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「水泳教室に行きたくない」という子供の頃の悩みについて

小学生の頃、私には「これさえなければ、全て上手くいくはずだ」と思っていた悩みがあった。けれど、その悩みが解決したら、すぐに新しい悩みが私の前に立ちはだかった。その時、私は理解したんだ。「そもそも、悩みなんて尽きないものなのだ」、と。あの時の自分の判断は正しかった。大人になった私も、いつも何かしら悩んでいる。

今回のかきあつめテーマは「最近の悩み」である。遠い日の私が抱えていた小さな悩みをきいてほしい。

私が小学校中学年だった頃の悩みは、週一で通わせてもらっていた「水泳教室に行きたくない」ということだった。自分がやりたくてお願いして始めさせてもらった習い事だったし、友達もたくさんいたので始めは楽しかった。だけど、上級クラスに進むにつれ、思うように伸びないタイムと、「そう言えば、水が鼻に入るのが怖い!」とか、「そう言えば、足が濡れるのがあまり好きじゃないな!(足どころじゃないけど)」といったことに気が付いてしまったからだ。

その頃から、私は毎週水泳教室に出かける前に大変わかりやすい仮病を訴え、水泳教室への登校拒否を試みるようになった。具体的には、離れて住む祖母に電話をかけて「お腹が痛いから休んでもいいか」と欠席のお墨付きをもらおうとした。祖母に電話したのは、その頃、母親は仕事をしていたため、「何かあった時は祖母に電話せよ」という約束だったからである。

しかし、祖母の壁は大変厚く、決して破ることはできなかった。今思えば、毎週同じ時間に「お腹が痛い」と訴えるバリエーションの乏しさが良くなかった。苦しさを演出する演技力も足りなかった。いや、それ以上に、相手が強すぎた。……それにしても、我ながら律儀だと思うのだが、幾ら嫌でもお許しなしの欠席は一度もしなかった。そんなずるをした日には、そら恐ろしいことになるにちがいない、と子供心に深く理解していたからである。

その後も粘り強く「辞めたいんだ!」と訴えた続けたところ、母親より条件付きのお許しが出た。その条件とは「選手育成クラスの一つ下のクラスまで進級すること」だった。「自分でやると決めたことを投げ出すのなら、それなりの覚悟をせよ」という意図だったと思う。真面目な私は、辞めるために真面目に通い、練習を積み重ね、何度か進級テストに不合格になりながらも目標を達成した結果、辞めさせてもらうことが出来た。辞められた時、「これで心穏やかにいられる」と思ったものである。

だけど、だけど……ここで冒頭の話に戻る。私の心の平安は続かなかった。水泳教室を辞めた後、すぐに次の悩みがやってきたのである。「水泳教室を辞めたい」なんて悩みが可愛く見えちゃうくらいの強いのが。こうして悟ったんだ。「ああ、人生に悩みは尽きないものなんだな」って。

大人になった私も、いつも何かしら悩んでいる。悩んで、考えて、選択して、解決しての繰り返しだ。そして、今、この瞬間の私の悩みは、「かきあつめの原稿が余裕をもって書けないこと」である。いつも締め切りギリギリになってしまう。もっと前から取り掛かっていれば、じっくり考えられるし、その後の編集担当のメンバーに迷惑を書けなくて済むのにどうしてもギリギリになる。どうにかならないものか。……おや、悶々としながら書いていたのだけれど、結構、書けたかも。

悩みは尽きないけど、悩みをきっかけに考え、不都合な現状を超えていこうとする行動につながっていくのなら、悩むことそれ自体そんなに悪くはないな、そう思う。

お付き合いいただきありがとうございました。

編集:香山由奈
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