辺境のオーバー・ザ・サン偏狂感想日記 Ep.69
2022.1.21アップの回。「すべてはグラデーション」、いい言葉。
Aだ、Bだ、Cだ?
会話や仕草から慮ることで、すれ違いや勘違いが起こったりする。
Aと出した話が、Aであるはずなのに返答ではBとなってしまっている。
この、Bに捻れてしまっているのは、当人では正すことはできない。他者でしかできない。
同じ言葉というものを使っているはずなのに、現国や英語の文章題のように正解が用意されていない。
難解だぞ、コミュニケーション。
それでも生きるのだ。
布テック
ブラトップの話から。
自分は何を求めているのか、下着という布に。
テック関係は充分、というのは頷けます。
チクチクしない。
締め付けがない。
大きく見せなくていい。
装飾はいらない。
上と下で分かれているのが面倒なので、ボディスーツみたいなので着脱が楽なのがあるといいかもしれない…。
「下着に遊びはいらない、快適であってくれ給え」という境地に今、立っています。
利潤を追求する企業に頼ってしまっているので、現時点で良いかもと思って使っているアイテムがあっても、廃番や改良(時に改良の皮を被った改悪)で永代に渡るものってなかったりしますよね…。盛者必衰。栄枯盛衰。何をか言わんや。
すべてはグラデーション
まずは受け止めること。
「あなたを思ってのこと」を第一声に引っ張り出さないで、薄っぺらい需要をしないこと。
さまざまな気持ちや境遇を吐露することができるのは、リラックスして委ねてもいいなと思えるスーミカさんの受容の器の大きさ、柔らかさや暖かさにあると思います。
お二人の受け止める力は素晴らしい。まるで城島選手のキャッチャーミットのよう。(小錦関、武蔵丸関もいい)
だから、多くのことを話していきたいと思う方々が集うのだと。(私も含めて)
私は、相手の性のあり方に関係なく人を好きになることに、なぜ過敏に反応したり、藪をつつくように知りたがったり、追求しようとしてしまうのかが気になります。好きなように、その人を生きていいじゃないか。
ともすると、異性愛以外がスタンダードじゃなかったから、知らなかったからということでギョッとしたり、知りたくなってしまうのは割りかし自然な反応だとも思う。
(これはセクシュアリティだけじゃなくて、自身が初めて知覚する対象の多くがそうかと推測する。人類史の解説動画を見るのが好きなのですが、歴史上で現況とは真逆のことがスタンダードだと見做されていたこととか。ギョッとすることは多分に存在する。)
目の当たりにしたその後に、からかったり、嘲笑したり、拒絶したりする行為を第一にするべきではない。
相当の覚悟を持って、心の準備をしてきた相手に対して、脊髄反射で終わらせないで。
まずは受け止めて。自身の気持ちがざわざわと気になるのであれば、正確な情報を発信している機関から情報を取得して学ぶ。
そして、相手と向き合うこと。丁寧にステップを積み重ねていくことが大切なのだと思います。
私は、自らの狭い了見に収まらずに、様々な方と話し合い、時に議論し、分かり合っていきたいです。
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