ガラパゴスな私が懐かしい
やめたいと思う瞬間は、日常の中に度々現れる。だけど、やめたくない、もしくはやめると都合が悪くなる理由があるから、やめられないんだろうな、と思う。
気が付くと握りしめて時間を使ってしまっていることが多い、スマートフォンもその一つである。電話とメールが出来れば十分だったはずなのに、色々スマートな機能が付いた結果、スマートじゃない自分になっている気がする。スマホ出現前は、わからないことは図書館で調べたり、物知りさんに聞きに行ったりしていた。ガラパゴスな自分の方が人間らしかったんじゃないかと思うこともある。何でも自分で調べて自己完結するなんて、つまらないよなぁ。ま、便利なんだけどね。
私がやめたいのは、「何でもすぐに明らかにしようとすること」だ。もう少し自分の頭で考えて、自分なりの答えを見つけてからでもいいじゃない、と思うのだ。
以前、我が家のプリンセスお母さんが言っていた(あ、待って。ついてきて!)。「何故、人間は月に行こうなんて思うのかしら。『綺麗ね』で良いじゃない。何でも明らかにすることは面白くない。想像力を働かせる、余白が大事なの。」と。月を眺めるのが好きな彼女は、「きっと、自分は月に住んでいたはずだ」と言う。時に、「私はかぐや姫に違いない」と真剣に語り始めることもある。私も月を眺めるのが大好きだから、「きっと、そうだね」なんて答えている(ややこしくなるので、ここらへんで終わりにする)。
……話を戻そう。知らなかったことを知っていくことは面白い。だから色々教えてくれるスマートな電話を手放せなくなってしまうわけだし。それに、これまでわからなかったことを明らかにしていくことは、人類の発展の為にも大切なことなのだと思う。けれど、何もかも明らかにされてしまっていくのなら、この先、益々想像力を働かせる機会は減っていくのかな、それはそれで、ちょっと寂しいな。
何でもスマホで成り立つ時代、手放すのは難しい。けれど、上手に距離をとりながら使いこなしていきたいなと思っている。
嗚呼、ガラパゴスな私が懐かしい。
文:彩音
編集 : べみん
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