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育児放棄?希望の見えない学生時代【自己紹介①~これまで~】
初めまして、Kです。
まずは、社会的養護下にある子供達の支援をしたいと考えたきっかけについて書こうと思います。そのためには、まず生い立ちから話さなければなりませんので少しだけお付き合いください。
きっかけ1:借金により離婚
私は、とある田舎で生まれました。
家族構成は、父・母・兄の4人家族で、父親は会社を経営していたため、世間と比べても少し裕福な家庭に生まれたと思います。
しかし、父親は、父方の祖父だったかの連帯保証人となり、その人が飛んだために多額の借金を抱え、僕が小学校へ上がる頃に両親が離婚をしました。
兄は父親についていき、私は母親についていきましたが、すぐに母方の祖母の家に預けられ、再会したのは中学3年生の高校受検の時期になります。
母親は、僕が小1~中3までの約9年間、男と遊びまわり、片目を失明し、さらには精神を病み、身体障害と精神障害を抱えて戻ってきました(どちらも自己責任によるもの)。
高校3年間を2人で暮らすことになるのですが、うまくいくはずもなく、毎日のように喧嘩をし、精神障害を抱えているため、学校や近隣住民に迷惑をかけ、警察沙汰になることも多々ありました。
きっかけ2:うつ病の叔父、ニートの兄
(少し時を遡ります)
離婚後、父親と一緒に出ていった兄は、すぐに生活が立ち行かなくなり、一緒に祖母の家で暮らすこととなりました。
祖母の家には、うつ病により仕事を辞めた叔父Eがおり、兄も中学を卒業して現場の仕事を始めましたが、1か月ほどで辞め、いわゆるニートとなりました。
当時、私はまだ小学生で、祖母も60歳を過ぎていたため、そこで初めて児童養護施設の話がでました。
結果として、児童養護施設へ入所することはありませんでしたが、これらが根底にあり、社会的養護下にある子供達の支援について何かできないかと考え始めました。
きっかけ3:小学生でリストカット、髪の生えない中学生
社会的養護下にある子供達の支援について動いていこうと決め手になったのは、このきっかけが一番大きいです(いとこの話)。
親戚も家庭環境が荒れていました。叔父Kは離婚から再婚をし、3人の子供がいます。私が東京に出てきてからも兄とは、たまに連絡を取っており、小学生の女の子がリストカットをしている等の話を聞いていました。
先日、私が社会人になり、4年ぶりぐらいに祖母と親戚に挨拶をするため帰省した際、女の子は高校生になっており、手を見ると当時の傷はまだ残っていました。
また、中学生になった一番下の男の子は、ストレスにより髪が生えていない箇所が複数あり、話には聞いていましたが、実際に目の当たりにするとかなりの衝撃を受け、この道で動いていこうと決意しました。
児童相談所での相談件数は、子供の人数が減っているにも関わらず年々増加傾向にあるそうです。自身の体験を活かし、少しでも悩んでいる子供達の力になれるよう行動し、この場を借りて情報発信をしていこうと思います。
よろしくお願いします。
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