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エイトビート

恐縮です

まっっったくアウトプットが追いついていないジェニーです

突然ですが、マルチポテンシャライトという言葉をご存知でしょうか?

私は子供の頃から「働く人たち」を観ながらワクワクしていて、小3で事務をしていた母の仕事を手伝うとか、中学生で姉のバイト先へなぜか着いて行き和菓子職人さんの手さばきに感動しながら箱作りしたり、ラーメン屋、コンビニなど学生時代のバイトも含めると転職回数30回くらいあります

発達障害と分かってからも数年前までは、なんの仕事も続かない誰とも合わない自分を家族や世の中の厄介者と負い目に思っていました

職場では主に人間関係で鬱になり、やめて、引きこもって、悩んで、でもやりたい事はずっとたくさんあって、吟味に吟味を重ねるのと、やはり人前に行くのが緊張するので、面接をめでたく通過し、入社しても緊張からのストレスで37度以上の熱出るほどで、仕事も真面目に全力投球してしまうので8時間でも限界越えで、残業が当たり前とか、偉いとかの感覚が理解できませんでした

とにかく、仕事に対して、何を優先するか、好き嫌いや、得手不得手、適材適所とか、適職テストとかするも納得できるものはなく

嫌いじゃないし、短期間ならできる仕事もあったのですが、とにかく縛られるのが嫌で、ついでに旅も好きなのでフリーランスが向いていると思っていました

ですが、何のフリーランスになるかを考えてもまたここで一つの肩書きを名乗る事への違和感がありました

やりたい事も行きたい所も会いたい人も住みたい場所もたくさんあって、リゾートバイトで点々としようと思った事もありますが、タトゥーが入っているとダメと申し込みを断られました

日本は大好きだけれど、年齢や性別、見た目、経歴などこだわり過ぎていて、住みにくいとも思い、海外生活も考えましたが、元彼のドイツ人ともお別れしたり、やはり実家に帰れる距離がいいなと思ったり

発達障害支援センターで相談するも、一般的には就労支援施設で経験を積むとか、デイサービスに通ってとか、気の遠くなる話ばかりで、前例のない発達障害者の起業に関してのアドバイスは皆無で、私の夢を理解してくれる人はいませんでした

確かに一昔前なら、私はロクデナシで、社会不適合者で、はみ出し者で、年齢を重ねるごとに日陰生活を余儀なくされるであろう変わり者で

2012年には発達障害と双極性感情障害で、実家で療養生活をするはずが、休まるどころではなく、死にたいけれどチワワんこが居てくれて死ねなかったのですが、わんこが亡くなり、抜け殻になってからも、逆にわんこに自殺はいけないと教えられた気がして、だけれど、生き方が分からなくて、家族の前では平然を装ったり、誰にも相談できなかったり、母親への嫌悪感とかで実家では余計に精神状態が悪くなるし、役所に相談しても、「まずは様子をみましょう」と馬鹿げた事を言われ余計に生きる希望を失いました

誰にも理解されない、どこに行っても馴染めない

唯一の味方はワンコで、その存在はもうなくて

私の生きている、生きて行く意味あんのかなって

私は、スピリチュアル的な勉強も一時期しました

姉ががっつりスピ系で、ぶっ飛んでるのですが、姉には「違う星から来てるから地球が合わないのは当たり前だよね、でも、何かやり残した事はない?」と言われました

やりたい事なんて山ほど鬼ほどあるわ!って思ったけれど、やり方も分からないし、もう傷つきたくないし、悲しみたくないし、自分を責めたり、人を責めたり、人の嫌な所も見たくないし、自分がそう思いながら生きるのも嫌で、辛いのに無理して頑張って努力根性忍耐でって、なんで生きるために頑張らないといけないの?そこまでしても生きる意味がわからないって思っていて、なんなら私は5歳の頃父親を亡くしていて、それから同級生や親戚が亡くなって行く事を経験し、私は明日死んでもいい生き方をしようと生きていて、甲子園にも行ったし、ハーレーにも乗ったし、海外にも住んだし、十分人間を楽しんだからもう満足だ、と思ったり


そんな死んだように生きる日々から、アニマルコミュニケーターの井上さんのセッションを受けて少しずつ自分を許せるようになったり、大好きな人と逢ったり、クロマニヨンズやブラフマンのライブ行ったり、youtubeで斎藤一人さんのお話を聴いた時は一気に救われたと思いました

もしかしたら、人生で初めて、この人の言うことには嘘がなく、終始一貫していて、筋が通っていて、すべての話に言葉が理解できるし、同感で、私も思っていたことを言ってくれて、私は、私の感性は間違っていなかったんだって、初めて認められた気がして、喜びと感謝と、自分を幸せにする修行の始まりになりました


ネガティブだとネガティブを引き寄せるかなと思うのですが、一時期はネガティブをネガティブに受け入れていること自体がネガティブで、ポジティブにネガティブでもいいじゃないかと意味不明な事も思っていました

また、ポジティブでいなきゃ、とか、元気で明るくいなきゃ、とか、こうでなければいけないに縛られているのも自分を追い詰めて病んだ事もあったので、上記のようにも思いました

通常、いい人でいたい、とか、自分が人からされたら嫌な事したくないのもあるし、人に優しくいようって思って、でも、それが行き過ぎていたと、いい人やめよう!と決意してから、今までの自分の中に溜まったドス黒いモノが溢れ出るかのように、道でぶつかる人にチッてなるほど嫌な人全開になって、心の中では自分ってすごい嫌なやつじゃんって思って、それもまた複雑でした

が、結構ここは仮面被ってる人ほど、通過点です

不要なモノ出して、出して、出してから

純粋な自分が出てくる感じです


斎藤一人さんの言う「人間はみんな愛と光なんだよ、だから傷つかないし、誰も傷つける事が出来ない」って、初めはそうならいいなくらいで、実感とか感覚での理解は時間がかかりました


けれども、そうしてゆっくりでも自分を全部許して認めて喜ばせて楽しませて受け入れて、ようやく良い状態キープできてくると、良い情報も入って来て、視えてきて


で、やっと冒頭の「マルチポテンシャライト」という言葉に出会い、腑に落ちたし、希望を持てました


意味的には様々な可能性を持っているって事で、そう言う人をマルチポテンシャライターと言うそうです

好奇心旺盛な私は、日本語では器用貧乏と言えるほど事務系から接客、製造系、クリエイティブ系、日雇いから正社員まで数々の仕事を経験しました

小さい事にこだわるし、流れや仕組みを教えてもらえないと作業の理解ができなかったり、聴きながらメモを取るのも苦手で、また複数の事を同時にできなかったり、優先順位が分からないので物事を覚えるのは時間がかかるのですが、ある程度できるともう飽きてしまうし、馴れ合いの人間関係とかも嫌いなので辞めたくなるか、仕事ができてもパワハラの標的だったり、仕事ができなくてもトップに可愛がられるとそれを僻む人たちから無視されたり、仕事自体が好きでも続かないのです

発達障害の特性でもあるルーティンワークが好きと言う要素もあるのですが、決められるとか、指示されてとか、なんなら命令とか義務とかノルマとかになるともう拒否反応が凄まじく表向きにはなんとか合わせようと思っても精神と肉体に不調をきたしてしまいます

職人さんが大好きで憧れるし、感性を活かすとか、伝統工芸も大好きなので、本物や本質を捉えられているものや人も大好きですが、私には違う才能があり、自由に自在に生きる選択肢があっていいのだと思えました

また、マルチポテンシャライターのエミリー・ワプニックさんの生き方がとても素晴らしく、一つの物事に長けたスペシャリストと手を組む事でまた新しい創造が生まれ、これからの時代の先駆者とも思えました

僭越ながら、私もそうであると思うし、今まで負の経歴と思えた事を全て生きた経験値として、逆に希少的価値になり得ると考え、生きる意味にもなりました

そして、いよいよ時代が私に追いついて来て(笑)、個人の個性を生かし、自由に平等に楽しく生きる事が認められて来ています

「嫌な事なんてしてる暇はないの、人生は短いのだから」

大好きなターシャ・デューダさんの言葉がずっと心に刺さっていて

頭で分かっていても、自分が変わるまで、行動するまで、時間がかかりましたが、どんどん好きな事を生業に生きている人たちを知るたびに嬉しさと少し焦りと・・・

十数年来の坐骨神経痛が今年3月にはヘルニアになり、一挙手一動激痛を伴い、最後に最大のデトックスがありましたが、今はお陰様で1分間なら走れるまでに回復しています

うん

きっとここから本当の私で生きる!

皆様にも、こんな人間でも楽しく生きているし、自分も大丈夫って、世の中捨てたもんじゃないよって思ってもらえたら嬉しいです

今後ともよろしくご愛顧のほどお願いいたします


本日も有難うございました

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