過去も今も愛したい
3年越しに自分の写真を見る羽目になった。
そんな写真を撮ったことも忘れていた僕に友人から送られてきた写真はまだ高校生だった頃の自分が映っている。
【ちょっと過去の自分に対するディスリタイム】
本当にダサイな、お前!!
なんでその恰好で写真撮ろうと思ったの、マジで。
眼鏡似合ってなさすぎ、てか顔ぷくぷく、なんなのもう。
髪ぼさぼさ。今すぐ髪を結いなおせ!!
なんていうか、もう全体的に最悪。
「垢ぬけてない」って言葉にこれでもかと当てはまる人間いる!?ってくらい本当にダサい。垢ぬけてない、田舎っぽい。
もう、本当に馬鹿じゃないの、過去の自分。今すぐそこに正座しろ。
と、大概自分に対して暴言を吐いてしまったわけだけれど。
友人と電話をしていた僕は彼と初めて会った時の話をしていた。彼はその中で思い出したように写真があると言い出し、贈ってくれた。
送ってくれた写真は過去の僕と彼の2ショットだった。
僕にとってはかなりのインパクトがあった。正直直視したくない。所謂これは「黒歴史」だ。嘘だろって感じだ。これを友人はずっと持ってたのかよって感じだし、彼は今の僕の写真を持っていないので、ずっとこのころの僕を保存していたというわけだ。マジで恥ずかしい、勘弁してよ。
でも。
でも、悔しいけど、すごくいい顔だ。
僕も、友人も。
写真を撮った時は二度と会うわけないと思っていたけれど。(しかもこの認識は僕も彼も共通している。)
今こうして電話して、メッセージツールで写真を送るくらいには仲が良い。
なんの偶然か、はたまた運命か。
2人分の健やかな、素朴な笑顔。
何も隠すことのない、美しくはないかもしれないけど、単純で分かりやすい、子どもみたいな笑顔。
僕、こんな顔で笑ってたんだ。
本当に人生って分からない。
なんで三年越しにこんな最低最悪な私に出会わなきゃいけないんだ。もう、やめてよ。勘弁して。恥ずかしすぎるよ。そんな嫌味も言いたくなる。この写真だけが僕の写真として彼に保存されているのは気に食わなさすぎる。今の方がすごく綺麗でもっといい写真が撮れるよ。服装もメイクも、身に着けている装飾品だって、今の方がずっといいよ。綺麗だよ。こんなに不細工になんて絶対しない。
彼は「どんな志賀暁子も、いつの志賀暁子も変わらず『志賀暁子』なので」と言ってくれたし、僕の心知らずに「垢抜けちゃってちょっと寂しい」と言っていた。
(写真を撮ってからもう三年が経っていて、しかも僕は進学して大学生になった。加えて、僕の身体的性別は女性だ。大学デビューなんて言葉もあることだし、一番垢ぬける時期だと思う。垢ぬけるだろう、そりゃ!!)
…フォローのつもりだろう、一応。じゃなかったら、天然だ。
過去の自分より今の自分の方が圧倒的に見た目がいいと思う。
当時表現する事が出来なかった自分のあり方を今は分かりやすく服装やメイクで主張できるようになった。
とはいえ。
過去の僕もその時その瞬間を大切に生きていた。
僕は彼と写真を撮ったことさえも忘れていたけれど、彼が消さずにずっとこの写真を持ってくれていたことは価値があると思う。
ダサいし、もうやめてくれというくらいに「残念」なのだけれど。
消したいと思うほどではない。
この過去があってこそ、今がある。
但し。
笑顔なら自分でなんとかするから。
今の自分でも当時と変わらず良い顔で笑えるようになるから。
健やかに笑えるようになるから。
頼むから次対面で会う時にはもう一度一緒に写真を撮ってほしい。あの写真だけが僕との2ショットって事実はしんどい。
過去の僕だけじゃなくて、今の僕とも写真を撮りたいと思ってほしい。
過去の自分も今の自分も変わらず『志賀暁子』だ。
だからこそ、彼には今の僕ももっと好きになってほしい。
過去の志賀暁子と同じくらい今の志賀暁子も魅力的だと思ってほしい。垢ぬけたことが勿体ないと言えないくらいには。(我ながら恨みが深い笑)
とびっきりかっこいい僕の姿で、健やかな最高の顔で笑って、彼ともう一度2ショットを撮るのが今の目標だ。
過去の僕も、今の僕も思いっきり愛したい。
で、他ならぬ彼に、僕の敬愛する友人にも、心から愛してもらいたいと思う。
今はそんな欲望たっぷりの自分をただ見つめている。
ここまで読んでくださってありがとうございました。
あなたに祝福あれ。