正しさの正体
日常生活で直面するさまざまな問題を通して生き方を考えて成長して行く物語(”君たちはどう生きるか”)。生きていれば人との関わりは常で、相手を思うがう故にちょっとした嘘であったり、自己の立場を固辞するが故に
周囲に関係なく深く思案できずについた一つの嘘が、蟻の一穴のごとく大きな組織を揺るがすまでに展開し未だ着地点が見つからず…それはともかく、同じ状況に置かれた場合、果たしてどれだけの人が得体のしれない世論が求める”正しい”判断ができたのであろうかと甚だ疑問です。倫理的・道徳的な正しさという正論を盾に事実や背景を知らない者たちが、”正義”の御旗を掲げ、いとも簡単に相手の倫理感に干渉できる気味の悪い世の中になってしまいました。ひと昔てわあれば、エイヤァーと一挙両断で大きな問題にまで行きつかないだろうと思うばかりで”時代が違うから”というのもごもっともなことですが、時代が違えば結論が異なるという事自体が、倫理的・道徳的な正しさの怪しさを表しています。
絶対的な正しさと思われている「人を殺めるのは悪いことである。」これについても有名なトロッコ問題をどう考えるか、つまり背景によって正解はないのです。——————————————————————————————————————————
トロッコ問題:「暴走する路面電車の前方に5人の作業員がいる。このままいくと電車は5人をひき殺してしまう。一方、電車の進路を変えて退避線に入れば、その先にいる1人の人間をひき殺すだけで済む。どうすべきか?」……つまり「5人を救うために1人を犠牲にすることは許されるのか?」という問題である。※(電車は止められず、線路上の人たちは逃げられない状況とする)
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生きていく中で、スケールは違えど上記のような究極の決断を迫られる時があるかもしれません。そんな時は、正しさを求めるよりも自分の納得する生き方をしたいと思いますが、それすらも解の一つです。”皆さんはどう生きますか”。
完全なる正しさや正義なんてないさ。
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