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「文筆屋」を名乗るに至る想い

はじめに

最近、ようやく本格的にライター活動をしています。
(え、今更?笑)

昨年までは、どちらかというと…
自分から作品を発信することはあまり行っていませんでした。
積極的に仕事依頼を発信することも避けてきました。

しかし、このご時世です。

なかなか仕事が決まらん!
という、魔のスパイラルに陥っているのが現状です。
とほほ。

基本的には、ずっとクラウドソーシングサービスを介して仕事を受注してきたのですが…
どの案件に応募しても、いただくのは「お祈りメール」ばかり。

なんでかなーと考えてみたんですが…
わたくし、ずっと同じクライアントさんと長く仕事をしてきたので、クラウドソーシング上は「年数のわりに実績のない女」だったのです!

まぁ、びっくり!( ゚Д゚)


という経緯から、2023年は一念発起!
自分発信で仕事依頼を出し、本当に自分の書きたいジャンルで勝負をしようと考え…
まずは、下記のクラウドソーシングサービスでパッケージを公開してみました♪

急にこんなもの発信しても、どうなるか分かりませんが…
まぁ「やってみなけりゃ、何も始まらんよね!」ってことで。
皆さま、どうぞよろしくお願いいたします。

上記のパッケージからでもご依頼可能ですし、わたくしのポートフォリオにもお問合せなどを掲載していますので、ぜひご一読ください。

「文字」との出会い

せっかくなので、この機会に…
わたしが「なぜモノカキを志したのか?」ということを書いてみようと思いまして。

お暇な方がいましたら、以下どうぞお付き合いください。


私は、客観的に見ても「大変早熟なお子さま」だったようで…
文字を読むこと=ひらがな・カタカナは、たぶん3歳前後には読めるようになっていたと聞いています。

またどこかで語りますが…
実弟が重度の障がい児であったこともあり、幼少期はお隣さんによく預けられていました。

そのお宅で初めて「文字」と出会ったのです。


元々、とてもお喋りな子どもだったらしいのですが…
3歳を過ぎて、物心ついたあたりからは、そんなにお喋りをしていた記憶がありません。

これは今でもそうなのですが「HSP」の特性が邪魔をしていて、人前で上手くスムーズに会話をすることは苦手でした。


だから私は「文字」と出会い…「本」と出会いました。
近所のお友達と遊ぶよりも、お隣にたくさんある本を読んでいる方が好きだったのです。
(これもまた、HSPゆえ「一人の時間が好き」だったのでしょう。)

読んでいたのは、絵本もそうですが…主に大人の読むような本ばかり。
歴史ものや某ロボットアニメの原作漫画のフリガナを一生懸命読み、世界文学全集なども幼稚園の時にはかなりの冊数を読んでいました。


そうして「本の虫」のように読書をするうちに、今度は自分がその「本」に書かれている「文字」を真似して書きたくなります。


「文字を書く」楽しさ

そういう子どもでしたから…
小学校に上がる前にはひらがなやカタカナ、簡単な漢字も書けていました。

裏が白いチラシなどに字を書いて、挿絵を描いて、自分自身のオリジナル絵本などを作って楽しんでいたのです。


しかし、今と違って幼稚園でわざわざ文字を教えるのは珍しかった時代。

私が見よう見まねで書いていた字は…下手だった!
…らしいのです、母曰く。笑

何より、母自身が字に対するコンプレックスがあったようで。
「女の子は字がキレイな方が絶対に良い!」
という、よく分からない持論のもと、私が連れていかれたのは…

近所のお習字教室でした。


これまた母の持論で…
「習い事をするなら10年は続けないとモノにならない!」
ということで。

私は小学校1年生から…なんと20歳まで書道を習いました。

途中、中高生の頃は塾なども行っており、多忙から「辞めたい」と思ったこともあったのですが。
習字=書くことが嫌で辞めたいと思ったことはありませんでした。

キレイに文字が書けたときに嬉しさ。
墨を摺るときの香り。
静寂の中で文字を綴る清々しさ。

どれも、私にとっては「楽しい時間」だったのです。

「文章を綴る」喜び

習字を習い始めたのと同じ時期に、小学校へ入学。

その年齢に至るまでの読書量は、同級生のそれをはるかに超えていたようで…
私はすぐに「図書館」を知り、近所の図書館も学校の図書館も「たくさん本を借りた人」にいつも名前が載るほど、本を読んでいました。

いつぞやは、本を読みながら帰宅していたときに…
電柱に気づかず顔面を強打して鼻血を出し、本を血まみれにしたほどです。
(おいおい…苦笑)


そんなわたしが「文章を綴る」ことに目覚めたのは、小学校2年生の時。
市の人権作文集に、自分の書いた文章が掲載されたのです。

題名は「私の弟」。

障がいを持っている弟のことを作文にしたものが、市の選考に選ばれて文集に掲載されました。


この作文を書いた時の気持ちを、私は意外と覚えているのです。

わたしが小学校3年生になると、弟が1年生で入学してくる。
弟は、ちゃんと自分で喋れないし、勝手にどこかへ脱走したりもする。
(弟は強度行動障害と多動症があるのです。)
だから、学校へ入る前に、弟のことをみんなに伝えなくては!

そんな気持ちで、書いた作文でした。
よく分からないけど…なんだか「伝えなければ!」という使命感に燃えていたのでしょう。


そんな思いで書いた文章が、たくさんの人に認められた!
これが、私の「文筆屋」としての原点なのかもしれません。

誰かに褒められたいわけでもない。
文章でお金をたくさん稼ぎたいわけでもない。
(いや、そこはこれから少しずつ…ね。笑)

ただ純粋に「伝えたい」という気持ちで書く。

本当にそれは…今でも変わっていません。
わたしが「文章を綴る」動機は、本当にそれだけなのです。


「文筆屋」を名乗るに至る今

そういうわけで、私は今こうして文章を書いて過ごしています。

「ライター」と名乗ることに抵抗があるとかではないのですが、
筆で文字を書くことが好きだということもあり「文筆屋」を名乗るに至ります。

そのうち、筆耕とかカリグラフィーとかも勉強したいなぁ…なんて。


何より…
「稼ぐために」書いているのではなく「書きたい欲求を満たすために」書いているので。

書きたくない題材では、仕事とはいえ書きたくないなぁ…
という境地に至ったのです。

そうした事情と、実は「小説家」が本来の人生の目的であることもあるので、このように活動方針を言葉にしてみました。

読んでくださった方々、ありがとうございました。
私の綴る文章が、受け取ってくれたあなたを幸せにしてくれますように。


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