2022/11/06 豊橋Jazoul 2周年記念 高岡大祐tubaソロライブ
昨夜のライブ後、店主の加藤くんに「このまま死ぬんじゃないかと思った」といわれましたが、まだ生きています。ごめんなさい。昨夜叫びすぎて流石に喉が痛い。まあこれもライブのおかげ。
何も知らない状態でお店の2周年だからと来てくれた人達、よくぞ最後まで聴いて楽しんでくれましたずら。CDも売れました。聴いて買ってくれたなら尚良しです。
循環呼吸してなくて吹奏音が切れている間はほぼ全て歌っていました。声は息を吸いながらでも出るから面白い。ボビー・マクファーリンみたいに基本的には演奏中は頭や体の中にずっと音やビートが流れていてそれをtubaを中心としたもので具現化していくのですが、息してないと音は止まるし体と楽器は一つしかないから大層忙しいのですずら。
そこにある環境で音が出るものはすべて利用します環境利用格闘術みたいな。昨夜はドアがいいビート奏でた。
あと例のtubaシンセ化も初挑戦。アンプを使わずにシンセの音がtuba本体から出ます。なんのこっちゃい。電気は使ってますがアンプとかエフェクターとかは使いません。
それにしてもあんなライブはやったことがなかった。よく歌ったし叫んだが、それもまあ即興、その場の思いつき。tubaは鼻歌のように吹いているので、声の代理でもあります。
そういえばエレキギターのディストーションとかは、元々サックスの叫ぶような音色からきたという話があります(本当かは知らない)。サックス、特にテナーは叫ぶ楽器だと思います。自分も叫びたいがtubaは間抜けな「ボエ~」という音しか出ない。ジャイアンリサイタルかよ。可能な限り叫び、それでも足りなければ実際に、声を張り上げて叫べばよいのでしょう。それをやった。人間のというよりも、獣の声が良い。
久々にさとこさんが来てくれたのも嬉しかった。ああいう演奏になったのはきた人や今までの色々なことが作用したのも、あります。
全力のからっけつになるまでノンストップソロ一時間、かける2のソロライブでした。
しかし加藤くん、いいやつかけますね。こんな音楽が豊橋で受け入れられているとしたら、すごいことだなあと思った。この攻め具合、そして洗練というよりも泥臭さの入り混じった、濃さ。
「あなたたちのおかげのこうなりました」と言われたけど、そうなら大阪時代の音楽仲間たちとの交流はあながちあのときだけのものではなく、こうして受け継がれているのかもしれませんね。
大阪で蒔いた種が、豊橋で芽吹いていた。
今回も会場泊まり。起きたらまた初めての天井。そういえば昔は毎日こういう暮らしをしていた。ホテルなんかには泊まらないで、演奏し尽くして飲み尽くして眠れればどこでも良かった。またこういう旅ができてとても嬉しい。
来年はこういうことをもっと増やしていきたい。
自分も歳を重ねた。いつまで生きていられるのか、来年の今頃まだこの世にいるのか、これを見ているあなたがその頃まだいるのか、誰にもわからない。
自分にとって、生きているというのは、tubaを吹いているということとほぼ同義だ。これがなければ、生きていないのと同じだとも言える。
自分のすべてを燃やし尽くして、また再生するこの繰り返しを、本当に燃え尽きて朽ちてこの世から消えるまで、やっていきたいな、と思います。
来年からの予定が全くの白紙状態。
もし誰か聴きたいという人がいれば、そこまで行きます。ライブハウスがない、会場がない、全く問題はないです。音さえ出せれば、僕はどこでもライブができます。もし一人でも聞きたい人がいたら、そこに行きたい。
もうどう考えても、自分の人生は残りのほうが少ない。やりたいことをやらないと、やってられない。
小さなつぶやきのような音から叫び声まで、メロディもリズムもノイズも出したいことはすべてを出し尽くしたい。そんな気持ちです。
さあ今日は一日ここにいます。
豊橋とその周辺を楽しんで明日帰ります。