あしたしぬかもしれないということ
ある朝、スマホからの聞き慣れない音で目が覚めて、画面を見ると「ミサイル発射。ミサイル発射。」の文字があった。
テレビをつけると、黒い画面に、赤い文字で、「国民保護に関する情報」と大きく出ていた。
寝ぼけた頭でも恐怖は感じられるらしく、震えながら布団にくるまった。
数分後、ふたたび聞き慣れない音がなり、スマホの画面には「ミサイル通過。ミサイル通過。」の文字があった。
北朝鮮から飛んだミサイルは、私の住む北海道の上空を通過して、太平洋へ落っこちたらしい。
布団でミサイルの爆風からは逃れられないだろう。ミサイル発射のJアラートが鳴ってから、数分で地下へ潜らなければ木っ端みじんに吹き飛んでしまうらしい。地下鉄駅から徒歩3分以内に住んでいない人は死んでしまう。
北朝鮮からのミサイルで叩き起こされるという、こんなに衝撃的なことがあったにもかかわらず、世界はふつうに回り続けている。
このまま生き続けていたら、気が触れてしまいそうだけど、それが人生というものらしい。
もしかしたら、またねている間に大きな地震が来て、家が崩れて死んでしまうかもしれない。
こんどはミサイルが直撃して吹き飛んでしまうかもしれない。
日々の疲労から、心臓が止まって死んでしまうかもしれない。
いつ死んでもいいように、納得できるような生き方がしたい。
自分にも他人にも嘘をつかず誤魔化さずに、かっこよく生きたい。
八方美人、優柔不断、曖昧な返事、ぜんぶやめて、私は何になればよいのだろう。