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みなが愛すべきストーリーテラー|キム・ソヨン特別インタビュー 【『第七の男』刊行に寄せて】

英国文学界における孤高のストーリーテラー、ジョン・バージャー(1926-2017)は、日本での知名度は低いが、韓国では広く読まれ、折に触れて参照するべき重要な現代作家と見なされているという。バージャー作品をこよなく愛し、「ひとりの人間をひとりの人間として見つめさせてくれる」と語り、日本で初翻訳されたバージャーの代表作『第七の男』に帯文を寄せた韓国の詩人キム・ソヨンに、韓国におけるジョン・バージャーの影響力、その作品をいま読むべき理由を訊いた。

interview by Kei Wakabayashi
interpretation & text by Sungwon Kim

キム・ソヨン|Kim So Yeon|詩人
「誰も私に詩を書いてみたらなんて言わなかったから、詩を書く人間になった」。 詩集に『極まる』『数学者の朝』、エッセイ集に『心の辞典』など。『詩人キム・ソヨン 一文字の辞典』(CUON)が日本翻訳大賞を受賞したほか、韓国では露雀洪思容文学賞、現代文学賞、李陸史詩文学賞、現代詩作品賞を受賞。


ジョン・バージャーとの出会い


──本日はよろしくお願いします。この度はお忙しいなかありがとうございます。

はじめまして。楽しみにしておりました。

──ジョン・バージャーの『第七の男』が日本で初めて刊行されるにあたりまして、本の帯にソヨンさんにいただいたコメントを掲載しています。今日は韓国でバージャーがいったいどのように読まれているのか、ソヨンさんの見るところを伺えたらと思っています。

承知しました。ただ、ひとつだけ懸念があります。私はバージャーのことを愛する韓国の作家のひとりですが、バージャー作品を一手に引き受けて翻訳してきた翻訳者の方々や専門家といえる方々がいらっしゃいますので、私が多くを知っているようなふりをすることはできません。そうではなしに、私自身がバージャー作品をいかに愛好しているかは十分に表現できるかと思います。

──韓国ではすでにバージャーの著書が20タイトルほど翻訳されていると聞きます。これは翻訳者の方々の尽力が大きいのでしょうか? また、バージャー作品の紹介が始まったのはいつ頃からなのでしょうか?

私がもっている情報はあくまで個人的な経験で客観性に欠けますので、慎重にならざるを得ないのですが、私の記憶する限りでは、韓国の作家たちのあいだで「ジョン・バージャー読んだことある?」といった会話が出回り始めたのは、おそらく2004年にバージャーのエッセイ集が翻訳出版された頃のことです。『And Our Faces, My Heart, Brief as Photos』(未邦訳)というエッセイ集です。

──ソヨンさん自身も、その頃に初めてバージャーに触れたということでしょうか?

はい。私が初めてバージャーを読んだのもその頃です。最初に手にしたときには、写真をはじめとする「イメージ」に向けられたバージャー特有の視点に惹かれました。そして、その視点に、社会学的かつ美学的な文脈が重なっていくところにも魅せられました。

はじめに手にした本は『第七の男』に比べるとはるかにエッセイ色の濃い作品で、まるで文章が生きているかのような繊細な文体が印象的でした。詩が引用される。本人が書いた詩も挿入される。散文と詩が織りなす新しい形式の本だと感じました。であればこそ、韓国の作家たち、特に小説家やエッセイスト、詩人たちが愛読したのではないかと思います。私もそのひとりです。

──なるほど。

その後、バージャー作品が韓国の知識人のあいだで爆発的に参照されるようになったのは、2008年に『Hold Everything Dear: Dispatches on Survival and Resistance』(未邦訳)の翻訳が刊行されてからだったと思います。

この本のなかに、9.11アメリカ同時多発テロに関する記述があります。そこで記述されるテロリストの表現のなかに、画期的な眼差しが含まれていました。バージャーはテロに反対する立場からではなく、テロリストがテロを決行せざるを得ない絶望に焦点を当てて文章を展開したのです。韓国の知識層はそのバージャーの立場を新しい視点だと理解し、歓迎したように感じます。

というのも、それがおそらく韓国社会にとって受け入れやすい視点だったからです。日本による植民地統治時代、韓国には、客観的な視点から見れば「テロリスト」と評されるに違いない「独立闘士」の存在がありました。そうした存在は映画や小説のなかで英雄として描かれ、人びとはその存在を、韓国を救った英雄として受け入れ成長してきたという背景があります。尹奉吉(ユン・ボンギル)などが特に有名な存在です。

そうした理由からも、バージャーの視点は韓国人にとって鮮烈なものでした。テロリストの立場に立ち、テロ行為がどれほどまでに極まった絶望のなかから起こりうるのかを考えること。そして、それがときに非常に正当な行為かもしれないということを考えること。そうしたことを、とりわけ韓国人は、近代史を通じてよく理解しているのです。

Photo by Hiroyuki Takenouchi

「人間」の居場所を伝える


──『第七の男』については、それが韓国社会で受け入れられたとしたら、どんな背景があったと考えられるでしょう。

欧州移住労働者の経験を書いた『第七の男』(韓国語では”제7의 인간"。直訳すると「第七の人間」)の出版も韓国社会において大きな役割を果たしました。刊行された当時、韓国社会はちょうど移住労働者、特に不法移住労働者をどのように受け入れ、どのように共生していくかについての議論が盛んな時期でした。かつ、議論はあるものの、有効な対策が見いだせないような状況にありました。そんななか、バージャーは移住労働者を他者化することなく、そうした人びとの人生を繊細に感じさせる表現を与えてくれたのです。

単なる移住労働者あるいは異邦人として扱われながらも、私たちとともに社会を生きる存在は、社会のなかで絶えず不利な役割を引き受けさせられ、加えて不利なイメージまで引き受けさせられています。『第七の男』は、その状況を正確に見きわめ記述するやり方を教えてくれました。その証拠に、『第七の男』は新聞で多く引用されただけでなく、知識人や市民団体などによっても多く引用されました。

──幅広い人たちによって参照された、と。

バージャーの著書は、バージャー自身が多様なジャンルの本を刊行してきたこともあって多様な読み手に参照されてきました。さらに彼はドローイング、詩作、小説、美術批評といったさまざまな分野を横断しながら多様な作品を残してもいます。それゆえに、美術館は彼の絵画に関する著作を参照し、私のような詩人は彼の詩作、あるいは彼が紹介した作家の詩作を参照する、といった具合に読まれてきました。全方位的に作品を残したバージャーは、必然的にあらゆる芸術家たちに影響を与えずにはおかなかったのです。

このインタビューのために、最新の新聞記事に当たってみました。すると、2024年に開催された大邱(テグ)写真ビエンナーレ特別展において、バージャーの残した警句が引用されていることがわかりました。特別展は「No Signal」と題されており、副題としてバージャーのことば「写真の真の内容は目に見えない」 が引かれています。参照しやすいこうした警句を、バージャーは多く残してきました。そのため、本人不在のまま、このようにビエンナーレで引用されるような使われ方もしています。

バージャーの文体には、現代を生きる私たち人間の居場所を把握させる、正確な伝達力がある。それが社会で大きな役割を果たしているんですね。

──日本では、バージャーの紹介のされ方が断片的になってしまった嫌いがあるのではないかと感じています。『Ways of Seeing』(『イメージ:視覚とメディア』) は美術批評もしくはメディア論として、『A Fortunate Man』(『果報者ササル:ある田舎医者の物語』)はノンフィクションとして、といった具合にバラバラに紹介されてしまったがゆえに、バージャーのもつ異なる側面を結びつけて理解することが困難な状態になってしまっています。韓国ではそんなことはないのでしょうか?

『果報者ササル』に絞ってお話ししますと、この作品は、社会学者にも多く参照されると同時に、私のような詩人にも参照されています。私の場合、人間が感じる苦痛や悲しみを詮索するような詩を書くわけですが、それに近い表現がこの著作にも現れています。 ある人が痛みを表現するとき、その瞬間のなかにどれだけ多くのナラティブが潜んでいるのか。詩人である私はバージャーの表現を受け取ることで、悲しみというものを個人の体験に限定することなく、そこに社会的な悲しみをも重ねて考えることができるようになりました。

その一方で、『果報者ササル』を「医療から疎外された層とはいったいどんな人びとなのか?」という観点から読むことも可能です。バージャーの文章そのものが、どんな立場の人でも参照することができるものとなっていますので、心理学者から、はたまたスーザン・ソンタグのように病への哲学的思惟を実践した者からも参照されるのです。バージャーは分業化・専門化が進んだ世にあって、まるで交差点のように、ロータリーのように存在していると私は考えています。

(写真上)車を買って帰国した移民とその家族。
アナトリア、トルコ。(写真下)移民が買って帰ってきた調度品。
アナトリア、トルコ。『第七の男』より
© JEAN MOHR, 1975/JEAN MOHR HEIRS, 2024


個人と反グローバル闘争


──ソヨンさんは、美術評論家、小説家、詩人としての個別の側面のうち、どれがジョン・バージャーという作家の全体性を規定していると思われますか?

私は全体作家としてのバージャーを好んでいるのだと思います。2000年代の私の机の片隅にはいつもバージャーの本が積まれ、常にそばに置いて頻繁に参照してきました。私はよく「21世紀の作家や文学はどのように存在すべきか?」という問いに思いをめぐらせます。例えば、詩人として「売れる/売れない」といった資本主義と深く関係する問いのなかに投げ込まれたとき、あるいは本当にやりたい仕事を心に秘めているとき、いつもバージャーが参考になります。なんと言いましょう、一言でバージャーを表すならば「反グローバル化の闘争をした作家」ということになるのではないかと思います。

そして、バージャーは常に、個人としての人間を反グローバル化闘争という場面に引き合わせるのです。「感情をもった個人」と「反グローバル化闘争の革命家」は、それぞれ別の世界に存在し、片方を選べばもう片方は放棄せざるを得ないものだと考えがちなところを、バージャーは文章をもってして両者を引き合わせてくれる。そうしたバージャーの作業に私は目を見開かれてきました。そこまでの尊敬に値するような仕事を、私自身ができているわけではありませんが、その役割を果たそうする彼の過程自体を手本にしてています。

──個人の主観的な世界と、ジオポリティカルな客観世界の相剋は、まさに『第七の男』においても重要な主題となっていますが、ソヨンさんがおっしゃった通り、前者の記述が小説などの文学に、後者がアカデミックな論文やノンフィクションといった形式のなかにそれぞれ収まってしまい、このふたつの領域が出会いづらくなっているのではないかと感じています。韓国ではいかがでしょう?

韓国でも同じようなことは起きていると思います。 文学の世界だけを見ても、「アンガージュマン」(参加)を謳い世の中を変えようとする文学がある一方で、耽美的であったり冒険的な言語実験を展開しようとしたりする文学があり、そこにも極端な分断があるように感じます。私にとってのバージャーは、分断してしまっているそれぞれの領域の長所をもち寄って新しい世界をつくり出そうとした作家です。少なくとも、そうした努力の痕跡が見える作家であると私は捉えています。

それからもうひとつ。最近の韓国の文化が特にそうなのですが、自分が依拠する準拠集団、とりわけ家族という集団の利益やその声に注目するあまり、個人の声やナラティブをかき消す態度に陥りがちです。それに対し、バージャーはどこまでも個人から出発して話を展開しますよね。『第七の男』もそうです。常にひとりの人間の側から世界を眺めようとする視点。いわば「人間味」のある視点から出発します。

──ほんとですね。

Photo by Hiroyuki Takenouchi


21世紀の文学はいかにあるべきか


──ちなみに、バージャーが韓国に紹介される以前に、似た文脈で頻繁に参照されてきた海外の書き手としてはどんな人が浮かぶでしょうか?

それが思いつかない、というのがバージャーの強みではないでしょうか?

──日本ですと、例えば近いかもしれない存在としてスーザン・ソンタグがよく読まれてきましたが、韓国ではどうでしょう。

私もソンタグの名前が真っ先に思い浮かびましたが、彼女はバージャーのように詩集を出したり、絵を描いて本を出したりはしませんでした。もしかしたら、ソンタグもそうしたことをやりたかったのではないかとも思うのですが、バージャーには、他の作家がもち得なかった「無邪気さ」があったのではないでしょうか。

──そもそも英国文学は多く訳されてきたのでしょうか? 例えばジョージ・オーウェルとか。

英国の作家は古典とされる作品が多く紹介されてきました。オーウェルも広くは古典に含まれる作家と言っていいと思いますが、バージャーはそうした古典的作家とは違って、はるかに「現代の作家」です。そう考えると、英国文学の現代作家のなかでバージャーのように多方面への影響力をもって紹介された作家はほとんどいないように感じます。

──バージャーは韓国ではコンテンポラリーな作家ということになるわけですね。

そうですね。『第七の男』のような作品は、現在も社会問題として台頭する移住労働者に関するものですから、しきりに引っ張り出されては、生きている本として参照されます。オーウェルの作品は、私たち人間の野蛮な振る舞いを象徴的に言及した作品ではありますが、完全に現代のものとは言えないように思います。

──文学というジャンルに閉じこもらず、世界そのものに対峙する。そんなバージャーのスタンスにソヨンさんは憧れをおもちですか?

自分が曖昧なまま大切にしてきた感情や考えってありませんか? 言語化せず、抽象的なままの状態で心に秘めてきた自分の考えや立場ってありますよね。そうしたものが、バージャーの本のなかでときおり整然と正確に描かれていて、彼のことばを引用することでそれを表現できるようになったということは多々あります。バージャーは、そんな瞬間をもたらしてくれます。

冒頭でお話ししたテロリストに向けた眼差しがまさにそうです。それまでの韓国社会では「そんなことを言っていいのか」という躊躇がありました。韓国はアメリカに同調的な感情的立場をとることが多いので、韓国人はあのようなテロを起こしたテロリスト側の絶望については誰も話しません。その頃の私は、この出来事に対する自分の感情や考えを、曖昧なまま胸に秘めていました。アメリカの報道だけがすべてではないはずだ、と感じていたのです。そんなところでバージャーの文章に出会い、嬉しさのあまりその文章を引用しましたし、同時に勇気をもらいました。

──先ほど「21世紀の文学」という表現がありました。これからの社会において文学が果たす役割についてどのようにお考えですか。

それに関連する文をかつて書いたことがあります。私は「人間を人間として見つめることをかろうじて可能にする」のが文学であると考えてきましたが、「人間を人間として見つめることのない文学が増えたとき、それを依然として文学と呼べるだろうか?」という問いをめぐって、2014年にエッセイを書きました。そこでもバージャーを引用しました。それを書いてもう10年が経ちますが、いまでもなおその問いについて考えています。

私には「文学はこうあるべきだ」などと強く言い切る資格はありませんので、そんなことは決してできないのですが、それでもひとりの人間をひとりの人間として見つめさせてくれる文学という仕事について絶えず考え続けています。その時、私のそばでその作業に同行してくれるのがジョン・バージャーなのです。

2017年に『i에게』(未邦訳)という詩集を出版したのですが、その詩集のキーワードは「私たちの外の私たち」でした。 どんな準拠集団もしきりに共同体意識である「私たち(ウリ、우리)」を強調しながら、同時にそこに内と外を隔てる柵をつくります。そしてその結果、「私たちの外側にある私たち」は排除され、剥奪されていきます。そうした柵が連鎖的につくられ続け、「私たちの外」が絶えずつくられていきます。ずっと、まるで玉ねぎの皮のように。

そうした外側に置かれた「私たち」の存在を意識させてくれたのがバージャーでした。であればこそ、そうした問題意識について考えてきた私にとってバージャーはとりわけ重要なのですが、きっと似たような考えをもって活動する作家は、私以外にも少なからずいるはずです。

──バージャーは『第七の男』のなかで、「他者が置かれた状況を知るには、体験のどの部分がこうした歴史的時間から派生しているのかを問い質さなくてはならない」と書いていますが、いま伺った話はそれと関係することでしょうか。

どちらかといえば、共同体との連帯がことさら強調される現代に、それでもなおわたしたちの外側にも私たちがまた存在しているということについて考えをめぐらすということだと思います。いったいどこまでが「私たち」という共同体で、どこまでが連帯すべき対象なのかを問うこと。私は、これからもその問いに向き合って詩を書きたいと思っています。

北ギリシャの村。『第七の男』より
© JEAN MOHR, 1975/JEAN MOHR HEIRS, 2024


人類のためのストーリーテラー


──ちなみに、韓国で最も人気のあるバージャー作品はどれになるでしょうか?

その質問があるかと思って、インターネット上であらかじめ調べてみました(笑)。人気という意味では、どの作品も似たり寄ったりという印象です。それでも『第七の男』と『イメージ:視覚とメディア』が、最も言及されていたように思います。

──そもそも韓国では「海外文学」はどの程度読まれているのでしょうか。日本ではある種、ニッチなジャンルとなってしまっている感があるとのですが、韓国ではどうでしょう。

私にはそのことが実はとても不思議でした。日本を旅行するたび必ず書店や図書館に足を運ぶのですが、自国の出版物セクションがとても充実していますよね。図書館でも同じようなことを感じました。韓国はといえば、 韓国文学が外国の翻訳文学より読者に愛され始めたのは最近のことと言えます。映画も同様です。目の肥えた読者たちが、韓国の文学や映画をこき下ろし、翻訳作品をより重視してきたのが1990年代から2000年代前半までの状況でしたが、いまは違ってきています。

──ソヨンさんが学生の頃、あるいは文学の道を歩み始めた頃、韓国ではどんな文学作品が読まれていたのでしょうか?

人気のあった作品と、私が好きだった作品は必ずしも一致しないのですが、私は80年代に大学に通っていました。「86学番」(1986年入学の意)です。当時は多くの学生が国文科で学んでいましたが、韓国文学では、朴景利(パク·キョンニ)の『土地』と趙廷來(チョ·ジョンレ)の『太白山脈』が広く読まれていました。ちなみに、詩はほとんど読まれていませんでした(笑)。いまもそうですが、外国文学のなかで少数の愛好家が特に好んでいた作家のなかに、村上春樹や村上龍といった日本の作家もいたように思います。

──バージャー作品のうち、一番好きな作品はどれでしょうか?また、その理由も教えてください。

この質問が一番難しいんですよね。ですから代わりに好きな作品をもってきました。好きなものを挙げただけで優に10冊は超えてしまいます。好きとは異なりますが、『King:A Street Story』(未邦訳)は、学生向けの講義で、ストーリーテリングの形式を説明する際に使っています。作品の世界観がとても好きなので、カジュアルに教材として活用しているわけです。

それから『Keeping A Rendezvous』(未邦訳)と『Ways of Seeing』はよく読み直します。詩は文字による表現ですが、現代詩のほとんどはまずイメージを捉え、そのイメージから何かを描き出そうとします。詩人たちはそうした意図をもって創作に取り組みます。私の場合「どんなイメージを描くのか」という問いよりも、「そのイメージを描くにあたって何が排除されているのか」を考えるようにしています。それを考える際に、バージャーの視点が非常に役立っています。

──今回いただいた帯文は、こういう文章です。「最も政治的で、最も先鋭的で、最も激しい告発をもって、最も気高い人間性を証明する。ジョン・バージャー。私たちが最も長く愛する作家」。最後の一文にある「私たち」とは、誰のことを指しているのでしょう。

「人類」だと思います。 そう思って書きました。バージャーをともに愛そうと呼びかけるにあたって、「私たち」を人類全体にまで広げて語ることのできる理由のひとつは、彼が自分自身を説明するやり方にあります。バージャーは自分のことを美術批評家とも、詩人とも、エッセイストとも、哲学者とも呼ばず、必ず「ストーリーテラー」 と表現していたといいます。

私はそこにバージャーの素朴さを見ます。自分の地位を固めるに十分な強力な影響力をもちあわせながらも、自分はひとりの語り手に過ぎないと謙虚に表現する。アイデンティティを控えめに話すその素朴さこそ、バージャーをみなが愛すべき作家だと言える理由です。

──最後に、日本の読者に『第七の男』のここを読んでほしい、そんなおすすめコメントがあればいただけますか。

私は日本について詳しいわけではないのですが、日本に足を運んだ際には在日同胞と呼ばれる方々とお会いし、彼/彼女らの過去の苦労を聞くことは少なくありません。特に私たちの親の世代から聞くことが多くあります。『第七の男』に書かれていることと、それは大きく違わないのではないかと想像します。ただ、いつの間にか世界は大きく変わり、韓国も日本も、ともに多国籍の人たちが集まって生きる社会になっています。韓国も日本も、過去の民族主義的な目線から離れてもよいのではないかと強く訴えたいのが本音ですが、そんな目線の外側から社会を眺め、個人を見つめ、その問題を感覚的に捉えていくためにも、『第七の男』は十分すぎる本だと思います。そんな紹介がなされれば、それ以上のことはないと思います。

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Photo by Hiroyuki Takenouchi

『第七の男』
ISBN:978-4-910801-00-1
ジョン・バージャー(著)/ジャン・モア(写真)
金聖源、若林恵(翻訳)
造本・デザイン:藤田裕美
発行日:2024年5月15日(水)
発行:黒鳥社
判型:A5変形/256P
定価:2800円+税

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© JEAN MOHR

ジョン・バージャー|John Berger
1926年ロンドン生まれ。小説家・批評家・画家・詩人。1972年、英国 BBCで企 画/脚本/プロデュースのすべてを担当したTV番組4部作「Ways of Seeing」 で広く存在を知られる。同名書籍は美術批評界の金字塔とされ、欧州市民の多 くがアートや文化理論を理解する契機を得たとされる。同年、小説『G.』でブッカー賞を受賞。70年代からフランス農村に拠点を移し表現活動を続け、2017年に90 歳で逝去。主著『イメージ:視覚とメディア』(伊藤俊治訳/ちくま学芸文庫、2013年)、『G.』栗原行雄訳(新潮社、1975年)、『果報者ササル:ある田舎医者の物語』村松潔訳(みすず書房、2016年)、『批評の「風景」:ジョン・バージャー選集』 山田美明訳(草思社、2024年)など。