや行動を、他人や環境に合わせすぎてしまうきらいがある。この点はマッチャー・テイカー気質が色濃く出るSTJと対照的で、彼らは往々にして強硬的姿勢を崩さないためビジネス領域ではぶつかりやすい。
漫画のワンピースでいえば、海軍大将の赤犬と藤虎の仲が悪いような感じで、こうした類の衝突は筆者の身にも覚えがある。
まとめ
今回はNF型特有の距離感について考察してみた。NF型の「生きづらさ」は仏教でいう分別智・無分別智における「分別をしない」がゆえの自他境界の曖昧さ、距離感の近さに起因しているように思える。
相手に誤解を与えたり、社会的にふさわしくなかったりして、トラブルの原因になってしまう‥‥‥。どうもそのような印象があるのだ。
年齢や性別、外見や能力、経済力や社会的身分で人を判断せず、内と外、敵と味方といった垣根を作らないのはNF型のいい点だが、状況や必要に応じて相手に「ノー」ということもまた、必要なのだろう。