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辺境のオーバー・ザ・サン偏狂感想日記 Ep.103

2022.9.23アップの回。

餅は餅屋に任せること。
そして大人がやることは、餅屋に殺到する人々の交通整理をすること。これ、一人だけが思っていたり、一人だけが行動していても整理ってできないものですよね……。(思うところあり)声を掛けて巻き込んでいけばいいものの、各々都合があるはずと勘繰り、すんでまで出かけた声はごくんと飲み込まれ、ただ一人動く自分が残るという。そうして、整理しなければとちまちま動き回っている自分だけが損しているのでは?と思うところまでがワンセット。

はなすこと

Ep.103の本回は、実は取り直し分だそうで、テーマにしようとしていた事柄について着地が見出せなかったという……。
それは、"多様性ってなんなんだ?"って話。
石を投げる方向に関しては、不文律で決まっているところもある。(構造としてはっきりしている場合がある。)見方によって変わるということ、固定概念があるということに気付いてしまった美香さん。

スーさん「まだ世の中の結論とか風向きが決まっていない話をするのが、すごく難しい。だけど、それをやる意味はあるんだよ。」

世の中で、従来とは異なる見解などが広まっていく際に持て囃され、スタンダードになっていく過程で見られているのは多面的な中の一部分でしかないことってあると思います。
だから、違和感を感じたり、馴染めなかったり。マジョリティがその一部分が正義!そこしか認めない!(都合が良いからそこしか見ていない)だったら、そりゃあ話していくのも難しくなりますよなぁ。
人数が多くなれば、完全なる共有はほとんどできないもので(例えば伝言ゲームのように)、純粋な一つの定義を振りかざすのではなく、まずは人の数だけ解釈や認知があるということを忘れないようにしたいなと思っています。

マイ・フェア・ファミリィ

最近ガバッと購入した小林聡美さんのエッセイ集を読むことを楽しみとしている。
電車に揺られながら読み進めていると、「五十過ぎたら順不同」と題された章が目に止まった。小林さんの尊敬する俳句の先輩、小沢昭一さんの言葉だそう。(『聡乃学習』幻冬舎文庫)
曰く、50歳を過ぎたら倒れる順番は年齢順ではないから用心すべし。
きっとそう遠くはない未来に、祖母や親は先祖代々が眠るお墓にその名を刻み、星に還っていく。50に満たない我々は、順不同に挙げられてはいないものの気をつけつつ、つつがなく生活を営んでいくのであるが。
つつがない生活も、今現在この世に祖母や親が生きていることを感じられているから続けられているのであって、旅立ってしまったその後を、どういう気持ちで生きていけばいいのかまだ想像がつかない。
不老不死が実現していない世界だから分かっていることなのですが、なんだか年々実家が恋しい、実家で過ごしたい、もっと祖母や親と時間を共有したい気持ちが強くなっています。一生一緒にいてくれや。どうか置いていかないで。
より多くを自分の脳内に蓄積させておきたいから、たくさん帰省したいにも関わらず遠くに来てしまいました。どうしてこないなことに……。自分で選んではいるが……。

本トークテーマにて美香さんが仰っていたスーさんの連載”マイ・フェア・ダディ!”読まねば。

私の手はお釈迦様の手に似ている。

”はたらけど
はたらけど猶わが生活
楽にならざり
ぢつと手を見る”
──── 石川啄木『一握の砂』

美香さんのお釈迦様を思わせる玉手を拝見したいものでございます。
”幸せの黄色い私たち”は配信になりそうだなぁ。

Rei(※)によってなくしたもの

  • 一眼レフカメラ(Reiの仕業…!?)

  • 鍋に火をかけたまま(Reiの仕業…!?)

  • 購入して5日後に天に召されたイヤーカフス

  • 小銭入れ

  • 「あげるね」と言っておきながら、それは既に私の口の中に。

  • 運動能力及び機能(Reiの仕業…!?)

※Reiについて詳細はEp.102をご参照くださいませ。

私もあります、Rei-SHOW体験。
旅先のホテルに置いてきてしまったピアス。問い合わせても既にそこにはない返答を頂きましたが、しっかりと忘れたことを覚えています。これはReiの仕業だとしか思えない。
旅先で購入後、初めて外出先でおろしたおニューのハンカチをその日に紛失。問い合わせても既にそこにはない返答を頂きましたが、しっかりとポケットからこぼれ落ちたことを覚えています。これはReiの仕業だとしか思えない。
Reiのつきまといは歳を重ねるごとに克服することが難しそうですが、もうちょっとしゃんとしたいなぁ。


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