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ヌゲヌゲ

gooooooooodest truest honest morning !!!

ご機嫌いかがですか?

麗しうですか?

麗しゅうですか?

麗せうですか?


日本語って表現の仕方がたくさんですね

どれが正解って、時代とともに変化したり、地域によって違うとか、ミックスになったりしているってご存知でしたか?


時代劇とかで使う話し言葉もだいぶ違うし、日本人とはすごい民族だなと思うわけです

何を尊重してきてこうなったのでしょうか


テレビに出ている人で変な日本語話しているなーって思ったり、一般の人の書くブログとか、ネット記事や、近頃は雑誌でも、たとえ本になっているものでも、おかしくないか?って思う言葉があります

そして、そういう自分の文章も話し言葉も変だったりすることも知っているので、人をとやかくは言えないのです


が、しかし

美しい日本語を残していきたい気持ちはあります

美しい文字や、表現、心の描写、繊細な感性、豊かさや品


以前、DTPを習っていた時に「組版」という授業があり、大好きでした

浅井先生、大好きでした

THE職人さんなのです

「組版」は日本語の、日本人の素晴らしさを凝縮したものだとも思います

雑誌のレイアウトは、それこそ漫画のレイアウトや、お部屋のレイアウトなど、私的には基本的なバランスもあって、さらに個人の感性が加わる部分もある分野です

が、「組版」はまるでかつてのコンバースのハイカットシューズのように、完成された形で、下手に崩しちゃいけないとさえ思います

漢字、ひらがな、カタカナ、ローマ字、英語や、ルビまで入れたら、なんと複雑な世界が、雑誌のたった1ページの中に存在していることか!!!

読まれる文字すべての個性を汲み、美しく組む技術とセンス

しかも、手作業だった時代も知る達人が浅井先生です


私は虜になって、本屋で雑誌を開いては「組版が全然なっちゃないなあ」なんて、ダメ出ししていました

今は文章も、写真も、レイアウトも、コンピューターで簡単にできるようになって、ただでさえ忙しい出版業界、ブラックよりもブラックで、突き抜けたらプラチナ級な世界です


余談ですが、DTPの授業を受ける前に、憧れの雑誌編集者になったことがあり、しかもハーレー雑誌、取材でハーレー屋さんに行けるのがとても楽しくて、嬉しくて、でも緊張しまくりで、ある時ある素敵な素晴らしいハーレー屋さんのオーナーに挨拶をしたら「ヤクザな世界へようこそ」って言われて、意味が分からなかったのですが、ハーレーの世界に対してなのか、雑誌の編集の世界のことか、どっちにしろ、今なら分かります


そうです、その美しい文字の配列を作る「組版」です

ちっちゃい「っ」とか、ローマ字の「I」とか、幅が狭いものは間隔を狭めたり、文章の最後が一行に収まるように工夫して、一文字だけ、とか、「。」だけ改行されないように調整をするのです


新聞や本や雑誌を読んでいても、当たり前過ぎて、さりげなさ過ぎて、気づかないことですが、いかに読みやすく、美しく整然としているかを追求するって、細やかな気配りや、誇りやプライド、創作物への愛があってこそなのではないかと思うと、まさに影の立役者、見えないたゆまぬ努力に感動すら覚えます

それが乱れた現代を嘆いていた時期もありましたが、逆を言えば、ピンキリを見比べることができるので、逆に浅井先生のような職人さんたちの技術をセンスを実感できる良い時代かもしれません


情報がネットで飛び交う時代、どれだけ素早いかが求められ、求められ過ぎて、塾考された内容でなくとも、プロでなくとも、完璧さよりも、正確さよりも、より多くの、より新しい、より未知なことが、いとも簡単に、お金もかけずに、良い加減で発信されています

私はずっと文章を書くことが好きだったし、作家さんや、編集者さんや、何かを発信する仕事がしたくて、アメブロで6年間くらい記事を書いていたこともあるし、インスタもツイッターもしていました

ですが、いつも誤字脱字や、内容の正確さや、伝わりやすさや、見やすさ、読みやすさ、絵文字や写真も使ったり、文字の大きさや色も変えたり、納得いくまで発信できないって思って、いつからか止まっていました

そんな中、時代はどんどんスピーディになって、フリーランスで働く人も増え、一般の人でも、副業でも、ネットでお金を稼げるようになっていき、年齢すらも関係なくなっていき、焦る気持ちや、不満や、悔しさや、自己否定や、嫉妬が渦巻いて、生きることすら苦しかったです


そりゃあそうです

溜め込むだけの人生でしたから・・・


そして、あるとき目にした「未完成でも発信していい」って言葉が気になって、そうなの?!って想いから、そうかも!って思えて、とにかく発信していくうちに鍛えていこうって思えたのです

実際、こんなに考えていますって、何年も考えていますってアピールされても、「それで?」ってなると思います

それはすごいねって褒めてくれるのは、優しい友達くらいです


つまり、どれだけ考えているかより、想っているかより、どれだけ行動しているか

行動しなきゃ世の中的にダメというのではなく、アウトプットした方が自分が幸せになれると私は思いました


頑張っていない人なんていなくて、普通に生きるだけで大変だし、何歳だろうが、何人だろうが、それぞれに平等に燃やしているものがあるはずです

人間の体だけで見ても、食べ物を食べて、消化するのにもエネルギーが要ります、排出するのにも腸の運動が必要です

食べるだけ食べて出せないって苦しいに決まっているのです

食べない人もいるかもしれないのですが、酸素を吸って、身体中に行き渡らせて、また吐き出しています

息を吸うだけで、出すなって到底無理です


でも、少し表現が難しいのですが、私はあまり「がんばれ!」って言われるのが好きじゃなくて、なぜなら言われなくてもしているからで、いくら私は怠け者に見えていても、私なりの努力をしていて、精一杯生きていて、むしろ頑張らないと生きられない人間でした

だからこそ、心も体も壊したので、「がんばらない」って決めて、人にも「がんばって」って言いたくなくて、去年亡くなってしまった野球部の先輩にも、何年も闘病してきたのも知っているからこそ「がんばれ」って言えなくて、だって、もう十分誰よりもがんばったのに、寿命とは残酷にもやってくるわけで


大好きになった人がいても、どんなに、誰より想っているのに報われないこともあって

親が子供のためにって、昼も夜もがんばって働いていて、あれもこれも我慢して、喜ぶだろうと思って料理をしたり、プレゼントをしたり、それでも子供に「うざい」って言われたり

その逆もあるし、愛情が欲しいだけなのに、親は自分のことしか考えていないとか、非難や罵倒しかされないとか

痩せるために頑張って走って、食べたいもの我慢してたら、心も体も疲弊して、友達もいなくなったとか

サービス残業して、睡眠もろくに取らずに、嫌な上司にもへつらって、生きるために、生活するために、家賃払うために、働いて働いて、死んだ目をしながら満員電車に乗せられて、思考も感覚も止めて、ロボットみたいな毎日とか


努力って、必ずしも報われないし、誰かに言われた通りにしていたからって、頑張ったからって何になるのか


風の時代の始まりと言われる今日この頃、私は、自由に平等に好きなことをして生きられる、自分の時代がやっと来たーって単純に喜んでいたのですが、どなたかの動画で、「がんばらなくていい」とか「努力しなくていい」って表現が引っかかって、確かに自分もそう言っていたのに、何でこんなに違和感が???

と、思ったら

何と、自分が嫌だったことの裏返しになっていたからなのです


本当に日本語って難しいのですが、「がんばる」って言いたい人もいるし、言われたい人もいるし、好きなことをしただけなのに、周りから見たらがんばっているって思われるし、それが、いつからか、「がんばらなきゃいけない」みたいになったのだと思うのです

そして、それに見合う評価をできる人間の数が減ったと思うのです

方向性を間違えていることと、みんなに余裕がなくなっていて、みんなが不満で、ちょっとずつ闇が大きくなっていったというか


だって、実際浅井先生のような読み物を作る人たち、文章を書く人たち、情報を集める人たち、文章をより実直に校正する人たちの努力や苦労は無駄ではないし、知的財産や、文化遺産レベルの価値があると私は思います

出版物以外でも、戦後を生き抜いた先輩方や、もっと前の武士とか、もっともっと前の縄文人とか、凄過ぎるほどにがんばって、素晴らしい文化や伝統も残して、有難い今があると思うのです


私のような、双子座のような風の星座っぽくない、地の星座さん、牡牛座や乙女座や山羊座さんのような地に足のついた、着実で、コツコツと積み上げる才能や、安定感は、それはそれで大事で、これからも必要な存在で、同じく等しく認め合えるのが、これからの時代だと思ったのです


「〇〇だからダメ」って、入る言葉が入れ替わっただけでは、今までと一緒で、進化ではないし、成長でもないし、何も気づいていなくて

戦争を体験した人たちは「戦争は絶対ダメ」って知っていて、壮絶な体験をしたからこそ頑張れたのかもしれないけれど、おかげさまである意味平和に育った人には、自分の痛みもない人には、人の痛みが分からないから傷つけることもあって

劣等感だけがあっても、自分も人も愛せていなくて

分かりにくいかもしれないけれど、相手が人だろうが会社だろうが国だろうが責めるよりも、どうしたらお互いが幸せなのかの追求をする方向に変わって欲しいです


長くなってしまい申し訳無いです


私は努力する方向が分からなくてずっと悩んで来たので、間違った方向に努力することも自分を知るには大事だと今は分かります

だから、むしろ、がんばってもいいし、努力しても、苦労してもいいじゃないのって思います


それが本当の自分で、大好きなことなら、やらない後悔より、やって後悔する方が良いのです

失敗したら、そこから学べるし、今度は自分が誰かに教えられるかもしれないし、失敗してしまった人を励ませるかもしれない

失敗した人だからこその説得力ってあると思うのです


自分で決める

自分を追求する


誰だって傷つきたくないから、生きれば生きるほどに、どんどん仮面や鎧をまとってしまうけれど、どんどん剥いで脱いで削いでいくうちに、ピッカピカの純粋な可愛い自分が出て来て、その姿は、誰でも平等に愛おしい存在なのだと思います


ぜひあなた様もご対面を!


ちなみに、私はやっぱりワンコといる時に素の自分になれます


最後までお読みいただき有難うございました♪


藤原竜也が大好きなのですが、「青のSP」でのセリフにもグッと来ました

「ライオンにはなれなかったけど、まあまあの人生だけど、それなりに楽しいよ」

振られた子の気持ちも分かるけれど、自分の人生は全部自己責任、誰かや何かのせいで不幸になんてならなくていいし、人を好きになれるって素晴らしいことだって思います

仕返しって、自分にまた倍々返しで来るから、努力の方向が違うのです


大丈夫、すべてはうまくいっているから


天国言葉を忘れずに


明日も生きましょ〜⭐︎

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