授かったもの

5歳のとき自転車に乗ってた自分の不注意で坂道の先に停車してたトラックに激突して死にかけた話

まだ自転車に乗れるようになったばかりで
嬉しくて嬉しくて

その日は妹と
坂道をどちらの方が先にくだって家まで辿り着けるかの競走をして遊んでた

わたしはブレーキじゃなくて
足で自転車を止める癖があった

その危険性を理解してなかったわたしは

いくぞ、と意気込んで坂道を下った

ずんずんスピードが上がって
もうすぐ坂の下

目の前には大きなトラックが停まってた

そろそろ停まらなきゃと
脚を下ろした

だけど小さい脚では
とんでもないスピードでくだる自転車をとめられるはずも無く

だんだんトラックが目の前に近づいてくる


あれ?これ、ぶつかっちゃうのかな?

そんなことがよぎった瞬間

目の前が真っ白になった


固い地面に横たわったわたしは
動けなくなった

暫くして誰かの声がした


『お家どこ?お家わかる?』

知らないおじさんがわたしを抱っこして走り回ってた(後にトラックの運転手の方だとわかりました)


頭が割れてしまうくらいの痛みと
何が起こったのかわからず泣きじゃくりながらこのまま死んでしまうのだろうなと心の中で思っていた

『…お寺』

とわたしは答えてたそうな。(後日談)


当時ど田舎で暮らしていて周りにお寺はわたしの家しかなかったので
おじさんは家に
わたしを抱えて運んでくれた

そこからは母が必死で
救急車をよぶために
電話をし続けていた声だけ覚えてる

ただ、その日は救急車が全部で払っていて
ど田舎にすぐに駆けつけてくれる救急車はなかった

このままじゃ死んでしまうと思った母は
わたしを車にのせて

一番近くの病院まで必死に車を走らせた(近くても車で40分くらい)

車で横たわってたわたしは

すごく気持ちよくなってきて
このまますっと、目を閉じれば
深い眠りにつける
痛みを感じない
そんなところまできてた

ちょっと寝ても良いかな


そう思って眠ろうとしたわたしを

母が血走った目で車を走らせながら叫んだ


『咲ちゃん寝たあかん!
寝たら死ぬで!
死んだあかん!目開けて!!!』


はっと、気づいて目を開けた時には

病院の天井がみえた

普段物静かな父が横にいて

よかった、よかった


母が腰を落として

笑ってくれてた


頭蓋骨骨折でくも膜下の一歩手前だったらしく
暫く寝たきりで
回復しても
数ヶ月歩くことを禁止された

でもわたしは早く走り回りたくて

ちょっと走ってみたり、
見つかって怒られたり

恥ずかしくてナースコールが呼べなくてお漏らししちゃったりした日もあった

たくさんの人に迷惑をかけて
なんとか卒園式の前に退院することができた

パンダみたいな顔で卒園式を迎えたが、
小学校入学式には間に合うことができてとっても嬉しかった


あの時助けてくれた仏様、

あの日
死ぬ時はこんなに気持ちいいのかなぁなんてことを、ちょっと体験させてくれた神様

何も悪くないのにお見舞いに来てくださった運転手のおじさん

たくさん看護してくださった病院の皆さん

そして母と父

たまにふと思い出すあの時の記憶は
わたしが強く生きなきゃいけないと思わせてくれる

母の

死んだあかん


という言葉は

わたしの心にずっと強くこだましてくれてる


だからわたしは
今日も強く生きなきゃいけない

生かされているのだから

この記事が気に入ったらサポートをしてみませんか?