たしかにそこに「ある」ものを「見る」
「近代は欠乏を煽って成長してきた。」と思う。
これが足りない、あれが足りない、と。
テレビや雑誌、お店の店頭では、これがあれば便利、これを足せば健康になる、美しくなる!のオンパレード。
ある程度原始的な病気は防げるようになり、人口も増えると、あとはどうやって経済発展したらいいか。
それは、人に欠乏感を与えて、その欠乏部分を埋めるモノを買ってもらうこと。その埋めるモノをせっせと作ること。
食べるものを、着るものを、見るものを、そして情報を。
だから我々は「ある」ということよりも「ない」ということに注目する悪い癖が付いてきてしまったのだと思う。
「ない」ことを突き詰めて行くと、キリがない。究極、脅迫的な感情まで行き着く。
それがきっと心や身体を蝕んでいる。
足りない。足したい。欠けている。満たしたい。
でも本当に足りていないのだろうか。
今あるものはきちんと捉えられているのか。
あることを蔑ろにして欠けた部分ばかりを見ている。
だから現代人は「お腹いっぱい」なのだ。
お腹いっぱいであるのに、さらに入れようとする。
そしてはち切れるに決まっている。
はち切れたときにやっと気づく。
スピリチュアルな本に、今ある現実に、今あるものに感謝しなさい、とかよく見かけるけど、そういうスピリチュアル的な思考でなくとも、自明の理なのだ。
足りないと思うことは、不安を生む。
不安を煽る。
不安は実態がない。
一方で、「ある」と思うと、しっかり地に足をつけられる。
力が湧く。
自分を肯定できる。
今あるもの、状況をしっかりと見られることが大切では?
多分色んな情報が飛び回り、過多になり、却って自分の置かれた状況が見えづらくなっているのではないか。
そういう意味での様々なものの断捨離というのは、非常に理にかなっていると思う。何でもかんでも際限なくミニマムにする必要はないのだけれど。
もっとシンプルに。
もっと本質を見ていけたら。
幸せの基準も、健康の基準も、毎日の感覚も、いろいろと変わってくるのだろうな。
新年度に向けて、新元号になる時期に向けて、今こんなことを思っている。
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