タビゲキ「白線の内側」感想

2022年9月11日(日) シアターヌーヴェル
旅する演劇プロジェクトイン山口「白線の内側」(作・演出:桐山瑛裕)

そもそも「旅する演劇プロジェクト(タビゲキ)」とは

2022年より開始した新規プロジェクト。
「誰でも楽しめる演劇」をモットーに全国、47都道府県を周ることを目標に掲げる。メンバーは俳優・佐松翔と劇作家・桐山瑛裕の二名が在籍中。

 公式HPより https://suwahideto1101.wixsite.com/tabigeki

その旗揚げ公演となる「白線の内側」は、俳優:佐松翔の出身地でもある山口県で9/9-9/11の3日間5公演で開催された。
共演者である西垣有彩、奏夢も山口出身。9月10日、11日にの3公演では、二部でご当地アイドル「Yamakatsu」によるライブもあった。

会場は非常にわかりにくい場所にあり、わざわざ熊本から来てくれた母親を連れて20分ほど歩き回った。ミニシアターだった空間を貸しホールとして提供しているそうで、キャパシティは80ほどの小さな劇場である。

(なぜかチラシの写真を撮り忘れたので。フライヤーはさといあきこさんデザインのもの)

そもそも、なぜ東京在住の私がこのお芝居を見に山口まで行ったのかというと、それは私が出演者のファンだからではなく、脚本と演出を務める桐山瑛裕氏の書く物語を一等気に入ってしまったため、彼の昔書いた作品が観れるのであればと現地まで足を運んでしまった。東京から山口まで!すげえ遠かったな!!

最初に書いておくけど9月30日の夜にNOVA LIVEという公式が主催する後夜祭みたいなのがあります!!白線の内側見てなくてもきっと楽しいです!!
私の知り合いのオタク誰もいなくて一人で震えているから仲良くしてください!

(追記) 開催されました。



演劇「白線の内側」

桐山瑛裕氏が諏訪英人の名義で活動していた18歳の頃に書いた作品で初演は2017年6月の「SSproduce若~waka~」による上演。2017年11月に同団体にて再演(ともに船場サザンシアター)。
それ以降、2018年10月120プロデュース(オーバルシアター)による公演、2019年5月キングプロデュース(難波サザンシアター)、2021年3月佐松翔主催にて公演(狂夏の市場劇場、演出はハネオロシの土井亮祐)と再演を重ね、今回6度目の上演となる。

役者は3人、使うものはパイプ椅子2脚と、極限まで美術を削ぎ落としたシンプルな芝居である。場所を選ばずにどこでもできるというのがこの「旅する演劇プロジェクト」や「白線の内側」のインスタント感に合っているのではないだろうか。(上映脚本の後書きには「インスタントに楽しめる演劇」と桐山氏の言葉がある)
主だった感想を述べるが、公演から日が経っていることもあり記憶の薄れている部分もあるため、ご承知おき欲しい。あとひたすらに長い。

あらすじ

役者志望のコンビニアルバイトをしているアキラ(佐松翔)が、電車の中でミナミ(西垣有彩)と出会い一目惚れをする。アキラにはリン(奏夢)という資産家令嬢の幼馴染がおり、夢を応援してくれている。そんな中、「ラーメンズ」(小林賢太郎と片桐仁によるお笑いコンビ)の戯曲集を読むミナミと出会い、リンの後押しもあり交際に発展する。
しかし、そのミナミは遺伝性の疾患を患っており発病してしまい、アキラは夢を実現することの困難さと、ミナミの病気という二つの現実に挟まれてしまう。

感想


ただ単にボーイミーツガールのラブストーリーいう側面と、もう一つは夢を追うという軸もあり、どちらかというとラブストーリーはミナミの視点であり、アキラ視点では恋よりも夢を追うということに重点を置かれていたように感じられた。夢を追う青年と、追いかけることのできない少女の話。

桐山瑛裕あるあるが詰まったというよりは、桐山瑛裕の原点のような作品だと感じてしまう。
本作の特徴として歌詞付きの音楽を多用しているところにある。ファンキーモンキーベイビーズの「告白」に始まり、コンビニのBGMなど、他にもさまざまな曲があった。(ぜひ、プレイリストを公開してほしい)

暗くなった会場に流れ始めた曲はSound Schedule(現在は年1のライブで活動中)の「ピーターパン・シンドローム」。兵庫発のスリーピースバンドであるサウスケの代名詞とも呼べる曲で、2002年に発売され2003年にはMステに出演するなど話題になったバンドである。
ボーカルの大石昌良はアニソンシンガー、作詞曲家として目覚ましい活躍をしている。

音楽がフェードアウトして雨のSE。そこに駆け込んでくるリン。パジャマ姿のミナミと、大きなバッグを抱えて焦っているアキラ。

この時点で「ああ、終盤ここに戻ってくるんだろうな」と思わせる構成。フラッシュフォワードという手法で、「最初の数分」が重要な映画ではよく見る演出方法だ。

アキラは「もう一度やり直せても同じことをする。話は3ヶ月前の8月15日に戻る」と思い返し、8月15日の風景が浮かび上がる。

まず、気になったのはなぜ8月15日だったのか?という疑問だ。日本人にとって8月15日は終戦の日であり、特別な一日だとされている。
2022年8月に上演された「万雷の喝采」(ハネオロシ×SUPER NOVA)が3月11日の東日本大地震直下の劇場を描いた作品だったこともあり、桐山瑛裕の作品の傾向からすると日付に意味を持たせるということは重々にありえるため、疑問符は付き纏う。
8月であればいつでもよかったではないか。よりによって15日にした意図が感じられた。ぼかしても良かった。なぜ、15日にしたのだろう。

リンに連れられた遊園地で楽しむアキラ。パイプ椅子2脚が次々の遊園地の乗り物に変わっていく。この演出には驚いた。
パイプ椅子2脚で芝居をするということの難しさは何も役者に限っただけの話ではない。その表現をするにあたっての想像力を観客に委ねる行為であるからだ。まずもって、その動きが「そうである」ように見せることの難しさもある。そうであるように見せないと、観客は「どういうこと?」という疑問を残しながら芝居を観ることになるからだ。観客に想像力を膨らませることを委ねるという一種の怖い表現をやっている。

場所は移り、電車の中になる。アキラとミナミが出会う場所である。リンが最初に電車をおり、そのあとアキラはラーメンズの本を読んでいる少女と出会う。出会うというよりも「出会ってしまう」というのが桐山作品では妥当な表現だろう。
桐山作品ではふと出会ってしまった二人に物語が始まることが多い。これは彼自身が出会いに意味を見出しているのではないか?と感じる。「雨降る正午、風吹けば」の治郎と風子しかり、「小生とアトムの世界列車」の小生とアトムしかり、「万雷の喝采」の佐々木一と最上仁しかり……。思わず「好きですよね、こういうの」と言いたくなる彼の癖(ヘキ)だ。そもそも、その原点がここにありそうだよね。雨の音、酒場のシーンしかり(万雷の喝采のと同じBGMじゃね?)、カットバック、最後の幻想のシーンとか、最後一言声をかけるシーンとかも。なんとなーくデジャビュ〜って思うシーン多かった。

「白線の内側」は同じような場所をくるくると繰り返す芝居だ。その一つの場面がこの電車の中である。つり革に捕まるアキラと二つ並んだ椅子の片方に座るミナミ。「白線の内側」のタイトル通り、この電車の中が重要なシーンとなってくる。電車の対面式の座席は連なっていることに意味がある。二人を座らせるのではなく片方を立たせることで電車の座席というのを演出で表現している。

役者の感想は後にまとめるが、このシーンのミナミの都会的な女子というよりも素朴で田舎臭い垢抜けない女の子感が良かった。東京ではない地方の普通の女の子。活発でいわば都会的なリンとの対比も良い。

その後、アキラの部屋に場面。アキラの部屋は上手側に椅子が二つ並んでいる。恋に落ちて浮かれたアキラに呼び出されたリンがやってくる。
そのやりとりの中でアキラはリンに向かって、「お前のお父さんが金持ちなだけだから!」という。それって結構な地雷なのでは?と思わなくもない。そこにアキラの性格が表れているし、リンとの関係性も浮かび上がる。「お前が努力したわけじゃないから!」と暗に示している。この発言も後半に響いていた。

その後、バイト後に友人に「俳優の仕事」なんて嘘をついて、飲み会に参加する。
そのシーンで浮かぶのはアキラの年齢である。ついでにリンの年齢だ。友人たちはマイホームを購入し、子供が生まれている。そう考えると30代前半かな~というのは予想できるのだが、それではリンへの「お前のお父さんがお金持ちなだけだから!」という説明がつかない。リンが大学生というならともかく、30代のアラサーと20代の幼馴染であるならば関係性はもっと変わっていただろう。いや、20代であったとしても働いているであろう年齢の幼馴染に「お前の父親が金持ちなだけ」発言は、人としてどうよ?
この齟齬が勿体無いと感じた。

その後、再会したアキラとミナミは交際に発展する。
しかし、ハッピーなアキラにリンが重大ニュースをぶち込んでくる。
家で飼っている青いインコのぴーちゃんが逃げ出したという。理由はリンの鳥かごで飼うのはいやだからと、家族に幸せをくれるかなと思ってという身勝手な理由である。それに落ち込んだリンの父親は脱税していると告白し、それをゲンナマでリンの部屋のベッドの下に隠しているという。
いやいや、いやいや、倫理観はどこ!!!???まともな人間だったらそこで追加徴税かかるし、その事実を知っていて隠匿するのは脱税幇助と取られても可笑しくないのだけれど!?という感情が浮かんで、それなりに驚いた。
モラルセンターの欠如。罪に対する意識が低い。全員どこかぶっ壊れてない???大丈夫???

その後、アキラとミナミが公園デートをするシーンになるのだけれども、公園っていうのがお金かからないからいいですよね。なんというか、ハネオロシでの対談で土井さんと桐山さんが安いお酒買って土手で飲んでた的なエピソード思い出しました。
アキラは借りていた本をミナミに返そうとして、ミナミはそれを断る。そのシーン、ハガレンで大佐とエドが小銭の貸し借りをするシーンじゃないですか。ミナミが漠然と未来に対する不安感を持っていることが伝わってくる。でも、ミナミの思う未来への不安と、アキラの持つ未来への不安が根本的に違うことが明らかになる。

友人との才能の差に愕然としたアキラは俳優をやめようかなとミナミに伝えた。まず、まあ芝居が終わるのが20時ごろだと仮定して、その時間に彼女を一人で家に呼び出すなよ!というツッコミをさせて欲しい。そして、また「都合のいい男」ムーヴ。坂本治郎といい、アキラといい……。環境のせいにするのはまだいい、何かと理由をつけるのも時には必要。でも、そこで他人を理由にするんじゃないよ……お前は本当にバカだよ。愛せないバカだよ。ここまで書いて、あ、桐山さんの化身だったかもしれんごめんって思った。

まっすぐに走るアキラを好きになったミナミ。ミナミは別に夢を途中で諦めたからではなくて、己の病気によって未来を見ることができなかったからであることが判明する。だからこそ、ミナミの「諦めたらそこで終わり」という言葉は重い。桐山作品にしては珍しく、女性が都合のいい男をヨシヨシする、つまりはケアする役目にミナミがあてがわれている。ミナミはアキラが外に一歩出るために死ななければならなかったし、アキラの本心を引き出さねばならなかった。アキラのためのミナミでしか描ききれない部分に今の桐山作品にはない未熟さを伺える。

ミナミの病気や入院費など突っ込みたいことは山のようにあるのだけど、バイトとオーディションなどで追い詰められたアキラは、リンの家の脱税したお金を盗み(倫理観!順法精神!)、冒頭のシーンに戻ってくる。看護師のフォロワーが「重大インシデント……家に帰れない……」と嘆いていた。そりゃそうだわ。
残念だと思うのは、日々弱るミナミの表現がなかったからだ。アキラは何をそんなに焦って人の金を盗もうとしたのかわからない。日々弱るミナミを見て、無理矢理にでもお金を作って手術を受けさせたいというのならわかるのだけど、その表現がわからなかった。リンが知っていることをなんでアキラは知らないのか、ミナミの入院費はアキラが出しているのだと仮定すると、保証人のアキラには説明義務があるはずでは?とか雑念が邪魔。

「変わることができないから」そのために、「他人の金を使う」(しかも違法の金)、そのアキラの卑しいとも呼べる精神は最初の「お前じゃなくてお前の父親がな!」からもわかってしまうのだ。
変わろうとしたけど変われなかった、今の現状で満足していた、何かを理由に変わりたいと思う、それでも変われない。やっと変われそうな気がした。そのためにお金をくださいというアキラ。(……万来の喝采でも見たなぁというデジャビュ。最上さんの命をくださいと土下座する佐々木一だ)
「こんなものがなくたって変われる」というリンの説得のおかげでアキラはそのお金を諦める。というよりはもうミナミに残された時間はわずかだったからだ。
変わらないのと、変わろうとしなかったは全然違う。リンは「変わろうとしなかったのはアキラで、でも変わろうとしようともがいてたことを知っている。アキラはこんなもの(汚い金)がなくたって変われる」と説得した。
人は変わる方法を知らないだけで、そんなに簡単に変われるわけでもないんだよな、と思うのと同時に、「ミナミがいなくても、アキラは変われる」とリンは言いたいような気がしたんだ。

男のために我慢する女というが私はそこまで好きではなく、そういう描写の多いこの作品はある意味苦痛ではあったんだけど、彼女のその健気さは嫌いじゃない。結局「生きたい」と言えなかった理由が「アキラの迷惑になってしまうから」という結論に至るの、すごく視野が狭いなって思っちゃう。でも、そんな桐山さんが今「生きろ」って舞台で書いているのすごいな〜って思っちゃう。

「明日」が見えないというのは誰だって怖い。明日は私は死んでいるのかもしれないと思いながら生きるミナミ。そんな中で誰かを思いやりながら生きるミナミは本当に優しい子。電車の中でようやく二人は隣り合わせで座る。今までずーっと空いていた電車の対面方式の座席。ようやく二人は同じ場所で同じ景色を見てるんだな〜なんて思った。(そこで生命活動を終えたとしたら色々問題起こるが大丈夫か?ってのは置いといて)

最後のシーン、東京へ旅立つアキラの乗った電車。座席の隣にはミナミがいる。でもミナミの幻影はアキラには見えない。だけれど、ミナミの「頑張れ」はアキラには聞こえていたと信じたい。

「白線の内側」、電車に乗ればその電車は走り出して、「ここではないどこか」へ連れて行ってくれるし、飛び越えてはいけないラインのことだとも思う。そういう未来へ続く列車のことを描いていると思うし、白線の内側から飛び出したのはアキラだという解釈もできる。
でも、逆に私はそのレールで決められた場所(死)に行くミナミに別れを告げて電車を降りて白線の内側からそれを見送ったアキラの話なんじゃないかって思った。白線の内側に下がったのは「人生という電車」を降りたミナミではなく、自分の足で歩き始めて遠くへ行ってしまうミナミを見つめたアキラ本人じゃないかってね。

以上感想終わり!



アキラ役 佐松翔さん

人のいいお兄ちゃんという感じでした。彼自身重なる部分も多かったのではないかな?と思いながら見てました。汗だくになって走る姿を見ながらそのまっすぐさがそのまま役にマッチしているなぁと思います。
でも動きが大きすぎて何回かマイクにかすってマイクがゴンって言ってて、おおってなったのは残念だったな〜〜。マイクにこすらない芝居できねえならマイクの位置考えるべきだったのかもしれない。Mの関係でマイク必要だったとは思うけども!
ミナミを見つめる目が優しくて、でも自分に精一杯な若さもあって、等身大のお芝居をする人だな〜と思う。

ミナミ役 西垣有彩さん

ビジュアルが都会っ子すぎないのがすごく可愛かった。目を閉じても可愛いとか卑怯すぎない??一番好きなのは指切りのシーンかもしれない。あのシーンはちょっと泣きそうになった。

一つ言うのであれば姿勢と表情がワンパターンだったので、そこの引き出しがあればいいな〜ってちょっとだけ思う。最初に出会ったシーン、とりあえず「清楚で控えめな女の子」を演じている風があって、おおってなった。後半になるに連れて、風に吹き飛ばされそうな女の子になっててすごいと思う。顔が優勝。
オタクが熱いイメージ。応援ブロマイドにビビった。

リン役 奏夢さん

あなたがMVPだよ!!!!!!!!!!!!!
一緒に見た親も一番幼馴染役の子が最初から安定して上手だったよね〜って言ってた。私もそう思う。見せ場という見せ場がない中で一番印象に残っている。その小さな体からそのエネルギーどうやって出てるんですか?って聞きたくなるほど。泣いたりわめいたりしなくても、安定したお芝居ができるっていうのが一番大切だよなと私は思う。

NOVA LIVEにはどれくらいのオタクたちがくるのか楽しみ!!
私も参加します!!!六本木で僕と握手!!!!!!!


運営とかその他諸々

直前になってS席からA席に振り替えになったんですけど、正直言ってしまえばそこの管理ができないなら座種の振り分けやめてほしいなって思います。演劇ってそんなに安くないお金を払うんです。今回で言えば4000円。4000円あれば何ができるかな〜と行く前に考えてしまった自分が嫌で、行くまで2日間くらい泣いた。
行ったら行ったで楽しんでいたし、楽しもう!って決めて行ったんだけど、もやもやした感情や向き合うまでに使った時間は取り返せないので、心境としてはイーブンよね。
今回のグッズの劇場販売のラインナップもなかったし、そういう細かいところは信用問題に関わってくるよなって思う。そりゃ時間と金を作って行くんだから、最低限それに報いるだけの運営をしてほしい。人が足らない、リソースがたらないは言い訳でしかねえわ。
演劇を見るとき、中身はもちろんなんだけど、それと同じくらい「信用」って大切だな〜と思うんです。ビジネスだから信用商売なのよね、結局。
お金払ってるんだから、初めてだったんでできませんでした!はやめてほしい。できなかったら正式に謝罪文を出そう。広報とか、あとその順番や、さまざまな可能性を考慮するのが大事。不透明さがあると人は信用できなくなるので。
あと桐山さんはグッズの発送遅れたりするときは公式アカウントでRTするなり呟くなりしようよって思った最近。
最近、「あ〜書くものはいいんだけどね」って言われて他はちょっとみたいに言われることが増えて、そういうのを見聞きするのは個人的にしんどいところがあるので、しっかりしてください。こう、人に勧めにくくなるの、結構しんどいです。

他の人がどう思っているのか知らんけど!!!!私はしっかりいろんな意味で悲しかった!!!!!!しっかりしてくれ!!!!

今年の後半も期待してるぞ!!!!!!!
面白いもの見せてくれ!!!!!!!!!!
応援しててよかったって思わせてくれ!!


あともう一個言わせて!!!!!

やっぱ好きです!!!!!!!!!!!!



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