きっといつか

夜半過ぎ、鬱々と壁を叩きつける雨音を聞きながら
普通とは何か考えていた。

ジョーカーを見て改めて普通について考えさせられる。
「心の病を持つ者にとって最悪なのは、人から病気じゃないよう普通に振る舞うように求められることだ」と作中ノートに綴るシーンがある。

あのシーンを見た時涙が止まらなかった。

昔医者に言われた「場数を踏むしかない」「サバンナの生命の危機にいるライオンのことを考えなさい」と。

その「場」に出ることに脅えていたが、歳をとるとしり込みなんかしてらんなくて、すぐにステージに立たざるを得ない場面に多く出会った。
要は「さっさとやってみて、さっさと失敗して、さっさともう一回やってみる」に繋がった。

「サバンナのライオン」については当時から腑に落ちていた。
日本という、ましてやこの田舎に住んでいると情報もコミュニティも小さくて息が詰まりそうになる。
例えではあるがライオンの事、遠いサバンナの状況に思いを馳せるだけで、全ての悩みがほんの一瞬でもちっぽけに思えた。
もっと大きな視野や思考を持てば今の状況打破の仕方が見えてくるんじゃないかと思う。もちろん、今の生活の良い部分も含め柔軟に物事を見れるようになった。
「普通の仕事」「普通の大人」というものも考えなくなっていった。

大人になると昔よりも感性は鈍感になってくる。
いい意味でも悪い意味でも。
10代にしか分からない尖った思考や、傷つきやすい心をたまに懐かしくも思う。

ただ私がまだ克服できないのが「愛想笑い」だ。
好きでもないことにエネルギーを使うことをすごく嫌うのに、嫌われたくないばかりに愛想笑いが上手くなってしまっていた。帰ってからいつも家でヘトヘト。
数日は家から出れない。
本人に「つまんない、好きじゃないその話、帰るわ。」って言えたらいいんだけどそんなんじゃ、人間社会じゃ生きていけないのよね。

「普通を振る舞う」ことで、本当の自分が分からなくなって自分がおかしくなっていく感覚が最近よくわかる。

普通を求められている、不幸せな顔をしてはいけない、いつもニコニコしてるのがいい女。そんなつまらんネット記事に操作され、人と話しているとこの世で生きていくのが苦しくなる。

画像の猫は言う。

「何かいいアイデアは思いつきましたか?」

「あー、もう少しかな、もう少しゆっくりした時間があればいいんだけどね。」

「なーんだ、じゃあもう少し、ここでゆっくりしていったらいいよ」

「そうだね、そうするよ。」



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