このバカバカしい人生の使い途
原稿を毎日新聞社に入れ終えるとベンツのお迎えがやってきて、同世代のある方から料亭に招かれる。
私的な宴席だったがまるで昭和の政治家の密談のような風景のなか、私は語るべきことをリラックスしながら根気に述べていく。
相手方も同じ年齢層なのに、彼ら企業のCEOたちと語らうと、私は自分がいかに別世界を過ごしているかを思い知る。
同世代の実業家たちが当然得ている品格や矜持やそのクラスの社会の流儀やスタンダードを、私はついに備えずアウトローのように流動的な、形にならない枠組みの在野の人びととゆるやかな連帯や連携をかさねながら、ある年齢からは属する組織もなく生きてしまった。
ただ……
得たぶんだけ失うものがあるのだとすれば、私は、この歳になっても失っていない自分の子どみたいな天真爛漫な何かを虎児のごとく死守せんとしてきたようだ。「幼」とも言えなくない危ういことでもあるのだが。
まだ駆け出しの月刊雑誌編集者だった頃、『オトナにならなきゃダメなの?』というテーマの特集記事を担当したことがある。20代後半にもう入っていたが、編集長に「池内クンがオトナになる日は来るんだろうかねえー?」とぼやかれていた。そのときいっしょに担当した同僚が編集長に「本当のオトナというのは、十代で純粋に学んだ哲学や学問を実社会で実践していく人を指すのであって、世慣れていくことではないでしょ?」と静かに切り返した言葉を今でも忘れない。
その人は四方(シカタ)さんといって同志社大学で美学を学び、どういう経緯だったか私のいた編集部にヘッドハントされて東京へ出てきて同僚となった人。京都から東京まで家財道具一式を積み込んだレンタカーをひとりで運転してやって来た。東京までのロングドライブのあいだじゅうずっと飼い猫がアクセルとブレーキのあいだを行き来してじゃれてくるから左の足で遊んであげながらひたすらのんびり高速も使わず下の道を走ってきたと言っていた。
その人はなぜかいつもトレンチコートを着ている印象で、ポケットには中森明夫の『東京トンガリキッズ』が入っていた。
四方さんは毎月入稿の数日前から同僚とも口をきかなくなり泊まり込みで自分の抱えたページに徹底的に打ち込む。ひらめいたセンスをどこまでも具現化するためまったく手を抜かない人だった。最後にはたいていふた晩は徹夜をして入稿し、力尽きて電気代も水道代も未払いになっているアパートへやっと帰っていく人だったが、真似をして私も泊まり込みをして、よくコンビニで下着を買って一緒に銭湯へ行った。
毎回、命も魂も込めて担当ページを仕上げる。寝ない食べないで仕事をするからそのまま行くと死に到るのでは?と本気で周りは心配し、「適量のエネルギー出力で毎月コンスタントに仕事をこなして生活もふつうにやれるようになったほうがいいよー」と編集長は言っていたが、四方さんは黙って長い髪を傾け彫刻のようにうつくしい横顔で微笑みながら高野文子のマンガのページをめくっていた。
四方さんほど私は尊敬できる人を身近に感じたことはない。底知れぬ優しさと厳しさのある人だった。いつも風のようにひらひら笑み、黙って仕事をしていた。後に、「池内くんは池内くんのバカバカしいところが美点だからね、インテリぽいことを書こうとしなくていいんだよ」と、河出書房新社『文藝』で掲載が始まった『ネクスト・ブルー』という小説を下読みしてもらったときに言われた。
私は結局オトナにはなりきれないでバカバカしい部分を極めるようにやがて九州と東京の二拠点を往来しながら生命を焦がすような摩訶不思議な日々に嵌まっていった。
先月、私の生涯編集者を自称するある人の紹介で吉本ばなな『おとなになるってどんなこと?』(ちくま)を読んだとき、私は自分が選んできた生き方と、これから書くべきことが何なのか交差するような気がした。この本はレイチェル・カーソンが書きかけて果たせなかった『センス・オブ・ワンダー』のようでもある。吉本ばななのたどってきた人生の時間を濾過して最も微細なところまで自分の魔法で調えきった純粋な動機が最後まで生きていた。
読了し、このバカバカしい人生の使い途をようやく得たように感じた。書くのだ。