次世代ガバメントをデザインする:デンマークデザインセンターCEOとの対話
まだ肌寒い2月末のとある朝。東京大学公共政策大学院が主催する「仮想政府セミナー」にてレクチャーを行うために来日したデンマーク・デザイン・センターCEOのクリスチャン・ベイソン氏と話をする機会を得た。
行政システムが、いつしか十全たる機能を果たし得なくなっているのは、なにも日本に限った話ではない。行政府を含めた社会システムをいかにイノベイトしうるのかは、イデオロギーや政治形態に関わらず、いま世界中の国で最も活発に議論がなされている分野のひとつだ。
「ガバナンス・イノベーション」をその最前線で見てきたベイソン氏に、そもそもなぜ行政府が変革を求められているのか。来るべき社会において「公共的価値」はいかに守られるべきなのか。そのために次世代行政府が果たす役割とは何なのか。そして、そこで「デザイン」はどのように貢献できるのか。等々、黒鳥社コンテンツ・ディレクターの若林恵が、根ほり葉ほり聞いてみた。
撮影:間部百合|取材協力:一般社団法人 行政情報システム研究所
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【概要】
・デンマークデザインセンターのお仕事
・「デザイン」という言葉の拡張
・魅力的なガバメントの共通項
・官僚制度には(一応)感謝しよう
・イデオロギーやテクノロジーからはじめない
・地元の若者をパブリック・エージェントに
・失われた造船産業とポピュリズム
・バイシクル・シティの可能性
・SDG'sはチャンスと思え
・シェアド・パブリックという考え方
・行政府は「コンテンツ」を語れ
・デザインとはかたちにすること
・いま文化人類学者が必要な理由
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デンマークデザインセンターのお仕事
──まずはじめに、簡単に経歴をお聞かせいただくことできますか?
最初についたのは、コンサルティング企業での仕事でした。その後「MindLab」という組織で8年間働きました。これはデンマーク政府の機関で、ここではデザインシンキングを政策立案に導入するためのイノベーションチームを率いていました。その経験をもとに、公共セクターにおけるイノベーションについて本を書いたりもしています。
──『Leading Public Design』『Leading Public Sector Innovation』の2冊ですね。前者には「人間中心のガバナンスを探して」、後者には「より良い社会のためのコ・クリエイション」というサブタイトルがつけられています。
まさに、パブリックセクター、つまりは行政府のあり方を再考することが「MINDLAB」での仕事のテーマでした。それを経て、4年前に「Denmark Design Center」(以下、DDC)のCEOに就任しました。DDCでは、むしろ民間セクターのビジネスに関わる領域をカバーしています。スタートアップから、中小企業、大企業まで、デザイナーのマインドセットを経営やガバナンスにおいて導入することを試みています。デザインシンキングを企業に持ち込むわけです。
──具体的にはどんな作業をするんですか?
デザイナーと企業を結びつけるプログラムをオーガナイズすることが多いですね。例えば、100社の中小企業に参加してもらうプログラムでは、われわれがキュレートした12のデザインエージェンシーとともに、「デジタライゼーション」をテーマにワークショップを行いました。「開発・まとめ・レビュー・調整」を繰り返していく、いわゆる「スプリント」のトレーニングを行いました。日本でも同じかと思いますが、デンマークでも多くの中小企業がデジタル化に苦労していますので、こうしたプログラムを通して、デジタルトランスフォーメーションのお手伝いをしています。
──うまくいきますか?
ここでの私たちの仕事は、以下に集約できるかと思います。「プログラムを企画すること」「最も優れたデザインエージェンシーをキュレートすること」「参加企業を集めること」、そして「そこで行われることを注意深く観察すること」です。そこで得られた知見を精査し、インパクトを測定し、何がうまくいくか、いかないのかを見極めます。簡単にいうと3つのことをやるわけです。「実験」「学び」「学んだことを共有する」です。
──DDCは、どのようなチームで構成されているのでしょう?
現在約30人ほどのメンバーがいます。デザイナー、テックエンジニアから文化人類学者までいる多様性のある組織となっています。さきほど挙げたような中小企業向けのプログラムのほかにも、企業や行政担当者に向けて、デジタル社会の未来を考えるためのリーダーシッププログラムも行っていて、これは国際的にも展開しています。
──DDCは国の機関なんですよね?
国の機関です。日本の経産省にあたる「Ministry of Business & Economy」が50%の資本を保有しています。1978年につくられた機関で、昨年40周年を迎えました。もともとはデザインコミュニティによってつくられたデザインカウンシルという組織が母体で、それが中央官庁を巻き込んだかたちで発展していまのかたちになりました。
「デザイン」という言葉の拡張
──1978年当時に言われた「デザイン」といまのそれとでは、随分と内容も変わっていますよね。
そうですね。発足当時のDDCに関わっていたのは、家具やインダストリアル、グラフィックなどのいわゆる「デザイナー」が中心でした。もちろん70年代からいまに到るまでいわゆる「北欧モダン」はデザインという領域の重要な一部門を成していますが、当時からすでに「デザイン」という言葉はもう少し広い意味で使われていました。
──そうなんですか。
今からすでに20年前に、DDCはハーバードビジネススクールと共同で「デザイン経営」に関する本を出版したりもしています。ごく最近になって「デザイン」という概念が拡張したわけではないのです。とはいえ、DDCでさえ新しい時代へと向けた変化のなかでもがいているのも事実です。私がジョインしたタイミングでは、かなり厳しい財政難に陥っていました。DDCにもトランスフォーメーションが必要だったのです。
──「デザインというものを社会システムの変革の根幹におくこと」は、もはやデンマークの国策のようにも見えるのですが、その考えを推し進めたのはどのような問題意識だったのでしょう?
デザインはあくまでもソリューションですから、その背後にどういう問いがあるのかは重要ですよね。デザインドリブンなソリューションが重要視されるようになった背景には「デザイン主導の組織や企業の方がうまく行っているのはなぜか?」という問いがあったのだと思います。実際、デザインドリブンな企業の方が良いプロダクトやサービスを生み出してきましたし、競争力も給与水準も高い。加えて、よいデザインはそのほかのさまざまな価値をもたらしてもきました。サスティナビリティ、循環経済といった新しい価値がデザインを通じて発見されてきましたし、新しいビジネスモデルの開発もデザインを通じてなされつつあります。こうした価値は時代を経るなかで重要性を増していますので、デザインの有効性はますます高まっていると考えています。
──なるほど。
国際競争力という観点から見ても、デジタルエコノミーの推進とそれがもたらす新しいビジネスモデルの創出という観点からも、パブリックセクターの再定義という観点からも、デザインは有用性の高いソリューションとなります。世界中の行政府や既存産業が、AirbnbやUberといったサービスをどう取扱うかで頭を悩ませていますが、彼らの存在は優れたデザイナーがいかにパワフルな存在となりうるかを逆説的に明かしてもいるのです。
──良きにつけ、悪しきにつけ、インパクトは絶大です。
はい。こうしたデジタルサービスは、いま行政府や国家というものに対して強烈な圧力をかけていますが、それが都市や社会構造をどのように変えつつあるかをよく見極めた上で、行政府がいかに適切にそれらをガバナンスするかは、いま世界中で重大な議論となっています。こうした問題を考える上でもデザインは有効な道具となると思います。
魅力的なガバメントの共通項
──デジタルテクノロジーが社会のあらゆる領域に浸透し、社会システムそのもののアップデートが余儀なくされているなか、一番困難に直面することになるのは民間企業よりもむしろ行政府ではないのかという気がしています。
おっしゃる通りですね。これまで、民間で10年、国の機関で8年、そして、その中間に位置する組織で4年間働いてきましたが、未来においてよりよい社会をつくり出していくためには、行政府と民間企業と市民社会とが、より高度なやり方で協働する必要があると思います。かつてはプライベートセクターがお金を稼いで、それを行政府が税金として集めて分配するという考え方でした。それはそれであまりにも現実を単純化した物の見方ですが、いずれにせよそうした社会像はもはや通用しなくなっています。
──通用しませんか。
しませんね。とはいえ、行政府の本来の役割は、いまも昔も変わっているわけではありません。ビジネスをよりイノベイティブで競争力あるものにすべく環境を整え、同時に、市民社会をより活力と多様性に満ちたものにすべく、自分の生き方に即したやり方で生きられるよう柔軟性のある機会と環境をつくりだしていくのが、その役割です。役割自体は変わりませんが、実現の仕方は劇的に変わっています。
──どう変わってきているのでしょう?
これまで世界のさまざまな行政府をリサーチしてきてわかったのは、魅力的な行政府には共通した特徴があるということです。「オープンでコラボラティブ」「多様な能力や資格をもった人びとが参加している」「社会に対して積極的に働きかけ、よりよい市民のインサイトをもって政治家に働きかけることができる」「長期的な展望をもっている」といった特徴です。こうした特徴をもたない行政府は、もはや21世紀において十分に社会に貢献することはできません。19-20世紀の行政府の考え方をもって21世紀の世界を渡って行くことはもはやできませんし、それは危険なことでもあります。
官僚制度には(一応)感謝しよう
──19-20世紀の行政府というものを簡単に説明していただけますか。
19世紀の行政府の仕様は基本的に軍隊をモチーフにしてつくられたものです。軍隊の構造は、行政府に限らず民間企業をつくる上でもおおいに参考にされたものですが、いずれもそれは官僚的な組織体となっています。
──ふむ。
官僚制というとそれだけで毛嫌いする人も多いのですが、官僚制度は、多くの面においてよい仕組みであったことを忘れてはいけないと思います。官僚制によって、血縁や地縁に基づく不平等が解消され、原則として民主的かつ公正に人材が登用されるようになり、そのことによって事実に基づいた、より客観的な判断が期待できるようになりました。組織がヒエラルキー構造を持つことで、ある判断をトレースすることが可能になりましたし、そしてそこにプロとしての職業意識も生まれるようにもなりました。こうしたこと自体をわたし達は感謝すべきだと思います。官僚制がない場所で暮らすのは、それがある場所で暮らすよりも、はるかに大変なことです。官僚制度をバッシングすることについては注意深くあるべきだと思います。
──気をつけます(笑)。
(笑)。20世紀の官僚制度がもたらした功績は、さまざまな公的サービスを国家全体に行き渡るようスケールさせたことです。それを最大化したのが福祉国家というものですが、そこでは、ヘルスケア、ソーシャルサービス、教育、インフラ整備などが大規模なスケールで実現され、しかも、官僚制度のおかげで非常に効率的に実行されたのです。
──もっとも行政のトップダウンによる工業化・産業化は、公害などさまざまなダウンサイドも生むことにもなりました。
その通りです。そうした反省を受けるかたちで、20世紀後半になると、今度は民間や市場の知恵をより多く取り入れることで、よりよいサービスの提供に向けて公正でフェアな競争を生み出すことができるようになると考えられるようになりました。そのことで市民の選択も広がり、社会はより豊かになると考えられたのです。
──大きい政府から小さい政府へ、という流れですね。
はい。ところが、官僚主導の「大きな政府」も、市場主導の「小さい政府」も、現在の私たちの社会に十分に寄与しうるものではなくなってしまいました。
──何が起きたのでしょう。
世界は、グローバル化し、動的かつ複雑なものになり、その結果、非常に不安定なものになっていきました。こうした世界にあっては、行政府やガバナンスの考え方も次のレベルへと発展しなくてはならなくなっています。これは何も私だけが言っていることではなくて、多くの学者がここ15-20年ほど指摘してきたことです。行政府は再発明されなくてはならないのです。
イデオロギーやテクノロジーからはじめない
──新しいかたちとは、どんなものになるのでしょう。
これからの行政府は、よりネットワーク化されたものにならなくてはなりません。そして市民のニーズに対してはるかにリスポンシブでなくてはなりません。また、効率や競争力を重視するのではなく、実際の効果、公共サービスを通じて何がもたらされ、人の人生や社会がどう変わったのかを指標としてサービスが評価されなくてはなりません。簡単に言ってしまえば行政府は「共感」を軸として機能しなくてはならないということだろうと思います。
──欧米でよく言われる「人間中心」っていうことですか。
「人間中心」というのは、発想の起点を人に置くということを意味しています。これまでの行政府や企業は、イデオロギーやテクノロジーを起点に社会を変えていこうとしてきました。今後は、人を社会的、経済的、文化的な存在として包括的に理解し、人が生きている状況や環境の複雑さにきちんと向き合い、そこに働きかけなくてはなりません。簡単にいうと、人の立場に立って物事を考えるということです。「共感」というのはそういう意味です。そうすることで個々人に見合ったサービスを設計することができるようになります。
──はい。
そして、その点においてデザインが重要な役割を果たすことができるのです。デザインは、人間の環境・状況というものを包括的に理解しようとする行為ですから。こうしたアプローチは、どんどん多様化が進む状況にあってはとても重要なものです。高齢化、多民族化が進行していくなかで、新しい価値観、新しい生き方、新しい働き方、新しい家族のあり方を行政サービスは包摂し、支援しなくてはなりませんから、社会を一面的に捉えるような従来のやり方では不十分なのです。
地元の若者をパブリック・エージェントに
──これまで官僚というと無表情に機械的な作業に従事するというイメージでしたが、そうではなくなるわけですね。
そうした機械的な仕事の多くはテクノロジーの力を借りて自動化されていかなくてはならないと思います。機械的な仕事にリソースを取られていては、行政府が本来果たさなくてはならない仕事ができなくなってしまうという危機感こそが、世界各国をして、行政のデジタルトランスフォーメーションを急がせている理由でもあるのです。
──これからの行政府の仕事はますます増えるように思いますし、個々の案件は、より個別性が高くなり、よりデリケートな対応が求められることになりそうです。
おっしゃる通り、行政府の仕事はエンドレスです。ただでさえ政府は放っておくと際限なく大きくなってしまうという問題があります。政府は毎年予算を2%ずつ削らなくてはならないという法律がデンマークにはあるのですが、それは政府は肥大化してしまうのを防ぐためです。あらゆる省庁は、予算を切り詰めるよう厳しく財務省の指示を受けますし、税金の高いデンマークのような国では、市民からの行政府への要求も当然高くなります。
──財源が増えないなかニーズは多様化し、仕事は増える一方。どう対処するのでしょう。
行政府に必要なのは、ネットワークとして機能することだと思います。別の言い方をするならばプラットフォームとして機能することです。これまでの行政府は、あらゆる行政サービスを自分たちで計画して自分たちで実行してきました。しかし、それではきめの細かいサービスは提供できませんし、予算がいくらあっても足りません。プラットフォームとして機能するというのは、社会のなかにあるリソースをアクティベートして公共サービスを執り行うということです。
──どういうことでしょう。
こんな例があります。高齢者のデジタルリテラシーを向上させるプログラムを数年前にコペンハーゲンで実施しました。これまでの行政府の考え方ですと「学校をつくろう」とか「行政主催の講座を公民館で開催しよう」となるのですが、このプログラムでは、荒れた地域で育った若者たちに、地域の老人たちにデジタルのスキルを教えさせることを実施しました。このプログラムを通して、若者たち自身のデジタルリテラシーも向上しましたし、人に教えることで自分自身に対する自信や誇りを育むこともできました。と同時に、老人たちに地域コミュニティとの繋がりをもたらし、地域の安全性も高まったのです。
──うまいアイデアですね。
これは非常にうまく行ったプログラムでした。このプログラムのキモは、行政府自身が自前のリソースで教育を行うのではなく、若者たちを公共サービスにエンゲージさせることでコストをかけずにプログラムを実行し、そのなかでコミュニティのレジリエンスを高め、ソーシャルデベロップメントにも寄与したという点です。こうした考え方が、これからのスマートガバメントにおいては重要になってきます。市民や企業をアクティベートし、エンゲージさせ、そしてエンパワーするのです。
失われた造船産業とポピュリズム
──ビジネスをエンパワーするためには、行政はどのような仕事をしていくことになるのでしょう。
デンマークは、この数十年で造船産業を失いました。世界で5本の指に入る造船産業をもっていましたが、この産業は10年後には完全に消滅することになります。
──ええっ。どうするんですか?
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