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「映画の細胞」誕生秘話

日本では、年間600本程度の映画が制作されているそうです。
もちろん、そのすべてに目を通すことはできませんし、鑑賞したとしても、本当に記憶に残るのは年に数本あれば良いほうだと思います。
では、なぜ記憶に残る映画とそうでない映画があるのでしょうか。

私の場合、鑑賞時の自分の気分に合ったものや、もともと興味があったテーマを深堀りしているような映画が、その後も大切なものとなる傾向がある気がします。つまり、当時の私が置かれている状況や問題と関わりの薄い映画は、ただ消費されるに留まったということです。裏を返せば、最初から私個人の問題にフォーカスして作られていたならば、その映画は私の記憶に残っていたのかもしれません。

しかしながら、年間600本ほど制作される映画は、その殆どがマス向けに制作され、公開と同時に全国に一斉送信されます。 初めてのデートでドキドキしているカップルにも、コアな映画ファンにも、災害に遭い家を失った人々のもとにも、等しく怪獣映画が届けられたりしています。

もちろん映画は、時間も手間もかかる総合芸術ですから、大作であればあるほど、それに見合った普遍的なテーマが織りこまれていることが多いと思われます。映画の上映システムがリュミエール兄弟の頃から変わっていないのも、そのためでしょう。

しかしパンデミックは、そのシステムの脆弱性を暴き出しました。
同じような感染症が来なくとも、少子化の影響で映画館を満員にすることができなくなる日が来ないとは言い切れません。
その時になってじたばたしても遅いので、今の内から、一人の観客に向けての映画作りと、それを評価するシステムを構築しようと思い立ちました。
映画館がなくなり、人口が減り、地球が氷河期に入ったとしても存続可能な映画と、その作り方。

ちなみに、個々のお客さんに合わせてサービスを提供するビジネスモデルは結構あります。
床屋、歯医者、カクテルバーなどです。
相手の頭の形や歯形、気分を掌握したうえで、各々の技術を提供し、ちゃんと経済が回っています。

しかし、上記のシステムになぞらえるなら、映画一本分のチケット代金で即座に映画を作り、顧客に提供できなければなりません。テクノロジーの発展に伴い、機材やソフトがかなり安価になってきたとはいえ、本当にそんなことができるのでしょうか?

そこで、「映画の細胞」では、監督/観客の妥協点として、ブリコラージュ(器用仕事)を推奨しています。

ブリコラージュとは、その場で手に入るものを寄せ集めて部品とし、試行錯誤を繰り返しながら新しいものを作る創意工夫を意味します。
「映画の細胞」は、そのような工夫を何よりも尊重・評価し、プッシュしていきたいと考えています。

映画誕生からおよそ130年。
不特定多数の観客の時代を経た今ならば、たった一人の観客と向き合ながら映画を作るという贅沢も許されるのではないかという気がしています。

そして逆説的ですが、一人の観客としっかり向き合った映画は、不特定多数の観客にも届くような気がするのです。


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