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Alexandra Grimal Daysuke Takaoka duo

昨夜はAlexandra Grimal(ss) 高岡大祐(tuba)
本八幡cooljojoでした。
ありがとうございました。
実に19年ぶりの再会と共演でした。

今年彼女から突然連絡が来て、上京して能の勉強のために東京に滞在すること、その間にできれば共演したいということで。彼女と出会ったのは僕がブリュッセルに半ば暮らしながら長滞在していた頃、友人たちの紹介でした。明るく賑やかな友人たちに囲まれていたその頃の中では、若く冷静で落ち着いている雰囲気が印象的。

当時彼女の演奏を聴いた感想がどうしても日本語でしか思いつかなくて、
「淡々」Tantanという言葉と文字を伝え、ひとつひとつの意味を説明し、自分なりに印象を言語化して伝えたことを、かなりはっきり覚えていて、19年ぶりに再会した彼女もまたそのことを強く覚えていました。

大きな変化ではなく、静かにそれでいて確実に変化し続けている自然現象のようなもの、抑制がきいていてそれでいて冷たくない、とても好ましいもの。漢字のパーツは、水を表す氵と火が2つ重なった動き続ける炎を表す部位で構成された、とても不思議なものであること。

僕の英語力はどうしようもなく低いのですが、普段から日本語で口から発する前に、言葉の意味を一つずつ考えて話す傾向があるので、こういうことだけは何とか伝えられる。

久々に出会った彼女は、あの頃よりコロコロ笑い転げる可愛らしい人になっていた。ほんのちょっとしかあっていなかったし、久しぶりに会うし二人だけで英語だけで過ごすのはやっぱちょっと自信ないな、とか思っていたけど、全然大丈夫だった。

近所の定食屋で彼女は味噌ラーメンを僕は瓶ビールを。麺を口に運ぶよりも会話している時間のほうが多い。今習っている能管の素晴らしさと難しさ、毎日のハードな勉強時間。大変そうだが充実しているのが伝わる。

1部はお互いのソロから。ダイスケからどうぞ、ということで僕から。うーん、何も考えていない。今回は改造621生一本。
小細工感の全く無い彼女の音に触発されて、今までやってみたかったけどやったことのない、もしかしたら誰も楽しめないかもしれないと思っていた、長い音から。
音色だけで音楽を作ってみたかった。

自分の出した音が、次に自分が出す音の触媒になる。この音の次は、こうなるのか、と自分を観察しながら演奏するというには、それほど冷静でもない。コントロールしている気がしない。まるで他人だ。いい感じだ。
自分の即興ソロ演奏の良し悪しというのは、なかなか口に出来ない。いいも悪いも、自分そのものなので、ただそれだけ。

続く彼女のソロが、またとても良かった。
昔聴いた頃の演奏を突如思い出したし、今彼女が奏でている音との違いも体感した。大きく見せるような演奏ではなく、かといって自分は自分という過度な内省もなし、これが私だ、もなく、その時の彼女そのもの、という感じ。

2部はデュオで。やる前に、ものすごく楽しみにしていた。これはなにかが起こりそう。

早々に彼女が歌い出したのには、ちょっと驚いた。ただ単に知らなかっただけなのだが、ソプラノサックスと印象は近いが、普段の話し声と全く違うなにか。
個人的に、ものすごく好きな声質。うわあ、やられた。
聞き入っている場合ではない。

お互いに譲り渡すように、どちらか一人だけ演奏している場面も多く、それがなんの違和感もなく、自然だ。
真ん中後半くらいか、また彼女が歌い出したときに、自分も歌ってみたくて声を出してみた。
伴奏ぽくしたり自分らしい声で歌うの気にもならなかったので、彼女が歌う声質に似た声で、彼女が歌う音程と旋律を瞬間的に捉えて、ほんのコンマ秒遅れて斉唱するように、歌った。
後で聴いたのだが、それは1997年のインド映画の中で歌われていた曲だったそうで、彼女はてっきり僕がその映画を見て曲を知っているのだと思っていたらしい。いや、全く何も知らなかった。
自分でいうのも変だが、極集中すると、発音した瞬間に同じ音を追えるので、声なら出来る。tubaでも少し生かされている力。
相手の音を瞬間で受け取り、一瞬で同調できるくらいになれば、そうではない別の共演にも、良いはずだ。これは即興でもなんでも、特に歌ものと共演するときに威力を発揮する。

しかしまさかこうして彼女と共演するときになるとは思わなかった。ただ単に、彼女の歌が素晴らしくて、一つになりたかっただけだったのですが。
そうしてまたサックスとtubaになって、一つになり遠ざかり螺旋になり捻じれ離れ、消え、浮かび、終わる。

終わった瞬間から、物凄い充実感を感じた。

嬉しいなあ。
こういう為に、今まで演奏してきたのかもしれない、って感じ。
演奏の音量、ボリュームやダイナミクスに関しても素晴らしい時間と経験を持てた。もっとも自分に無理のない、声のように抑揚をつけられる演奏、共演。
これは、前日の松本さんのアンサンブルで耳を鍛えられたのも成果につながったかもしれない。感謝。

終わった後はみんなで話したり、特にバカ話で笑いこけたり。ああ、楽しかった。彼女は今日から2公演を終えたら日本での演奏はおしまい。
ほどなく勉強も終えてフランスに帰るらしい。

自分にとってかけがえのない共演だったので、またやりたいし、今回は久々だったから二人にしたけど、今僕が親しくしている周りのミュージシャンたちを沢山紹介もしたい。
またすぐね、と挨拶をして別れた。

会場を出て家に帰るまでも帰ってから晩酌していても、寒い冬に体が温まったときのように、ふわふわと音楽的な多幸感が抜けない。あまりやってこなかった自分の演奏自体にも、興味が湧いた。


外国人がよく知っている日本語をもとの意味とか変な解釈で伝えるのが好きで、このときもやってみた。

ARIGATO 有り難う
というのは、有るexist と難しいdifficult が組み合わさった言葉で、
今ここに有ることは通常ありえない(存在するのが困難な)ようなことなのだけど、あなたのおかげで存在し得たのです、なので私はあなたに感謝を伝えます。

It was difficult to exist but it existed because of you.
and I want to tell thank you very much.


無茶苦茶だったとしても構わない。
これをいうと大抵、伝わるのですから。

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