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無視された存在を見る方法|武邑光裕 【『第七の男』を読んで #4】
英国孤高のストーリーテラー、ジョン・バージャーと写真家ジャン・モアによる伝説のルポルタージュ『第七の男』。移民労働者の苦闘と社会における不可視化を描いた本作について、本日『Outlying:僻遠の文化史』(rn press)が発売を迎えたメディア美学者・武邑光裕が、バージャーの名著『Ways of Seeing』やバルトの写真論を交えながら綴る。
Cover Photo: ジュネーブの地下トンネル工事に従事する移民労働者の仕事場とその生活。スイス。『第七の男』より
© JEAN MOHR, 1975/JEAN MOHR HEIRS, 2024
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ふたつの代表作
ジョン・バージャー(1926-2017)は、英国の美術評論家、小説家、エッセイスト、画家として、その活動は美術評論、社会批評、文学の分野に多大な影響を残した。筆者は1970年代後半に、バージャーの美術批評から大きな影響を受けたひとりである。
バージャーの美術評論における最も有名な功績のひとつは、1972年に出版された『Ways of Seeing』(邦題『イメージ:視覚とメディア』)である。この著作は、同名のBBCテレビシリーズを書籍化したもので、バージャーは、美術や視覚文化に関する従来の支配的な考え方に異議を唱え、特に美術における女性の描かれ方や、資本主義社会における美術の商業化について批判的に論じた画期的なものだった。バージャーは、わたしたちが物事を見る方法はイデオロギーと権力構造によってかたちづくられるという考えを導入し、美術史における支配的な権威を根底から問うことの重要性を強調した。
そして、1974年の刊行から半世紀を経て、バージャーのもうひとつの代表作である『第七の男』が待望の翻訳出版となった。現代においても喫緊の課題である移民問題の原風景であった『第七の男』は、不可欠でありながら周縁化され、目に見える存在でありながら不可視の存在でもある移民労働者の経験を凝視した先鋭的な著作である。バージャーは、この著作を通じて、移民労働者の苦闘を認識し、共感することを読者に促し、彼らを不可視な存在とする社会規範に異議を唱えたのである。
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「第七の男」という概念は、異国からの移民労働者を象徴している。彼らは、社会のなかでほとんど目に見えず、疎外された存在である。このタイトルは、この本が書かれた当時、ヨーロッパの労働者7人のうちひとりは移民労働者であったことを示唆している。この比率は、移民労働者の存在が非常に大きいことを示しているが、彼らの貢献は往々にして認識されず、正当に評価されていない。
バージャーの『Ways of Seeing』と『第七の男』の共通点は、周縁化された集団の搾取に焦点を当てている点にある。前者は女性、後者は移民労働者で、両作品とも「見る」という行為や視線に深く関わり、権力者が他者を見たり理解したりする方法をいかに支配しているか、そして、社会的に受け入れられている物語の背後に、より深刻な搾取の形態が隠されていることを強調している。
芸術表現における女性の搾取
『Ways of Seeing』なかでバージャーは、伝統的な西洋美術、特に裸婦画(ヌード)において女性がどのように描かれているかを批判的に検証した。これらの表現は、中立的でも純粋に美的なものでもなく、女性を客体化する家父長制の構造に深く根ざしていると彼は論じている。バージャーは「裸」と「ヌード」を区別している。裸とは自分自身である状態だが、ヌードは芸術として昇華され事物化されること、つまり、行動力のある個人としてではなく、他者の快楽のための受動的な存在として「見られること」である。時に神話化され神秘化された物語を纏った女性のヌードは、身体に還元される隠された力関係を象徴しており、視覚的な伝統に埋め込まれたより深い搾取を覆い隠していた。
移民労働者の搾取
『第七の男』において、バージャーは焦点を移民労働者、特にヨーロッパで社会の周縁で暮らす人びとに移している。彼らの労働は現代経済の機能に不可欠であるにもかかわらず、彼らは目に見えない存在、あるいは使い捨てにできる存在として扱われていると彼は主張した。こうした労働者は、しばしば人間性よりも有用性を強調するステレオタイプ的、あるいは人間性を無視した描かれ方をされる。伝統芸術の女性たちと同様に、移民労働者もまた、その外見だけではなく労働力として客体化されている。彼らの存在や苦闘は、より広範な大衆の視界から隠され、彼らの社会への貢献は評価されることなく搾取されているのである。
芸術作品における女性の搾取が覆い隠されてきたように、移民労働者に依存する経済システムは、彼らの労働と苦悩の現実を覆い隠している。移民労働者はしばしば部外者や臨時労働者として描かれ、社会の視線は彼らの有用性に集中し、彼らの個人的なストーリーや苦難、夢は無視されている。
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『第七の男』より
© JEAN MOHR, 1975/JEAN MOHR HEIRS, 2024
視線による客体化
両著作においてバージャーは、権力者が「視線」を用いて対象を客体化し、搾取する情景を浮き彫りにしている。芸術作品における女性の場合、男性の視線が彼女たちを「美」の対象へと変え、主体性を奪い、受動的な存在へと貶める。移民労働者の場合、経済的な視線が彼らを労働単位として見なし、必要不可欠ではあるが代替可能な存在として扱い、個性や人間性には目を向けない。女性のヌードも移民労働者も、主観性を剥ぎ取られ、他者からどう見られ、どう利用されるかに還元されている。これがバージャーが明らかにしようとした搾取の本質である。
『Ways of Seeing』では、女性の搾取は芸術の審美的な言語の背後に隠され、『第七の男』では、移民労働者の搾取は産業経済における労働の必要性によって覆い隠されている。女性は、個性や主体性を剥奪され、肉体のみに還元される。移民労働者は、労働力としてのみ見られ、独自のストーリーや人生をもつ人間として見られないことで、人間性を奪われていく。この人間性の剥奪は、両作品においてバージャーが挑もうとしている疎外の主要な形態である。
両著作におけるバージャーの批判的観点は、搾取を指摘するだけでなく、客体化された人びとの主観性を回復することでもある。彼は、女性や移民労働者に対する見方や理解に内在する力関係を問い直し、彼らの人間性を完全に認める視点へと転換することをわたしたちに促している。
ジャン・モアの視線
『第七の男』におけるジャン・モア(1925-2018)の写真と、フランスの哲学者ロラン・バルト(1915-1980)の写真論、特に1980年の『明るい部屋:写真についての覚書』における写真の「狂気」との関連に触れておきたい。モアはスイスの写真家で、特に人道的な文脈におけるドキュメンタリー写真の仕事と、ジョン・バージャーとの長年にわたるコラボレーションで知られている。モアのキャリアは数十年に及び、その間、移住、貧困、紛争の影響を受けた人びとの生活を、困難な状況における尊厳と人間性に特に焦点を当てながら撮影した。
モアの写真は、移民労働者が直面する経済的、感情的、社会的課題を探るバージャーのテキストに、力強い視覚的伴奏を提供している。このコラボレーションは、個人の現実の生活と闘いを反映し、移民体験の深く人間的な描写を生み出している。
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『第七の男』より
© JEAN MOHR, 1975/JEAN MOHR HEIRS, 2024
モアの視覚的記録とバルトの哲学的考察は、いずれも写真のイメージがもつ感情的かつ実存的な力に深く関わっている。人間の現実を記録するメディアとしての写真の影響について、特に移民労働者の文脈で探求してみよう。
バルトの「写真の狂気」という概念
バルトは『明るい部屋』のなかで、写真には狂気や「プンクトゥム」(punctum)があると述べている。プンクトゥムとは、写真が鑑賞者の感情を突き刺し、単純な認識を超えた深い反応を引き起こす能力を指す。バルトにとって、写真は単なる現実の描写ではなく、一瞬を永遠のものとし、儚いものを永続的な静止画像に変えるものなのだ。そのため写真には、時間を凍結し、同時に死の存在を想起させるという、ある種の不気味な性質がある。写真に写し取られた瞬間は、過ぎ去り、消え去ったものであり、現実の亡霊なのだ。
バルトは写真の「スタディウム」(studium)、つまり文化的に、あるいは社会的に馴染みのある側面と、プンクトゥム、つまり見る者を深く傷つけたり、感情をかき立てたりして、感情的あるいは実存的な衝撃を与える側面とを区別している。バルトがプンクトゥムを写真の狂気と関連づけたのは、このプンクトゥムが、見る者の精神に、しばしば予想外の、あるいは不穏なかたちで入り込んでくるからである。
『第七の男』における写真
『第七の男』に掲載されたモアの写真は、移民労働者の現実を記録し、彼らの孤立、苦難、そして脆弱性を捉えていた。モアの写真とバージャーの文章が組み合わされることで、故郷を離れ、見えないところで搾取されながら、外国で過酷な労働に従事する移民労働者の人生の感情的、実存的な重みが伝わってくる。これらの写真は、地理的な隔たりだけでなく、社会的、感情的な隔たりをも感じさせる。
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この意味において、モアの作品はバルトのプンクトゥムを体現していると言える。つまり、これらの写真は単に現実を記録するだけではなく、労働、休息、孤独の瞬間を切り取った写真から、労働者の静かな苦悩と人間の尊厳が浮かび上がり、見る者の心を突き刺すのだ。見る者は、これらの男たちを見るだけでなく、彼らの苦闘を感じ、彼らの人間性に直面することを求められる。そうしなければ、彼らの苦闘は見えないまま、あるいは無視されたままになってしまうのだ。
時を止めて、儚さを明らかにする
バルトの理論に沿えば、モアの写真は一見すると平凡な瞬間(休憩中の男性、休憩中の労働者グループ)を捉えているが、その一瞬を永遠のものにすることで、狂気の一面を表現している。移民労働者の生活は移ろいやすく、絶えず動き続けている。国から国へ、仕事から仕事へと移り変わっていく。これらの写真は、その儚い瞬間を凍結し、彼らの生活の過酷さと写真の永遠性との間に、心に強く訴えるコントラストを生み出している。『第七の男』における批評家と写真家のユニークな組み合わせは、バルトに先んじた新しい写真理論の確立でもあったのである。
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武邑光裕|Mitsuhiro Takemura メディア美学者。日本大学芸術学部や東京大学大学院などで教授職を歴任。1980年代からカウンターカルチャーやメディア論を講じ、インターネット、ソーシャルメディア、VR、AIといったデジタル社会環境を研究。2013年より武邑塾を主宰。主な著書に『記憶のゆくたて:デジタル・アーカイヴの文化経済』『さよならインターネット:GDPRはネットとデータをどう変えるのか』『ベルリン・都市・未来』『プライバシー・パラドックス:データ監視社会と「わたし」の再発明』『Outlying:僻遠の文化史』などがある。
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【関連書籍】
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本書は、私の自叙伝であると同時に、人生の最終段階においてのみ語ることが許される『秘密』やプライバシーの開示でもある。──武邑光裕
インターネットのない時代、「ゾーン」に導かれるまま世界中を駆けめぐり、いつでも時代の“外側”から文化を創ってきた。マンハッタンに廃墟の住処がなくなろうとする80年代後半のNY、90年代以降のサンフランシスコ、京都、東京、札幌、ベルリン。40年以上に及ぶ、人と文化をめぐる旅の記憶。武邑光裕が歩んできた道を辿ることは、未来の文化につながる。
<特別付録:24P小冊子つき>
「サイケデリックの行方」
宇川直宏(DOMMUNE)× 若林恵(黒鳥社)対談
『Outlying 僻遠の文化史』
ISBN:978-4-910422-19-0
武邑光裕(著)
装丁:藤田裕美
発行日:2024年10月25日(金)
発行:rn press
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『第七の男』
ISBN:978-4-910801-00-1
ジョン・バージャー(著)/ジャン・モア(写真)
金聖源、若林恵(翻訳)
造本・デザイン:藤田裕美
発行日:2024年5月15日(水)
発行:黒鳥社
判型:A5変形/256P
定価:2800円+税
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