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大人になってからの友達って?
友達って何だろう?
幼い頃、「あの子は友達で、あの子は友達じゃない」なんて、考えたことはなかった。仲良しの友達と、あまり仲良しではない友達がいただけだ。けれど、成長するにつれ、「仲良しの友達=友達」で、「あまり仲良しではない友達≠友達」という分類をするようになっていった。大人になるってややこしいな。
友達について考えていたら、4歳の時、通っていた幼稚園で同じクラスになった子にもらったおもちゃのイヤリングの片割れを思い出した。それは、プラスチック製で色はゴールド、オープンハート型で、もらった時から壊れていた。新学期が始まってすぐの頃、私は生まれて初めて、自分からその子に「友達になって」とお願いした(あんなの最初で最後だ)。その子が「友達のしるしに持っていて」と私にくれた宝物だ。
私は、彼女がくれた片割れのイヤリングを結構な大人になるまで宝箱に入れて持っていた。そして大掃除の度にそれを見つけ、彼女のことを思い出した。彼女とは随分長いこと会っていないから、今、どうしているのかわからない。
友達ってどうやってつくるんだっけ?
今、私はこれがわからない。友達になりたいと思い、友達になった人は彼女一人だけだ。友達は学校生活とか日常生活の行動範囲の中で自然に増えていったし、改めて「私達、友達だよね?」なんて確認しあったことは一度もない。私自身、(相手への敬意をこめて)好き・嫌い・苦手はわかりやすく示しているつもりで、好きなように見せて実は嫌いなんて面倒なことはない。……好きすぎて、嫌い・苦手に見せちゃうことはあるけれど(面倒な奴なのだ)。
暫く考えていたけれど、友達が何か、友達の作り方もわからなかった。けれど、あえて言葉にするのなら、今の私にとっての「友達」は、「この人には正直でいたい」と感じる人だと思う。土台には、相手に対する信頼や尊敬の念があり、互いに自立した人間として存在し、関わっているそんな感じだ。
友達について考え、これまでを振り返り、改めて思ったのは、「人と人とが出逢うって本当に不思議だ」ということだった。出逢おうと思って出逢うんじゃなくて、いつの間にか出逢っていて、同じ時間を生きる中で影響しあう。あたりまえすぎていつまでも続くと思っていた時間は、いつか終わりを迎え、その時間が如何にかけがえのないものであったことを知る。そういう時間を彩ってくれるのが友達かもしれない。
振り返ったその時、そこに自分や友達(や家族やその他たくさん)の笑顔があったら、幸せだ。
今日は誰に出逢えるだろう?
ここにしかない、私達それぞれの物語を今日もご一緒に。
文:彩音
編集:べみん
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