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黒鳥社より2025年年始のご挨拶 【blkswn CEO土屋繼】

あけましておめでとうございます。本年もどうぞよろしくお願いいたします。

この年末年始は例年よりも長く、ちょうど真ん中あたりで休暇にも飽きた感じがしていた。やはり仕事というものが好きなのだと思いつつ、そもそも仕事とは何か?などにも思いを馳せつつ、読みかけていた本や積読していた本に目を通しながら過ごしていた。

さて、昨年を振り返ると、大小さまざまなメディアで散々言われていることだが、国内外ともに選挙の年であったと思う。これまた大小さまざまな選挙があったわけであるが、とりわけ個人的には7月にあった東京都知事選挙の印象が強く、そのことについて書き連ねてみたい。

まず結果はこちら。

当選した小池百合子知事や石丸伸二氏、蓮舫氏、田母神としお氏の上位4名についてはそれこそ大小さまざまなメディアで語られており、正直思うところはないのだが、それ以下、特に得票数5位から10位あたりまでの候補者について思うところをまとめたい。そしてそこから今年、2025年への示唆や予兆があるのか考えてみたい。

この選挙に関して思うところは4つある。順に説明したいと思う。

1つ目は今更ながらであるが、NHKから国民を守る党の立花孝志氏は法の抜け穴を見つけるという意味では本当に天才的だと言わざるを得ないことである。名前を広める、つまり知名度を上げる場として選挙は非常に有効な手段である。そのことを再確認させられただけでなく、それを徹底してやり続けることで、ある種のコンテキストを創造することになり、それは後述するが1つのファンダムを形成するに至るのである。泡沫候補だと軽く見積もることは容易いが、選挙という空間をここまで利用し続けているのは見事だと認めざるを得ないのではないだろうか。

2つ目は得票数9位だった桜井誠氏に関することだ。前々回の都知事選である2016年から3度連続の出馬だった。昨年の世界的な選挙の流れにおいては、極右勢力の得票数の伸びが顕著であった。桜井氏が代表を務める日本第一党が掲げる主義主張、政策は極右と評されるものだ。グローバルな風潮や過去2度の都知事選での得票数(2016年に約11万票、2020年に約18万票)を考えると大きく得票数を伸ばす可能性があるのではないかと思っていたが、逆に大きく票を減らしている(約8万票)。これには極右の主張の受け皿が分散したという見方が正しいような気もするが、極右というものが結集するだけの勢力や集団になっていないという捉え方が正しい気もする。いずれにしても極右的な主義主張が都下において大きく伸び、結集しているわけではなさそうであり、これだけ外国人観光客も含め外国人が増加していることや変わらず半島はキナ臭い雰囲気であることを考えると、個人的に極右勢力の拡大を気にしていたものの、そこまででもないかもしれないと思った次第である。

そして3つ目は5番目の得票数となった安野貴博氏にまつわる話である。ここからはかなり個人的な話になるが、僕のSNSのタイムラインにある日突然、安野氏に関する投稿が出現し始めた。そしてそれは日を追うごとに増えていった。自分の過去の経験上、特に政治に関わるこういった状況は、かなり微妙な状況であることが多い。過去に何度も経験している、要注意、というか注意深く観察する必要がある事態が起きていると感じるべきことのように思うのだ。

結論から言うと2点ある。まずは公開され、集合知を使い、日々アップデートされる選挙公約を読んで感じたことだ。黒鳥社のコンテンツに触れている方々には当たり前のことだと思うのだが、やはり氏の主張は政治=立法、つまり選挙の話しかしていないように感じたのである。もちろんさまざまな、有益と思われる政策の提言も数多く書かれていただけでなく、それらはかなり具体的でもあったと思う。だが、やはり「行政」という視点が大きく欠けていたように感じられたのである。あの公約を目にして行政職員の方々がどう思ったのかについては皆目見当がつかないが、どうにも視線の出発点に多少の違和感を感じたというのが1点目である。

次の点は、得票数の分散にある。特に大手メディアは、簡単に言えば、安野氏のことを「デジタルテクノロジーをフルに活用して選挙活動や選挙そのものをアップデートした人」と評し、いまも氏を公の場に登場させ、次世代の政治家たる人物として取り上げているように見える。だが、東京都選挙管理委員会事務局が公開している市区町村別の得票数をぜひ見てほしい。

ざっくりと約8割が23区である。ここで1つの疑問が浮かぶ。デジタルテクノロジーで選挙活動というものがアップデートされたのであれば、有権者数の分散度合いに応じて得票数も分散するのではないかと思うだけでなく、むしろ先の兵庫県知事選挙のように全体として趨勢の変化があるべきなのではないか、ということである。

兵庫県知事選挙もSNSが選挙結果を大きく変えたとメディアで報じられていたが、これらの報道はそもそも本当なのか?と疑問をもつ必要があるような気がしてならないのだ。

つまり言いたいことはこういうことだ。「デジタルテクノロジーの活用により、投票活動にさまざまな影響を与えることはできる。だが、それは既存の一般メディアや口コミといった情報の伝播と重なっていくことでより大きな影響になるのであって、デジタルテクノロジーそれ単体で与えうる影響には限界があるし、むしろそれだけを持ち上げるのはリスクがあるのではないか」ということである。

僕のSNSのタイムラインに……と上述したが、これこそ完全にフィルターバブルであり、東京都における安野氏の得票数の偏りが何よりもそれを物語っているように思う。つまり僕のSNSのネットワークというのは1人の人間の繋がりなのであり、そもそも限定的なものである。あるいは僕の職業や過去の経歴などに大きく依存したネットワークであり、その外側には出て行かないのだ。そのネットワーク内で投票に影響を与える選挙活動は確かに有効な部分もあるだろうが、それはその外から出ていくことはないのである。そのことを正確に理解した上で、デジタルテクノロジーの活用により選挙活動というものが考えられるのであれば良いと思うのであるが、どうもそのようになっていないと感じられた次第である。

さらに突っ込んで言えば、「単純にあるフィルター内での深掘りには成功したが、その外側には出ることなく蛸壺化してしまい、ある種の分断を加速した」という見方もできそうではないだろうか。

最後に、得票数6位と7位の内海聡氏とひまそらあかね氏のことである。それぞれ約12万、11万票と決して少なくない得票数を得ている。それぞれのプロフィールや主張、活動などはみなさんの検索にお任せできればと思うのだが、その上でこの2人の得票に関しては少し違うことを感じた次第だ。

まず弊社がコクヨ野外学習センター名義で2022年に発刊した『ファンダムエコノミー入門:BTSから、クリエイターエコノミー、メタバースまで』に言及したい。その中で、南カリフォルニア大学教授でありファンダム研究の第一人者であるヘンリー・ジェンキンズが次のように語っている。

未来のアメリカの政治では、共和党と民主党ではなく、トレッキーとデッドヘッズ(バンド「グレイトフル・デッド」のファン)の闘いが見られるかもしれない、といったことをたしか1990年代後半に、どこかで書いたことがありました。そこで指摘したかったのは、文化的アイデンティティが人びとの政治的アイデンティティの中心になりつつあり、その逆もまた然りだということでした。

黒鳥社『ファンダムエコノミー入門:BTSから、クリエイターエコノミー、メタバースまで』,p.56

刊行当初、この一節の意味は頭では理解しているつもりであったが、正直に言うとピンときていなかった気がする。しかし今回、都知事選の結果、特にこの内海氏とひまそら氏の得票数を見て、やっとヘンリー・ジェンキンズの上記の指摘が理解できたような気がしたのである。

実際の投票者に話を聞いたわけでもなければアンケート調査を実施したわけでもないので、あくまでも僕の推論に過ぎないが、ある種の文化的な背景がそこにはあるような気がする(ひまそら氏はそもそも実名でもなければ素顔を出しているわけでもないので、よりイメージしやすいかもしれない)のである。そうであるからこそ、ここまで得票数を伸ばしていると考えるほうが理由を説明できるのではないだろうか。単なる泡沫候補として片付けるにはいかない得票数であると思うのだ。

また反転して考えると、これだけの得票数であり、これがある種の文化的アイデンティティの体現なのだと理解すると、完全なるファンダムの形成と読み取ることもでき、また仮に票を投じた人間が月に1,000円を寄付したと考えれば、それは総額で月に1億円を超える金額となるわけで、ずばりファンダムエコノミーそのものだと考えられないだろうか。

さらに突っ込んで考えれば、それは日本の政治空間も、もはやそのような政治空間として捉えるほうがいいのではないかとも言えるであろうし、そしてまたその文脈においてデジタルテクノロジーの活用を検討すべきなのではないかと思うのである。

となると「デジタルテクノロジーで選挙活動をアップデートする」というのはそもそも順序が逆で、「デジタルテクノロジーの特性を十二分に活用したファンダム活動を中心に据え、その活動のアイデンティティを政治活動に拡張する」ように考えるほうがいいようにも思えてくる。

いずれにせよ、この結果は多くのものを示唆しているように思えてならないのである。

さて、都知事選の選挙結果から個人的に思うことを新年早々、つらつらと書き連ねてきたが、これらのことから2025年への学びはあるのだろうか。

いろいろと思うことはあるが、長くなるのでキーワードだけ備忘録的にまとめると、(1)やはりぼくらは非連続な世界に生きていて、「未来は向こうから突然やってくる」のだと思うし、(2)新自由主義的な考え方、金融資本主義的な考え方はまだまだ支配的で、これらはいっそうの格差を産むことになりそうで、(3)結果、世界はますます蛸壺化し、隣のことは見えにくくなり、いくつかの蛸壺はかなり過激で急進的な思想・活動に傾倒していき、(4)それらは文化で閉じていたサークルをも政治活動へと駆り立ていくかもしれない、などと思う。

こういったことはとっくに見え隠れしているわけだが、よりいっそう、その姿形が鮮明になる1年になるかもしれないと年初に思う。

変わらず何が起きるかわからないわけであるが、起きた事象、起きうる事象に対して、常に解像度や角度を大きく変えながら、アプローチを試みることができればと考えています。

昨年も大変お世話になりました。本年も引き続き、変わらぬご愛顧とご支援を賜ることができましたら幸いです。
何卒よろしくお願いいたします。

最後に。
僕はドクター・中松に1票入れてます。23,825分の1です。

2025年1月吉日
株式会社黒鳥社
土屋繼