毒にも薬にも
あなたは、「♯毒」と聞いてどんなイメージを浮かべるだろうか。
「同じ時代に生きていたとしたら、同じように時代の流れに巻き込まれていくのだよ。」
「どうしても辛くなったら、洗面器を使いなさい。絶対にできないから。」
これらは、小学生の頃に聞いた、担任からの忘れられない教えだ。
1つ目は、戦争に関する話だった。当時、私たちの教室には、「○○(先生の名前)文庫」が設置されており、教室の後ろのロッカーを本棚代わりに先生の私物の本がびっしりと詰め込まれていた。その中には、『はだしのゲン』や、原爆資料館の写真集等、結構な割合で戦争の本があり、私たちはそれらを片っ端から読んだ。目をそむけたくなる戦争の写真や描写を見ながら、子供心に「戦争って怖いなあ」と思っていた。
けれど、私たちに戦争の本を読むことを薦めた先生が最も伝えたかったのは、平和の大切さよりも、「人は時代に翻弄されるということを忘れるな」だったそうだ。ちょっとひねくれたようにも感じるこの視点は、「正義や正しさや常識は変わること」、「多数が正しいわけではないこと」をはじめ、「自分の頭で考えることの大切さ」を教えてくれた。
2つ目は、言語化はしない。先生の言うとおりだった。
あの頃、先生が教えてくれたのは、一見、毒のようだった。特に2つ目は保護者が聞いたら、大問題になりそうな内容だ。けれど、大人になった今、あれは「解毒の為の毒」だったのだと思っている。
こういった「解毒の為の毒」がある一方で、「本当の毒」も存在すると思う。
ここでは、「本当の毒」を「心を蝕み、その人をその人でなくするもの」と定義する。このような毒はごく身近なところに潜んでいるのではないだろうか。
明らかな毒なら避ければいい。けれど、厄介なのは、一見、毒には見えない毒である。危うい正義や正しさ、「君の為を思って」などという言葉を振りかざし、気づかぬうちに時間をかけて確実に心を蝕んでいく。もしかすると、その毒を発する誰かもそれを毒と認識していない可能性がある。全てが害とは言わないけれど、その考えに囚われ、自分の頭で考え行動できなくなるほどになったら、それは毒以外の何ものでもない。
私達は、影響し合って生きている。影響されるか、影響されないかを選んでいるのは自分である。どんなに打ち解けた間柄だとしても、腹6分くらいの冷静さを持ち、相手の言葉を鵜呑みにせずに自分の頭で考えることが大切であると思う。繰り返しになるが、「私たちは、自分で選ぶ力がある」ということを忘れないでほしい。
運よく心を蝕む「毒」に気が付くことが出来たのなら、速やかに次の三つの行動をとることを提案したい。
①距離をとる
少しずつ距離をとる。この時に急激に遮断すると面倒なことが起こる可能性もあるので注意が必要だ。粘着質の強い人には要注意だ。余地がないのなら、バッサリ切るのもありだと思うが、そこは影響範囲を考えた上で自分で判断すればよい。
②視野を広げる
狭い部屋で見るゴキブリは怖いけれど、広い部屋で見るゴキブリはどうだろう?変わらず嫌なものではあるけれど、取るに足らないことに見えるんじゃなかろうか。そうやって視野を広げているうちに、きっとあなたにとって心地のいい場所が見つかるはずだ。
③中和させる毒を持つ
①②で解決できない場合の最終手段だ。時に、毒には毒で中和させるくらいの気概があってもいいんじゃないかと思うのだ。毒以上の毒を盛るのもありかもしれない。ここでもやはり、「自分の頭で考える力」が必要なのだと思っている。しなやかに流される方が上手くいくこともあるけれど、それは、考えた後での話だ。
「毒」で思い出した本がある。学生の頃に繰り返し読んだ岡本太郎氏の『自分の中に毒を持て』だ。この本には、岡本太郎氏のこの世を生き抜く処世術が沢山書かれている。「こんなに強くはなれないなあ」と思う箇所もあるけれど、勇気づけられると思う。
今回は、「毒」、特に「心を蝕む毒」とその対処法について考えてみた。
どうか、私自身が誰かの「心を蝕む毒」になっていませんように。
文:彩音
編集:アカ ヨシロウ
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