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粋とは、きっと、思いやり

今回のテーマは、「粋」である。

「#粋」という言葉から連想したのは、江戸時代の町人の暮らしである(勝手な妄想)。浮かんだキーワードは、「人情」、「火事と喧嘩は江戸の華」、「祭り」である。正直、これ以上思い浮かばない……今回は思いつく限り、ありったけの「粋」を書いてみようと思う。

「人情」

就職活動の時、面接官から面接後のフィードバックとして、「あなたに人情を感じました」と言われたことがある。その瞬間、私の脳内では、祖母の影響でよく観ていた水戸黄門のテーマソング『ああ人生に涙あり』が再生された。「???(……と、言いますと?)」と思ったが、「余計なことは言うまい」と言葉を飲み込んだ。縁あって、現在その会社で働いているが、私の何に人情を感じていただいたのかは未だに謎のままである。

引用:YouTube

「喧嘩」

喧嘩を通して学ぶことは多い。私の場合、少し上の兄との喧嘩がそうだった。大人になった今、さすがに喧嘩はしないけれど、昔はよく喧嘩をしたものだ。

最後の兄妹喧嘩は、学生の頃だった。喧嘩の理由はくだらないもので(そんなものだ)、明らかに私が悪かった。しかし、先に手が出たのは兄だった。だから、こちらも応戦した。反射的に胸ぐらを掴んだ私は、一瞬ひるんだ兄を一瞥し、「この勝負、もらった!」と思った。しかしながら、人生で初めて人の胸ぐらを掴んだということに自分で自分に動揺したのと、これ以上やってはいけない気がして動けなくなった。もちろん、兄はその隙を逃さなかった。次の瞬間、足を踏まれて動きを制止され、勝敗はついた。

足にできた青あざを眺めながら、「動きを封じてから攻撃するなんて姑息な!」と思ったが、後々、「足を踏むことで、冷静になり、『自分の妹だ』と本気で蹴らないよう言い聞かせていた」という話を聞き、力では絶対に勝てないことを理解した。そして「喧嘩をするなら口頭!」と心に決めた。それ以来、兄妹喧嘩そのものをしていない。兄妹喧嘩を通し、自分の力量、やっていい事・いけない事の境目、感情の抑え方、自分の主張の伝え方といった、人と対立する際のマナ―を身をもって学ばせてもらった。これらは全て「喧嘩はいけません、仲良くしましょう」の一点張りでは決して学べないことだと思っている。有り難や有り難や……

引用:YouTube

「祭り」

母方の祖父は、浅草の人だった。若い頃は三社祭で御神輿を担いでいたそうで、年齢を重ねて御神輿を担がなくなってからも毎年見学に行っていたようだ。私も大人になってから、見学に行ったことがある。祭りの前夜の浅草の街のざわつき、祭りの活気、祭りの後の余韻を眺めながら、「祖父はどんな気持ちで参加していたのだろう?」と想像を巡らせた。

引用:浅草神社ホームページ

私にとっても、祭りは子供の頃から身近なものだった。浅草ではないけれど、祖父母が住んでいた家の近くには大きな神社があり、秋になると盛大なお祭りが開催された。毎年、孫一同で参加させてもらい、御神輿を担いだり、山車を引いたりしたものである。夜は従兄妹に連れられて夜店で綿あめや、かき氷を食べ、スーパーボールすくい、くじ等で遊び、お祭りを存分に満喫したものである。

今年のお祭りはどうだろうか?お祭りでもイベントでも、人と人が同じ場所で気兼ねなく共に時間を分かち合う日々が早く来てほしい、と心から願っている。

今回は、「粋」から連想したキーワードに合わせて人情、喧嘩、祭りについて思いつく限りの「粋」を考えてみたが、これらに共通するのは「誰かを思いやること」のように思う。「粋」とは、人が繋がり互いを思いやることなのではないだろうか。人と人が直接触れ合い、粋な計らいをし合える世の中であってほしい。

文:彩音

編集:真央

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