皇居は知ってから行くべし!【東御苑編】
今や天守閣も無ければ眺めるだけの櫓が2~3個と、だだっ広い緑地があるだけで、見る所なんてほとんど無い。それが『特別史跡江戸城跡』。
世界的大都市のひとつに名を挙げる、東京の礎を築いた徳川色が全く無ければ、復元建築物も無いし、皇室行事を除けばメディア露出も皆無で、知られていないから人気も無い。。。
だからこそ、知ってほしい。城好きなんかじゃなくても、みどころはあるんだと。
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東御苑に遺っているもの
江戸城の遺跡は皇居となったからこそ現存し続けていますが、ある意味皇居になったからこそ大部分が破却され、城門・石垣・お堀と、櫓をわずかに残すのみという状況です。260年という世界的にも稀な泰平を築いた江戸幕府の政庁であり、徳川将軍家の居城だった江戸城の雄姿は、今やほとんど見られません。
宮内庁の所管、皇室の所有となっている以上、破却された徳川の遺構が復元される可能性は限りなく低く、残存物の現状維持に留まっている・・・といったところでしょう。
それでも探しました・・・6日間、およそ12時間かけて。
とりあえず今回は、江戸城の正面玄関「大手門」からのルートで巡っていきます。江戸城跡に入るための門は他に7つありますが、大手門だけは周辺にパレスホテルやスタバなどお店が近いのと、交通アクセスが良いので帰る時も便利です。
三の丸
大手門
全国諸藩の大名が登城する折に使用し、江戸城の正門に当たります。設計を藤堂高虎(津藩)、石垣の造成を仙台藩(伊達政宗)が行っています。手荷物検査はここ以外に平川門と北桔橋門で行われますが、やはり人気なのは大手門ですね。写真ぐらい行列ができていても5~7分程度で入場できます。
かつて配られていた入園票。私が知る限り、今上の大嘗祭(2019.11.14)の翌日までは配られていましたが、新型コロナウイルスの蔓延以来、今現在も配られていません。
この後順を追って散策していくとお気付きになると思いますが、皇室でお使いになる坂下門・乾門・半蔵門、そして信任状捧呈式など皇室行事に使用される正門、この4つだけは蔦も絡まず、漆喰も常に純白を保っています。
一方で宮内庁職員が使用する内桜田門(桔梗門)と一般来訪者が通過するその他の門は、蔦、雨だれ、カビが割とそのまま。
皇居三の丸尚蔵館
1993年文化の日に開館した三の丸尚蔵館ですが、収蔵庫と展示室の拡張のため新築され、2023年文化の日に「皇居三の丸尚蔵館」と名を改めオープンしました。
写真には写っていませんが、その右隣が旧館(元三の丸尚蔵館)だった場所で現在は解体作業中。今後はここにさらなる展示室の拡張と大きなエントランスが増設される予定です。現地に掲出された法令許可票(建築計画のお知らせ)には、今年の7月31日に建物自体は完成するようですが、全館公開は2026年度の予定なんだとか。
皇居三の丸尚蔵館の館内の様子はこちら→ 江戸城古写真と現在の皇居
同心番所
大手三之門跡という石垣の先にあります。元は下乗門といい、大手門と本丸までを一直線に繋ぐ門であったため、番所が門の内側と外側の2か所にありましたが、現在は内側の方だけ残されています。
二の丸
百人番所
江戸城で最も厳格な検問所だった番所。鉄砲百人組と呼ばれた根来組、伊賀組、甲賀組、廿五騎組の4組が交代制で詰め、各組与力20人、同心100人を配置し昼夜問わず警護に当たったといいます。
個人的には、ここに来ると落語の「禁酒番屋」を思い出してしまう。本当は全然関係ないんだけど。
中之門
門そのものは現存しませんが、巨大な台座部の石垣が残っています。西国の大名から献上された巨大な石を加工し、隙間なく積み上げる技法は、この中之門と天守台だけだそうです。
ここは大名が登城の折に通過する順路の中でも、二の丸と本丸を繋ぐ重要地点であるからでしょうか、周囲に3つの櫓と2つの渡し櫓が設けられた強固な防御施設を構成していました。その威容を見せつけられた大名は、きっと度肝を抜いただろうな。
大番所
千代田区観光協会の説明によれば、「中之門の内側にあるため、他の番所より位の高い与力・同心が詰めていた」そうです。与力・同心なのに位が高いとは、いったいどういうことなのだろうか・・・気にせずにはいられない表現です。上級とか上席みたいな係長クラスって感じなのかな。
本丸
赤く塗り分けたところは通常入場不可になっているエリアです。東御苑は入られるエリアが限られているのですが、広大ゆえに意外とこの入場禁止エリアに気づきません。普段は入れないエリアも「皇居一般参観」というツアーに参加することで、旧枢密院庁舎や富士見櫓、宮殿のあるエリアを見学できます。
本丸広場
大番所の坂を上り、中雀門跡の石垣を抜けると、いよいよ江戸城の主郭、江戸城本丸・・・なのですが、登りつめてから本丸正面までのアプローチがまた遠い。そこからさらに50mほど進むことで芝生の広場まで出られます。見晴らしが良く心地良いので、ここに座ったり寝そべって寛いで過ごす人は結構います。
寛永年間の本丸絵図を基に御殿の位置を再現してみると、現在の遊歩道が割と当時の建物の区切りと重なることが窺えます。南西側の松の廊下に当たるところも細い遊歩道が通っているし、意外と計画的に作られた道なのかな。
江戸城天守復元模型棟
広場を右回りで進むと蔵のような形をした建物が見えてきます。ここには30分の1スケールで復元された天守閣の模型が展示されています。
江戸城の天守閣は家康の慶長期、秀忠の元和期(家康の大御所時代)、家光の寛永期と3代にわたって建て替えられますが、資料が一番残っている寛永度天守が復元されることになったそうです。
慶長度天守は、現在の大阪城のように大きな入母屋破風のある白亜の天守。元和度天守はスラっとした層塔型で白亜の天守だったらしく、この寛永度天守は白漆喰と、銅板張にはちゃん(瀝青)という黒い防腐剤を塗り、屋根が緑青の天守。門や城壁が黒の瓦屋根に白漆喰だったから、寛永度の3色の天守閣はすごく際立っただろうな。
本丸休憩所
模型展示室の隣には休憩用のベンチとドリンクの自販機、そして皇居土産の売店があります。鳳凰紋や菊花紋のコイン型チョコレートやゴーフレット、ボンボニエール、皇室カレンダーなどありますが、品数では皇居外苑の楠公レストハウスがおすすめです。菊花紋のどら焼き、最中、お酒、ストラップ、金箔のソフトクリームなどはそっちです。ここからだと死ぬほど遠いですが。
台所前櫓跡(展望台)
売店裏側の小道を南に向かうと見えてきます。今は櫓が無く台座部のみですが、江戸城跡の中で唯一ある展望台となっています。かつて将軍の執務兼居住域であった本丸御殿中奥の台所に面していたのでこの名があります。
天守台
巨大な御影石が隙間なくキッチリ積み上げられた壮麗な天守台。昔は5層7階と言われていたような気がしますが、案内によれば5層5階からなる高さ約58メートルの天守閣だったようです。鴨居の高さが175cmだった時代に、各階の天井高を10メートル(ショッピングモールの2倍以上)で設計するとはちょっと信じがたい。
正面に回って少し距離を置いて撮影した天守台に、せっかくなのでさっきの復元模型の写真を基に、幅・反り・入口の位置、それから明暦の大火後に加賀前田家によって台座部の高さが縮小されているということも考慮して合成したのがこんな感じ。
VRなんかで再現するスマホアプリとかせめて作ってほしい。
富士見多聞
多聞は石垣の上に建つ城壁の一種で、往時は郭中に張り巡らされた防衛施設でした。現在では皇居宮殿エリアと東御苑との境目にある富士見多聞しか残っていません。
本丸は東御苑といって皇居の一部なので、メディアで紹介されることはほぼ無く、こういうところも開放されているだなんて、意外と知られていなかったりします。富士見多聞からは皇居宮殿側、東照宮や千代田稲荷が鎮座していた紅葉山、春と秋に公開される乾通りが見られます。
乾通り公開時だけ、富士見多聞を外側から見ることができます。肝心の蓮の花が咲いているときは公開が無いので、いつも枯れているイメージ。
北桔橋門
天守台の後背にあります。今でも北詰橋と誤記があったり、明治の地図にも北牿橋と記されていたりしますが、正しくは寺社建築などの屋根の反りを出すための桔木(はねぎ)と同じで桔梗の「桔」の字です。有事の際に跳ね上がって敵の侵入を防ぐ仕組みになっていたそうです。
梅林坂
太田道灌が居城としていた時代からあった坂で、ここに川越城の三芳野天神の分霊を祀った天満宮がありました。現在は半蔵門の西側の平河天満宮として鎮座しています。
梅林坂の下まで来るとここから再び二の丸エリアになります。
平川門
大奥から一番近い門であったので「お局門」とも称されました。また東御苑に繋がる出入口としては、唯一平川門が現在も木製の橋のままです。
門の右側にある小さな門は不浄門といって、屎尿や死者の骸、時には罪人の出口として使われました。赤穂藩の浅野内匠頭、絵島生島事件の絵島がこの門をくぐったといわれています。ちなみに江戸城から排出される屎尿は栄養価の高い最上級の肥料であり、その取り扱う権利を葛西村が独占していたといいます。
汐見坂
平川門から再び梅林坂まで戻って、左側に進むと巨大な坂が現れます。
二の丸大奥と本丸大奥を結ぶ汐見坂門がありました。大奥というと、本丸御殿の大部分を占める、男子禁制エリアの名称だと思われがちですが、二の丸大奥は将軍継嗣、三の丸は建替えの時など臨時で将軍の居住地にもなりました。ちなみに西の丸大奥は将軍を辞した大御所が住まうエリア。
二の丸庭園
二の丸大奥などの建物は二の丸雑木林に、二の丸御庭は二の丸庭園になっています。
立入禁止エリアの遺構
富士見櫓
本丸広場の南端まで来ると、富士見櫓があります。眺めるだけで近づくこともできませんが、正面から見たい場合は、皇居一般参観などに参加されるか、お正月の一般参賀の退出時に見ることができます。
この通常入場できないエリアについては 皇居を、歩く3「皇居宮殿を歩く編」にまとめました。
おわりに
東京は徳川が嫌い?
全国に目を向ければ、現存・再現するお城が200ほどあって、各地観光名所として人気なのですが、江戸城はというと史跡を除けば徳川色が皆無。葵の御紋が入ったお饅頭も無ければ、ゆるキャラも、公式御城印も、幕府の省庁を再現した施設も、徳川美術館も(東京には)無い。世界的都市東京の礎を築いた徳川家康の銅像でさえ、両国の江戸東京博物館の人目につかない通路に1体だけといううら寂しい扱い。
考えて見れば、東京駅一番街にも、東京タワー333でも、その他東京土産を売っている売店で、家康とか葵紋のおみやげなんて見たことが無い。