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「自らの感動にこだわる」という情熱は、面倒くささを超える。
年末から意識の変容がすごくって、いろんな気持ちの見直しをしています。
というのも私は、自覚していた以上に「思ったことがそのまま叶う」生き方をしていて、今やそれがもう加速しすぎて、うっかり変なことを言葉にすると明日には急展開が起きちゃったりする。
「言ったこと」が本当の自分にとって好まないものだとしても、
それは現実になったことでようやく気付くことなわけで、
例えば、「お金がなくても幸せだよね〜」なんて言おうもんなら、
(言っちまったことがある)
「あら、そうなのね?」
と本当にお金がなくても幸せな人生をプレゼントされる(笑)
↑↑
「お金がなくても幸せかどうか」は私次第なので、「幸せな状態でいられるか」を試されている感覚。
で、その現実を体験してみて、違和感や痛みを味わいながら思い直す。
お金はないよりあるがいい。
幸せにお金をくっつけるのやーめた!
ただ幸せで在ろう!!!
そんなこんなで、今日も自分の内側を見つめています。
最近、私の情熱って、今どこに向いているんだろう?
そんなことを静かに考えていました。
本気=愛
=相手を信頼し、自分も信頼すること
=分かち合うこと
=喜び
だというところに繋がり、今、私の内面が向かっている世界は、そういう世界なのだということを知った。
2023-06-02
昨日はいつものお店が、
チャリティ営業をするとのことで
ランチをしに行きました。
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オニオングラタンスープがめちゃくちゃに美味しくて、帰りに玉ねぎを買って帰り、1時間半かけて蒸し炒める。
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私は、ここのお店で不定期にやってるお料理教室に通っているのだけど、11月に習ったベシャメルソースも、隣りのコンロで牛乳1ℓ分作る。
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習った日にすぐ作った、人生初のベシャメルソースは、クラムチャウダーのようにバシャバシャになって見事に失敗した。
年末に実家に帰った時に同じく1ℓの牛乳で作ったら、前回の失敗から学んだことに気をつけ過ぎて3時間かかった(笑)
3時間かけてソースから作ったグラタンは、5人で食べたら一瞬で無くなったけど、「美味しい」と言われたからいっかなと。
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そして3度目の昨日は、失敗にビビって少量にし過ぎず、だけどやっぱり少量ずつの牛乳を加えながら、ひたすら1時間半かき混ぜ続け、腕がもげそうになった。
600mlくらいのタイミングで必ず一度は作り始めたことを後悔するのだけど、作り始めたら途中でやめることが出来ないのがベシャメルソースというやつなのだ。笑
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そんな時間を過ごしながら、
こういうのが情熱ってやつじゃないのかな?
なんて思ったんだ。
情熱が無ければ、
こんな面倒くさいことを
そもそも始めないじゃないか。
そうだよね…!!
面倒くさいことから逃げてきたと思っていた自分が、じわじわと癒されていく。。
一生懸命時間と手間をかけなくても、スーパーに行けば缶で売っているし、今時好みの濃さに調整できるパウダータイプも売っている。
(はるみさんシリーズが美味しい♡)
冷凍グラタンも十分美味しいし、結局誰かに作ってもらって食べるのが一番美味しい。
てゆうか、そもそもグラタンがめちゃくちゃ大好物です‼️なわけでもない。
うまく出来ないことを知っていて、だけど「やってみたい」と思うのは、経験することで分かることがたくさんあるからだ。
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「グラタンはチーズを食べる料理なんだよ」と言われて初めて知った😧
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お料理教室が終わった後、私は必ず同じ材料を買って帰る。
昼に作って食べたものと同じメニューを、夜にも食べる。
そして必ずそれは、「自分がやると思ってたのと違う」くて、やっぱりプロってすごいな!と思うし、それを近日わざわざ飲みに行って伝えるんだ。
一度やってみないと、綺麗に完成された裏にある労力や時間や工程がわからない。
だって私は、ベシャメルソースの材料は「牛乳、バター、小麦粉」と至ってシンプルなのに、腕が痛くたって休憩出来ない料理で、だけどそんな苦労が報われるほど、めちゃくちゃ美味しいんだってことを作ってみて知った!
それを体験してみて、大変なことだと知っているから、私はお金を払ってお店に食べに行くし、「ありがとう」と「すごい」を感じながらお酒を飲むのが好きなんだ。
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ナチュールワインが好きになったのは、一本一本に物語があるから。
生産数に限りがあり、自然派だからこそ安定していなくて、二度と同じ味は生まれない。たったの1杯が一期一会で、私はこの1杯の背景を想像しながら飲むのが好き。
その土地や生産者の思いを感じながら、気持ちよく酔っていく感じがすごく好き。
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お酒を飲むのは好きだけど、酒好きなわけじゃない。
お酒を飲む時間が好きで、
その時間に私はあまりにもこだわっている。
これって、プージャのときや
イベント開催の準備と同じ感覚。
その時間のために、準備で駆け回る。
それは他の誰でもなく、
私自身の幸せをめいいっぱい感じるために。
本当に私はとことん、
目に見えないところを見ているんだ。
どんな人がどんな思いで作っているの?
これが出来上がるまでに、どんな物語があったの?
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思いや物語があるものが好きだし、目に見えないそれらを感じるのが好き。
人であってもクリスタルであっても、場所やワインや何であっても、
それらがどんなことを思い、何を見てどんな経験をしてきたのかを、聞いて感じる時間が好き。
そしてそれらを理解するために、「私も一回やってみる」ということをする。
例えば、お料理教室に通い、
その日に同じものを作り、失敗したネタを持ってお店に行き、
もう一度作ってみたら
今度は3時間もかかっちゃって、またそのネタを持ってお店に行き、
「慣れたら30分で出来るよ〜」
という言葉を聞いて、もう一回リベンジしてみる。
(でも1時間半でした…!またやる!!)
プロだから、慣れた手つきで簡単そうに、美味しいものを作ってくれるけど、
その背景には、私の3度の実践では到底足元に及ばないほどの、努力と時間と経験があることをこの身をもってはっきりと理解する。
そんなことを感じてしまうと、こうして出してくれる美味しい料理と笑顔に、
感動して泣きそうになる。
↑これを味わいたいがための、私のnこれまでの時間なのだ。
つまり私は、お酒や食にこだわりがあるのではなく、
(本当にこれだけなら興味はない)
感動にこだわっているんだ。
これが、情熱無くして出来ることか?
めちゃくちゃ熱いじゃん…!
私が「やってみたい」ことは、「知りたい…!!」から来ている。
「背景を知って身体で理解する」ことを、したいんだ。
だってそうしたら私は必ず、感動して大好きになっちゃうんだもん!
自ら惚れにいっている。。
あーあー。
これに気付いた私は、好きになることを自分にもっと許可していくんだ。
そう思ったら、思い出すのはマノアのこと。
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「やってみた」から分かることがある。
”住まい”や”暮らし”という、当たり前にある安心感は、たくさんの人の思いと時間と労力と技術で出来ている。
マノアはそうやって建てたから、その一部始終を当事者として見て来たから、身体の感覚で分かるんだ。
「そうじゃない」ものが。
ベニヤ板かな?って疑うほど、薄いものが。
材料のことじゃないよ。
目に見えるものの背景の話。
その物やその人の生き方や思いのこと。
これは、薄いものが悪いというのではなく、私は濃いものが好きという話なんだけど、
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ワインやクリスタルやジュエリーもそう。
私は見た目の美しさはもちろん大事だけど、だけどそれで判断することはなく、
たとえ欠けていたとしても、背景を知ればその欠けさえ魅力に感じてしまう。
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私のリングたちは、プラチナや18Kなのに、付けてるだけで曲がってくることがある。
だけど、そこには、一緒に走って来た濃い物語があるから、不恰好だけどとっても愛おしいんだ。
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マノアにはありすぎるほどの物語があって、それは現在進行形なのだけど、それは私のような感覚の人にとっては、これ以外選択のしようがないというほどの唯一無二の価値になるし、そういった目に見えない背景を大事にして、理解してくれる人と出会える場所になるね✨✨
今月末、引っ越しです!
假屋舞