この時代を意識的に生きる&セス・ブックのご紹介
はじめてのnote 執筆になります。
「何から書き始めようかな?」と迷ったのですが、どこかの媒体にUPしようと思いながらあたためていた “セス” という存在に触れてみたいと思います(私の経験も含んだスピリチュアルな話になります)。
【「世界は一体どこに向かっているのか?」→「これから地球は、いままで経験したことがないくらいの大変化を迎える」】
最近「世界は一体どこに向かっているの……?」といったニュースが増えてきているように感じます。
私はニューエイジ(スピリチュアル)と言われる精神世界に関わるようになった25年ほど前から「これから地球は、いままで経験したことがないくらいの大変化を迎える ※」と耳にし続けてきたので、昨今の世界で起きていることに対してそれほど冷静さを失っていなかったのですが、時々揺れそうになると「この時代を意識的に生きる」という言葉に何度も返ってきました。
(※上記の話のひとつとして、参考になりそうなフリーオーディオがありますので、ご興味のある方は一番下の “おまけのご紹介” のリンクを追ってみてください)
もともと、精神世界の用語を使っても使わなくてもこのメッセージは発信し続けてきたのですが、“自分の人生を創造すること” に意識的になると「わけのわからないものに、ただただ翻弄されてしまうのではないか?」というような不安が減少して、この世界にいることが楽になってくるのではないかと思います……少なくとも私はそうでした。^^
昔の私はもっとベースのテンションが低いのが普通だったのですが、いまは多少の波はあっても “わりと機嫌がいい” 状態を基本としつつ、むやみに自虐には走らないでいられます(←常になんとなく重かったあの感じを振り返ると、同じ人間でもずいぶん変わるものだなぁと思います)。
【ジェーン・ロバーツがチャネリングしていた “セス”】
今回ご紹介したいのは、1960年代から80年代にアメリカ人のジェーン・ロバーツがチャネリングしていた “セス” という存在です。
セスはジェーンを通して、私たちが肉体を超えた存在であることや、私たちの思考や観念が現実を創ること、物質を超えた次元についての多くを教えてくれました。
セスの言葉はジェーンの夫のロブに書き留められ、多数の本になり、日本でも翻訳本が数冊出ています。
「セス・マテリル」「セスは語る」「個人的現実の本質」(ジェーン・ロバーツ著、ナチュラルスピリット刊)
2000年代の中ごろ、私は当時の恋人と一緒にコロラド州で開かれたセスカンファレンスに参加したことがあり、会場が自由に満ちたやさしい空気に包まれていたのを覚えています。
私は特定の思想グループには属しておりませんが、基本的に「自分が自分の現実を創造している」というスタンスの人たちとは、さまざまな距離を越えて共鳴するところがあります。
また、私は結構前に “The Individual and the Nature of Mass Events” (Amber-Allen Publishing 日本語未訳)という本を購入して読まずにいたままだったのですが、数年前のコロナ禍に読みたくなって開いてみると、天災や疫病、戦争やカルトに至るまで大衆レベルで経験するような出来事についての情報がたくさん載っており、私が生まれる前や赤ん坊のころに口述されたメッセージが夜中も救急車のサイレンが鳴り止まないような状況下でタイムリーに響きました。
セスは同書の中で「人はそれぞれ理想を持っており、それらの理想は衝動(内なる推進力)によって、自分自身と社会の両方を満たすような独自の発展の道へと自然に導かれる」と何度も述べており、この言葉は暗いニュースが飛び交う世界において、希望の灯になるのではないかと思います。
(原文のひとつをそのまま載せておきます↓)
もちろん、ほかの言葉と同様に、セスの言葉も絶対的なものとして取り上げたいとは思いませんし、いろいろな考え方があるので興味のない方にすすめるつもりはありませんが、人間の力を奪ったり、被害者意識を助長させたりしようとはせずに「あなたがたは自分で想像するよりもはるかに無限の可能性を持っていて、その力をどこに向けるかは自分で決められるのだ」と応援してくれる存在たちがいるのは、とても勇気づけられることだと感じます。
【理屈には当てはまらない感覚を使いこなす!……五感を超えた世界に目を向けると誰にでも開かれてくるもの】
ちなみに、この記事のトップの写真はセスカンファレンスに行ったときに打ち上げで当たった思い出のウィジャボードです。
このボードはセスが好きな方によって作られたもので、景品として並んでいるのを一目見て気に入ってしまい、「あれが当たりますように」と祈っていたら、めでたく手元にやってきてくれました☆
直観力のセミナーでもお話ししたことがありますが、こういったツールは時間や空間を超えたところから特定の情報を意識的に引き出す道具として役に立つことがあり、それは現在の自分の視点や状況にとらわれていないメタな私とよりつながる感じです。
私はピンポイントの情報が欲しいときに、余計な思考を遮断するような形でコインを振ったりすることも多いので、こちらのウィジャボードはもっぱら本棚の飾りになっているのですが……。^^
以前ブログなどにも書きましたが、2019年の12月に調べものをしているときに、「2020年は、クルーズ関係には一切関わらないほうがいい。一切手を引いたほうがいい。問答無用でBACK OFF!(手を引け!離れるんだ!)」と強く感じました。
(そのときには理由がよくわからなかったのですが、年が明けてコロナのニュースを耳にするようになってから納得しました)
こういった理屈に当てはまらない感覚は、自分に関してはほぼ外すことはなく、まれに外したと感じるときには “自分が欲しい答え” を出してしまった感があったり、そのときに必要な何か別の情報につながっていたりすることがほとんどです。
(また、明らかに自分の調子の悪さでぶれているときには、その大元を見直すようにしています)
ただ、脈略がなさ過ぎるために、むやみに他者を巻き込まないように気をつけており、また、依存につながる懸念もあるので、セッションに来てくださる方の “Yes or No” をこちらで出すことはしておりません。
私の望みは、私に正解を聞きに来る人を増やすのではなく、ご自分を信頼しながらご自分自身の答えを見つけられるようにサポートすることなのです。^^
……ではなぜ敢えてこういったことを、ここに載せているのかというと、「このようなことは人間にとって全く特別なことではなく、五感を超えた世界に目を向けると誰にでも開かれてくるものだ」とお伝えしたい思いがあるからです。
そして、実は既にあまり意識しないまま自分だけにわかるようなサインでいろいろなことを知覚している方もいらっしゃると思いますし、ビジネスなどで勘のようなものとして使っている方も多いと思います。
【私の場合……なぜ精神世界を意識するようになったのか】
何度かブログやセミナーでも触れておりますが、私が精神世界を意識するようになった経緯を記しますと、私は20代の前半に、頭の中で自分を導く声(半分自分、もう半分は自分が意識するところの自分ではないような自分!?)が無視できないほど聞こえるようになったことがありました。
そして、それが気のせいや妄想などと笑い流せるようなレベルではなく、非常に当たるのです(……と書くと「大丈夫なの?」と心配なさる方もいらっしゃるのではないかと思いますが、つけ加えておきますと、決して自分やほかの人を脅したりするような声ではありません)。
たとえば、まだスマホのない私の学生時代には語学の授業に分厚い辞書を持って行ったりするのが常だったのですが、英語の授業を受けている最中に単語の意味を調べるのがほとほと嫌になって「もう辞書を引くのは嫌だよ~。手が疲れた……」と強烈に思った瞬間がありました。
その日の帰り道、「こっち。こっち」と頭の声に呼ばれだしてデパートに入り → さらに「こっち、こっち」と言われたエスカレーターに乗って →「ここで降りて」と言われたフロアで降りて →「こっち。こっち」と導かれたのは文房具屋さん、の前にあるワゴン。
そこで「はい。ここ。これ買って!」と言われて目にしたのは、当時はまだそこまで一般的ではなかった☆電子辞書☆
それまで電子辞書というものに、全く馴染みのなかった私は「ふぅん。こんなものがあるのかぁ」と購入し、それから英語の学習がスムーズになりました!メデタシ、メデタシ☆……などといったことが日常的にたくさん起き始めて、どうにも無視できない感じなのです。
あまりにもそういうことが続いたので、「どうして先のことがわかったり、離れたもののことがわかったりするのだろう?」という疑問が生まれたのですが、さらにその声に導かれて精神世界の本を手に取るようになった過程で、このようなことがあるのは、深い部分で全てがつながっているからで、通常の自分が知覚しているよりももっと多くのことに通じている自分がいるのも全く不自然ではないのだと腑に落ちたのです。
そしてさらに、自分の意識を向け(続け)たもの(それと呼応するもの)がこの世界にぬっと出てくる体験を繰り返す中で、時間や空間も重なり合う多次元の世界で「自分が経験する現実を、自分で創造している」という言葉は文字通りの意味であるのだとつくづく感じるようになり、何かがあったときには、自分と対象(や、その背後にあるもの全般)との関係を見直すことによって、楽になったり物事が改善していったりするということも知りました。
また、精神世界やスピリチュアルと名の付くものもさまざまで、「いわゆる宗教や目に見えない世界に限らず、カルト的なものに引き寄せられやすい人と、そうでない人の違いはどこにあるのだろう?」という疑問を抱くこともありましたが、いろいろな事例を考察しながら、当人に支配する / されるといったマインドやヒエラルキーを前提とする意識があると、そういうもの(情報・場・人も含めて)に引きつけられやすかったり、また、自分もその構造を作ってしまいがちになったりするという見解に至っています。
そして、上記のような視点から、情報とは一方通行で伝わっていくものではなく、どのような情報に引かれるか・呼び込むかも自分次第というところがあり、実は何かを強制的に広めることはできないとも感じています。
(さらに、やってきた情報が自分にとって必ずしも有用・真実とは限らず、不安や恐れを抱いているために、それらを増幅させるような情報と引き合っているケースも考えられますので、そういった際にはその情報を「自分にはこのような恐れがあったのか」とチェックする機能として使い、その恐れを手放して新たな可能性や世界に目を向けていくのもありだと思います)
【この時代を生きるうえで心に留めておきたいこと】
いま、これを読んでくださっている方と、この文章がどのような引き合い方をしているのかは計り知れない面もありますが、願わくは少しでも進化や成長のお役に立つといいなと思います。^^
またさらに、この時代を生きるうえで心に留めておきたいことは以下になります。
☆この時代に、この地球で生きていることは誰しもが偶然ではない
☆誰もが自分の中に、世界に貢献できるような力を携えている
(こちらは、先に挙げたセスのメッセージとも重なりますね。^^)
☆誰かのサポートをしたり、教育に携わったりすることは、相手が持っている本来の力を引き出す(思い出す)手伝いをするということ
☆なんだか自分らしくいられなかったり、生きづらかったりするときには「“他者の目や特定の枠組みの中で良いとされている(と自分が思っている)こと” にあまりにも合わせようとしすぎていて、本来の自分を殺していないか?」なども振り返ってみる
もしもそうしているのに気がついたら、少しずつでも調整していくと楽になることも多いと思います。
☆自分を活かそうとすることも、「自分を痛めつけるのをやめる」と決めることも、大きな意味で人類のためになるのだと意識する
☆前の世代から引き継いだ、もう役立たなくなった価値観があったら、自分のもとでストップする
☆「目的のために、手段を正当化してはいけない」ということも忘れない
せっかくですので、さらにセスの言葉 “The end does not justify the means.” も加えてご紹介します!
セスは上述した本の中で「世界を良くしたいと望みながら、目的のために手段を選ばなくなってしまったら、あなたは理想主義者ではなく狂信者である」とも語っており、これは戦争も起きている今日、忘れてはいけない言葉になるのではないかと思います。
よろしければ、さらにこちらもお読みください。↓
☆他者の存在に敬意を払う
いろいろな “やり方” や “道” があるのが自然ですので、「自分からはどんなに遠回りに見えたとしても、その人にとっては必要な経験もある」ということを忘れないでいる
(けれども、明らかに自分が被害を受けている場合には、ただ我慢していればいいというわけではなく、当事者としての立場から状況の改善に向けて動いていったり、距離感を意識したりすることをおすすめします)
☆わからなくなったら、何度でも愛(無条件の愛)を基盤に考える
そこに目を向けることによって、見えてくるものもあるかもしれません。
お役に立ちましたら幸いです。
志野
【★おまけ★ エクトンのフリーオーディオブログのご紹介】
※本文でお話ししましたように、この惑星がいま経ている過程について、スピリチュアルな観点からは「この惑星が大きな進化を遂げるとき」と頻繁に語られてきました。
その例として挙げたいのが(今回の記事では触れませんでしたが)私のブログなどでも度々紹介させていただいている非物質的存在のエクトンの「いま地球で起きていることは地球が愛の星へと変容していく進化の過程でもあるので、希望を持つことをあきらめないでください」という言葉です。
そして、そのメッセージのひとつが収録されている "Don't give up"「あきらめてはいけない!」というオーディオブログは、無料&通訳つきでお聞きになれますので、ご興味のある方はエクトンをチャネリングするリチャード・ラビンさんのHP→〔Audio・音声〕を追ってみてください】