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号泣婚姻届

三姉妹の末っ子です。と言うと
「お父さんがっかりしはったやろう」
という大変に失礼かつデリカシーのない言葉を投げかけられた世代である。


子供の頃からそういった旨の会話はわたしの目の前でされていて、その度に母は曖昧に笑ったり、父は適当に話を合わせたりしていた。

もちろん私自身になんの罪もなく、母にも父にももちろん無い。
そういった言葉を投げかけたジジイたちにもデリカシーは無いけど罪はない。

では何が悪いのか。

物心ついたときから隣の家に住むおばちゃんからは
「くみちゃんのところは女の子ばっかりだから大人になるとみんな出て行ってしまうね、お母さんさみしいね」
ということを比喩ではなく本当に顔を見るたびに言われていた。
この言葉にはけっこう大人になるまで罪悪感という呪いのせいで苦しめられた。

わたしが男の子だったらずっと一緒にいられるのだろうか。
母は私のせいで老後は一人寂しく孤独に過ごすのだろうか。

これもおばちゃんは悪くないのである。
女の子はお嫁にいくものだ、という世代で育ったのだから。

いつだったか母親が娘達のために印鑑を作ってくれた。
「女の子はいつか名前が変わるかもしれないから、下の名前の印鑑をもっておくといい」
結婚願望の極めて薄かったわたしは、べつにいらないのにな、と思ってそっとしまい込んだ。

ずっとうっすらと女の子であること、ナカジマの姓を手放すことに罪悪感と責任を感じ続ける人生だった。
男の子に生まれたらよかった?と母に聞いたこともある。
やたらと髪を短くして、男の子のような格好で過ごしていた時期もある。

この夏、結婚をした。

入籍すると決めていた日のギリギリまで、名字を変えたくない気持ちを彼には言えなかった。
ようやく告げられたのは予定の日の3日前である。
彼は「そんなこと考えた事もなかった」と言っていた。
入籍に際して、自身が姓を変える可能性なんて全く考えていなかったのだ。
男の人ってそんなもんなんだな。

少し前から夫婦別姓の議論が上がってくるようにはなってきたものの、自身の入籍には間に合いそうにない。
籍を入れない事実婚のことも調べてみたが、わたしたちは法的に家族になりたい。

ただ、私は私の名前を変えたくないだけなのである。
私以外の姉妹が名前を変えてしまった今、自身の家系の名前を名乗りたいだけなのだ。

彼がならべたいくつかの「自分は名前を変えたくない理由」の全ては私自身にもまったく同じように当てはまるものばかりで、この話し合いは大変にお互いが傷つき合うものだった。

どうしたってわたしが名前を変えることになることが自然なのだろう。
大きな要因は
「女だから」
なのである。

前日の夜、眠りにつくまで結論は出ず、「もういいや、わたしが名前を変えよう」
と心に決めるたびに守れなかった何かと失うことになる何かの為に涙があふれた。

お父さんお母さんごめんなさい
おじいちゃんおばあちゃんご先祖様ごめんなさい。

名前ってなんなんだ。
家系ってなんなんだ。

わたしは何を守れなかったんだろう。
何を失っていくんだろう。

市役所へ向かう電車のなかでも気を抜くとぽろぽろと涙が溢れた。
嬉しい涙ではなかった。

市役所に着いて番号を呼ばれる直前に
「夫の姓を名乗る」の四角に自分の手でチェックを入れた。

男に生まれればよかった。
もしくは婚姻で名前を変えることにこんなに苦しまない女になればよかった。

とはいえ彼は最後の最後には自分が姓を変えても良いと言ってくれた。

わたし自身の人生で、あらかたのことは希望どおりに叶ってきたという自負がある。
どうしても手に入れたかったものを諦めるということが、自分自身をなにかひとつ大きく、深くしてくれるのではないかと思い彼の申し出を断った。
ほんの少し、「多数派とは違う選択肢を選ぶ人生」に疲れた、というのもある。

彼にはここまで寄り添って考えてくれたことにとても感謝をしている旨を伝え
自分自身で決めたのだから未来永劫このことで君にネチネチ言うことはない、と約束した。

約束した数日後から、あらゆる名前を変更していく手続きの面倒さに今だとばかりに不機嫌になり当たり散らしたのできっと彼は
「話が違うやないかい」
と思っただろう。

君に対して不満を持っているのではない。
現行のシステムに対して怒っているのだわたしは。
というのは屁理屈だ。

大人になりきれないわたしでごめん。

先日、実家の庭に芋掘りで呼ばれて行った際に冒頭のおばちゃんに我が夫を紹介した。

母が留守の際はいつも気にかけ、晩ご飯を食べさせてくれたおばちゃん、もうおばあちゃんだ。

おばちゃんは耳が遠くなっておりこちらの話はほとんど聞かない。
耳が遠くなる前からもあまり聞いてもらえなかったが。

おばちゃんは夫を見るとニコニコと寄ってきて深々とお辞儀をし

「ものすご、ええ子です。大事にしてやってください」と言った。

彼は言葉少なに頷いていた。

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