ねこ肯定感と他者への理解
『耳から入る言葉は相手へ向けた言葉でも脳は自分に向けられた言葉のように感じる。』らしい。
猫を褒めると自動的に自己肯定感があがるよという話聞いたことがあるなと思い出しました。
たしかこの辺の話だったような。
他人への罵倒でも嫌な気分になるのはわかりますし聞いている周りの人の仕事の効率が落ちるなんて話を聞いたことがあります。
それなら、かわいいね。偉いね。という思ったり口に出した方が自分の周りが優しい世界になるのかも。
猫を触るとき「かわいいねえ」「偉い」「お利口さん」などはよく言います。
様子を眺めながら思うことは、
お水飲んで偉い
かわいいかわいい助けて
あったかい、柔らかい
ずっと触ってたい
そこで寝るの??
ごめんごめんごめん
ありがとう
曲線がすき
美しい生き物だなあ
おててをパーにするのが上手
ごはん、おいしかった??
触り心地が違うなあ
耳の付け根の裂けたところつい見ちゃう
賢いねえ
ねこ優しくてうれしい
ストレスがふぁーってなる
ねこだねえ
などですね。
「お水飲んで偉い」は、猫は生態から腎臓を悪くしがちであり自らケアになる行動をサボらずできていて偉い。ということなのですが、人間も何かに集中して水分をとるのを忘れるタイプの人、お茶は飲むけれど水を飲むのは苦手な人などもいるようなので本当に偉いことなのかもしれないと最近思うわけです。
「おててがパー」は私は芸術系の趣味をいくつか持っているのですが、もしかして私って器用なほうかもと思うようになりました。
猫に思うように人間にもいいところを見つけられたら、生態に面白いと感じられたら人間や自分への許容範囲は増えたりするのでしょうか。
私のキュートなルーズスキンにも役割があるってこと!?と言いたいところですが、もう少し健康に気をつけた方がいいんだろうなあ。
猫だったとしても獣医さんに「ダイエット頑張りましょうね」って言われちゃう状態なので。
お医者さんに「ね」をつけて言われたらもう、ね。
猫の様にしなやかで美しい身体をもてるようにちょっと頑張ってみようかな。