ラハイナの水:マウイの山火事と災害資本主義をめぐる点描 【若林恵|深夜特報#01】
マウイ島で起きた山火事についての情報は錯綜している。錯綜しているのは、情報が少なく断片的だからだ。多種多様なニュースをソーシャルメディアで眺めながら、点と点をつないで線にしてみる。そうやってわたしたちは、この惨事の全貌を透かし見ようとする。錯綜しているのは、わたしたちが情報をつなぎあわせてつくりだした線だ。
山火事の原因は不明だ。行方不明者は1000人を超えるとされるが、死者の数は今日の段階では100人強とされる。非常用の警報サイレンは鳴らなかった。消火のための水も出なかった。ハリケーンが近づいていたため学校は休みとなった。早退して家に帰ったとされる子供たちが、その後どうなったのかはほとんど語られない。
山火事だと言うが、ニュースが伝えるのは焼けただれた市街地の姿だ。爆撃にでもあったような無残な通りに横たわる焼けこげた車列。溶け出したホイール。これらの車のなかにいた人たちは、どうなったのか。そのなかで亡くなったのか、それとも生き延びることができたのか。海のなかへと避難した人たちは、数時間経ってから救助された。救助された人は、周囲に少なからぬ死体が漂っていたと語る。
出火から10日を経た8月18日、マウイ郡の危機管理責任者が辞任した。ハワイ州知事ジョシュ・グリーンは、当初サイレンは壊れていて鳴らなかったと語ったが、のちにそれが事実でなかったことが発覚する。責任者は、あえて鳴らさなかったのだという。「サイレンは津波の警報として使うもの」というのが彼の言い分だが、行政府のウェブサイトには山火事の場合でも鳴らされることが明記されている。張り詰めた記者会見の席で、記者にサイレンを鳴らさなかったことを悔いているかと問われ、彼は「I do not」と答えた。辞任の理由は「健康上の都合」だった。
繰り返される陰謀論
火災が鎮静化したとされる8月11日の前日の8月10日、オンライン書店のAmazonで『Fire and Fury: The Story of 2023Maui Fire and its Implication for Climate Change』と題されたルポルタージュが発売された。買ってみると、すぐ手元に届いた。山火事のあらましを報告した80ページほどのプリント版の書籍には、発売日と同じ日の8月10日の出来事が、その場で見てきたかのように報告されている。出版社名はなく、著者名を検索すると「Dr. Miles Stones」は今年に入ってすでに17冊もの本を刊行しているという。この原稿を書くためにAmazonのリンクを開こうとしたら、販売ページはすでになくなっていた。
「DEW」ということばもソーシャルメディアでよく見かける。「Directed Energy Weapon」(指向性エネルギー兵器)の頭文字をとったこのことばを含む投稿のほとんどは、火災の原因がレーザー光線を用いた兵器によるものではないかと疑っている。山火事とは思えない破壊の痕跡。豪邸や教会を避け、一般の民家や庶民の生活空間だけを狙いすましたかのようにまだらな被害。本当に山火事の仕業なのかと疑う声は後を絶たない。
DEWは実在する兵器だ。無人ドローンをこの兵器が音もなく撃墜するロッキードマーティン社のデモンストレーション映像をYouTubeで見ることができる。アメリカ国防総省は年間10億ドルの予算をこの兵器の開発に投じている。主流メディアは、火災の原因がDEWではないかと主張する投稿群をニュースとして取り上げ、「陰謀論」「偽情報」として一蹴、もしくは丁寧に反証している。
山火事とDEWが重ねて論じられるのは、実は今回が初めてではない。2018年にカリフォルニアで山火事が起きた際にも同じ「陰謀論」が拡散している。周辺の木は焼けず、家だけがピンポイントで焼けている当時の写真が、今回改めて出回っている。
カリフォルニアの火災をめぐる情報のなかで言及されマウイ島の山火事で再浮上したのは「DEW」だけではない。アメリカを代表するTVパーソナリティ、オプラ・ウィンフリーの名もまたマウイの火災で言及されている。カリフォルニアの火災現場の近隣に別荘を構えていたウィンフリーは、今年に入ってマウイ島で870エーカーの土地を660万ドルで購入したとされる。そして、どちらの別荘も火災の被害を被ることはなかった。
マウイ島には、ハリウッド、テック界、音楽界の多く著名人が別荘を保有している。ウィル・スミス、クリント・イーストウッド、オーウェン・ウィルソン、ジェフ・ベゾス、レディ・ガガ、スティーブン・タイラー、ミック・フリートウッドなどが、そうしたマウイ・セレブとして数えあげられている。オラクルの共同創業者ラリー・エリソンは、マウイ島に隣接するラナイ島の98%を保有しているとされる。彼らの別荘も、火災の被害を被ることはなかった。
マウイ島に関する芸能トリビアは、おそらく山火事とは関係がない。けれども、そこに向けて線を引きたくなる情報が出回っている。家を焼け出された被災者たちのもとに、次から次へと不動産屋・開発業者から電話がかかってきているという情報だ。「土地を売れ」というのが電話の要件だという。
ラハイナである理由
山火事の被害が最も甚大だったのはラハイナという町だ。小説家の片岡義男の祖父が移民として最初に移り住んだのが、この町だった。片岡義男は小説やエッセイの舞台として、何度もこの町を描いている。「フロント・ストリートから一本裏に入ると、ここはどこの田舎だろうかと思うような光景だ」。片岡は小説『ラハイナまで来た理由』に、そう書いている。
ハワイ王国の首都でもあった町は、豊かな水と緑にあふれ、かつて「太平洋のベニス」と謳われた。それが19世紀に植民地化され、サトウキビ・プランテーションと捕鯨基地へと様変わりする。片岡の祖父は、この地で、砂糖きびプランテーションの水門を管理する仕事を任されていた。
ラハイナは王国時代からのネイティブ・ハワイアンとプランテーションで働くために移住した移民が、長いこと慎ましやかに暮らしてきた土地だ。山火事以後の報道でも、この町にはハワイの豊かな伝統と文化がいまなお根強く残ると語られる。かつて首都が置かれた島の一等地。ただし、いまは決して裕福ではない。
ワシントン・ポストは、ラハイナの物価高について報じている。とりわけ住居費の高騰は、山火事の以前から地元住民の暮らしを圧迫してきたという。「ハワイの生活費は全米きっての高さだ。4人家族で93,000ドル(約1350万円)以下の世帯年収は低所得とみなされる。マウイ郡は全米で最も家賃の負担が大きい地域のひとつだ。半数以上の賃借人が収入の30%以上を住宅に費やしている。ラハイナ周辺では、住民の約半数が賃貸住宅に暮らしている」。
ハワイ州やマウイ郡政府は現在セレブに人気のマウイ島のさらなる価値向上に積極的に取り組んでいる。2030年にマウイ島をスマートアイランド化する「JUMPStartMaui」という計画が進められている。マウイ・エレクトリック社といった地元企業と日本企業のジョイントプロジェクトであるこの計画には、日立製作所、みずほ銀行、日産自動車、国立研究開発法人新エネルギー・産業技術総合開発機構(NEDO)などが参加している。
プランテーション災害資本主義
以前からすでに問題視されていたマウイ島のジェントリフィケーションへの懸念が、山火事によって改めて注目されている。強い懸念を表明した著名人のなかにナオミ・クラインがいる。「ショックドクトリン」「災害資本主義」の概念を世に問い、災害資本主義の実態をニューオリンズやプエルトリコのハリケーン災害において描いてきたクラインは、8月15日、ソーシャルメディア上に、マウイ島の被災者たちが開発業者に土地を売るよう迫られていることを報じたニュースにかぶせてこう投稿した。
クラインは次いで、マウイの開発をめぐる歴史を綴った長文のレポートを、カ・フリ・アオ・ネイティブ・ハワイアン・ロー・センターのカプアアラ・スプロートと共同執筆した。8月17日に英紙ガーディアンのウェブサイトに公開された記事は、「マウイに消火用の水がなかったのはなぜか?」と題されている。
水をめぐる闘い
ナオミ・クラインとカプアアラ・スプロートが語るマウイの闘争の歴史の中心には「水」がある。「砂糖きび畑は水を大量に必要とする。貯水池に溜めておく山からの水を水路に配分して流し、畑ぜんたいにいきわたらせなければならない」。奇しくも、片岡義男の祖父が従事していた「水の分配」こそが争点となってきた。
水資源をめぐる19世紀以来の搾取的構造に抗うべく、マウイでは数十年にわたって闘争が続けられてきた。クラインは、その軌跡をこう後づける。
政治化する論争
火災発生後に起きたことによって、マウイの人びとが達成した悲願は一瞬にして無に帰した。レポートはこう伝える。
右派メディアのニューヨーク・ポストは、WMLと州知事の言い分をなぞるかたちで、「公正」に重きを置いた「WOKE」な政策が、火災発生時の水利用を制限してしまった原因だと、8月19日付の記事で伝えている。「火災が燃え盛るなか消化用の水利用許可が5時間も遅れたのは『公正』への懸念からだった」と題された記事は、WML社のコメントを引用しながら、カレオ・マヌエル副委員長の判断を強く非難する。
共和党から大統領選に出馬しているヴィヴェク・ラマスワミーは、この記事をリツイートしながら、この出来事の政治的含意をこう語っている。
「DEI」(Diversity, Equity, Inclusion)を標榜してきた民主党の失策を叩く絶好の機会と見て、共和党陣営は政権批判に力を入れる。バイデン大統領が、死者が多数出ていることについてコメントを求められ「ノーコメント」と答え、休暇を切り上げることなく8月21日になって現地入りした煮え切らない態度にも強い非難が集まっている。ホワイトハウスは、それに対して、バイデン政権が一体となって迅速な対応を行っていると反論しており、ハワイ州知事も政権の対応を賞賛している。
8月21日にマウイ島に視察に訪れたバイデン大統領は被災者を前に、自身が15年前に自宅が火事に見舞われ、愛車の67年型コルヴェットを失いかけたエピソードを披露した。
未来を支配する者
クラインとスプロートは、WML社や右派メディアによる非難に強く反駁する。
レポートは以下の文言で締められている。