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すべてを理解してもらおうとしない
時折お客様との話題の中に、「家族や友人、パートナーには自分の全てをさらけ出したい」と伺うことがあります。
確かに、大切な人だからこそ共有したいことってあります。感動を分かち合えるって、とても素敵なことですよね。
情報も、共有することで価値観を擦り合わせて、同じ方向を向いていけるものです。
でも、なかなかそうはいかないのも確かで。
相手の賛同を得られなかったり、話を聞いてもらえなかったりということは、やはりあります。私も過去はそれで、なんとなく寂しい気持ちになることがありました。
でもよくよく考えてみると、価値観が自分と完全一致する人なんて、まずいないと思うんです。
逆に相手から、自分の価値観に「全て」合わせて欲しいなんて言われようものなら、私はおそらくイヤすぎて発狂するだろうなと笑
通じないものは、通じないのです。
だから私は、人によって話す話題を変えるようにしました。
たとえば仕事の話は〇〇さん、趣味の話は〇〇さん、アニメの話は〇〇さん、人生観や相談ごとについては〇〇さんなど、同じ思いを共有できそうな話題を、それぞれの人と話すようにしたんです。
お互いに楽しく、建設的な話を共有できるため、相乗効果でいい関係性を育めたように思います。
近しい人には、もっと私の考えていることや好きなことを分かち合いたい…という気持ちがないわけではないけれど。そこに淡い期待を抱くのをやめたら、気持ちがラクになります。
自分を尊重し、相手を尊重する。
そこに尽きます。
特定の相手に全ての理解を求めない。
相手の「余白」をぎゅうぎゅうに敷き詰めないよう、大切にする。
そういう愛の形もあると思います。