五感で感じる「お疲れさま」
自称人生14回目の、小学生の娘が私に問う。
「なんで学校に行かなくちゃいけないの?」
…なんでだろうねぇ?
としか言えない。私が子供の頃は我慢と努力と忍耐こそ美学だったけれど、押し付けやコントロールなど今の子どもたちとベクトルが合わなければないと一緒で。
子どもがどこを見て何を感じて、それでもやるべき事とどう折り合いをつけていくのかを一緒に探すことしか出来なくて。
そもそも親にしてもらっているのだから、
生まれてきた新種の命を守ること以外は、見守ることしか出来ないと言い聞かせ、納得したつもりで、日々思い通りにならない親子のあれこれを耐えて俯瞰しようと励んでいる。
結果、朝の行きたくない活動と1〜2時間交渉することになる。
怒らず、急かさず、甘やかさず。緩急つけて背中を押す。
あれ?私は結局忍耐と我慢をしている?
世の中の理不尽と、家庭内のくだらなくて平和な諍いに、私なりの折り合いをつけた分、
自分の心は守って労わりたい。
そんな欲求が強くなると、朝と昼の間の中途半端な時間に私のプレートを作る。
買ったものでも、卵焼きが焦げてもいい。
ただ、
「いつも良くやってるよ、偉いよ私」
と自分をヨシヨシしながら準備をする。
ゆっくり咀嚼して、のみこんで、血となり肉とする。
素敵なお皿は、そんな時にそっと華を添えてくれる。
視覚、味覚、嗅覚、触覚、嗅覚
全ての感覚からの「おつかれさま」は心地が良い。
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