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「運命」や「奇跡」ではないけれど

何かの縁がなければ、ここにいるすべての人と出会う事が無かったと思う。加えて、今までの人生において出会った人々も然りだ。
ある意味で、私達人間が想定していなかったもの、突如として現れたかのように感じるものというのはあると思う。何故か。

「出会いは奇跡だ」「運命だ」なんて言葉は世界中に転がっている。そう、例えば、私達が手に取れる小説という物語の中、画面の向こう側の映画やドラマのコンテンツの中。言ってしまえばありがちな台詞、でも、それだけそれに共感する人、夢みる人がいるってことだ。
それは私自身にも適応していて、本当にそうなのだろうとなんとなく自分の頭の中、心の基盤に何故かあった気がする。
人生というのは、あらゆる瞬間の積み重ねで出来上がっていて、それら一つ一つの選択がもう実質「運命」みたいなものだ。
だから、今まさにここにだって「運命」がある、なんて気障な言い回しも、きっとあながち嘘じゃない。そう、思う。

でも、ふと思う。「運命」とか「奇跡」とか、そんな「綺麗事」ではすまない何かを、でも、絶対に自分の想像では作り得ない何かを、自分の努力の向こう側を越えてくる「それ」をなんと呼べばいいのだろう。

私には今、付き合っている人がいる。彼氏とか、恋人とか、パートナーとか、呼びかたはいろいろあるし、日頃だったら多分ジェンダー意識とかのことを考えて、呼びかたにもこだわろうと思うけど、今回は別にどれでもいい。ただ「大切な人」ということで話を聞いてもらえたらと思う。

「神様の平和の中でなら一緒にいられると思います」という本当にそれは告白なのか、交際宣言と言っていいのかと疑わしい文句で付き合った相手だ。(こちらはnoteにもありますので、もしよろしければ…。)嬉しいかと言われるとまた別だけど、個人的には「信仰者」としての自分にあまりにもクリティカルヒットで、すごく大切だなと思っていて、だからこそ、ずっと「平和」を意識しながら付き合う事になっていったなあと自覚がある。
 

さて。

※ここから若干悪口的な描写が続きます。

その人は本当に私と何もかもが違う人だ、と日々思う。頭硬いなとか、融通が利かないな、とか、デリカシーないな、ロマンないな、もしくは、反対に夢みすぎ。あと、控えめに言ってファッションセンスはない。その他諸々、不満はあると思う。ついでにいうと、ほとんど多分趣味が合わない、若干世代が違うせいであんまり共有できる一般的な話題もない。
なんで付き合ってんの?とここまで聞いたら多くの人は思うんじゃないだろうか。私も書いててそう思わないわけでもない。多分、出会った場所が場所だったら絶対に仲良くなれなかったし、友達どころか、多分口も聞いてない。大学の授業が被っていたら、ワンチャン話すだろうか、う~ん、怪しい。

いや、真面目になんで一緒にいるんだ、合わないのに付き合っているなんて、とてもスペックが良いのかなんても疑問が出る人もいるだろう。う~ん、悪くないとは思うけど、別に特別いいとは思ってない。し、多分社会的に見てもお互いそうだ。そういうところを考えて付き合ったりはしていないし、そもそも視野にも入ってはいないと思う。
 

そんな私達だから、性格も当然のことながらあまり噛み合わないし、理解するためには対話は必須で、話し合いは日々常々、細部にまでわたる。
ケンカやすれ違いも一度起これば大ごとだ。実際、一度は破局して、なんだかんだと縁があって、話し合って、復縁したし、今でも日々話し合いだ。
話し合わないとちっとも相手の考えや感覚が理解できない。言い争いして、機嫌が悪いまま、電話を切るなんてこともある。その時には全く仲直りなんて出来ない、むしろしてやるか!!みたいな気持ちになっている。せめて、と寝る前に1人「神様の平和がありますように」と祈る。
そうしたら、翌朝起きるとどこか落ち着いていて、何かに導かれたように、自分の弱さと醜さを自覚して、相手の努力と一緒にいてくれる努力に気づく。こんなにも自分が相手に対して身勝手に振舞っていて、わがままを言っていて、ということに気づく。ちゃんと話そうとしてくれた相手に感謝が湧いて来る。自分は何を当然化していたのだろうと気づく。
あまりに不思議だと思うのは、同じことが相手にも起こっていることだ。そのタイミングはあまりに絶妙で。二人してごめんなさいをして、感謝を伝えあって、また話し合う。お互いに自分から自分の弱さを告白して、向き合って、許し、許される。仲直りが出来て、また話し合いが出来るようになる。具体的な改善をするために話し合う。偶然と言ってしまえばそれまでだけど、偶然というのには回数が多くて、その度にあ、なんかある、と思う。それは間違いなく自分のもの、相手のものじゃなく、どこからか来ている。それは、正に「神様」がくれる平和だ、と思う。
 

神様がいなければ、目の前にいる大切な人を失うのだとこんなにもはっきり分かるってどういうことだ。運命論みたいな綺麗事なんかじゃ、全然収まらない。切なくて、怖くて、汚い現実がそこら中に転がっている。社会は全然甘くないと痛感するし、私自身の姿も大概真っ黒だ。
地元にいた頃、ずっと自分の居場所はここじゃないと思っていた。否定されるような感覚から全力で逃げて、今、ここにいる。それでも今だって多々悩みも困りもあって、世界は全然優しくなってくれない。私自身も社会に戦うので必死で体中とげだらけになっている時も多い。

でも、そういう世界と自分の中、なんの因果か、幸運か、はたまた不運か、目の前にあなたがいてくれる。そのことが不思議で、何でなのかなんて私にはまったくわからなくて、なんなら多分あなたにも分かってなくて、驚いてしまう。どうしてここにいるのだろう、いい意味だと思うけど、と二人で話した記憶はそう古くなくて、お互いにその問いには不思議な感覚のまま、きちんと答えられずにいる。

目の前にいるあなたは、私自身の弱さを、自分のありのままの醜さを隠せない人だ。
世界の中で血まみれになって、想像していなかったことが目の前で展開されていく。今までの常識がすべてぶち飛んでいった先で、自分の世界の中ですべてが崩壊していく。必死に培ってきた社会性なんてほとんどガラクタみたいなものだ。

残ったのは弱くて、とても醜い自分。
ぐずぐずして、全然強くない。一人で立つことさえ怪しい。
でも、そこにあなたは変わらずいて、しれっとボロボロの私を見つめている。何故か「そのままでいいよ」と笑う。何言ってんだこいつ、こんなところ誰にも見せたくなかった。なんでここにいるんだよ、来るんだよと思う。
なんでだよ、と睨みつけても笑う。とげだらけの悪口を言っても笑う。
「嫌い」と嘯いても笑う。「嫌いって正直に言うあなたが好きだよ」と笑う。
とげだらけの自分を抱え込んでくれる。酷くそれが温かい。泣く。

馬鹿なのかな、こんな人がなんでいるんだろう、本当に理解できないなと思う。はりねずみみたいなとげだらけの自分によく向き合ってられるな、傷つくのになんで。抱え込まれた腕の中で、わけのわからない「なんで?」が心の中で積み重なっていく。なんで、なんでと思いながら、あまりの居心地の良さに涙が出てくる。安心する。

この人のことを知ってるって間違いなく言える日なんて絶対に来ないんだろうなと思う。賭けてもいい。例え、いや、そんな予定全くないけど、結婚したって絶対に。

でも、なんとなく「分かってる」。どういう人なのかってことが何故か、なんとなく。それってすごく不思議な事で、でもなぜか今の私にはしっくり来てることでもある。なんかそういうものだ。今まで出会ったことのない何かがそこにある。見たこともなくて、経験したこともきっとない。知らなかった何かだ。だけど、それは今まで自分が向き合ってきた何よりも私にしっくりはまっていて、酷く温かい。
醜くて、弱くて、汚くて、そんな自分を痛いほど自覚するのに、それすら許されて、認められて、腕の中に抱き込まれてしまう。なんて幸福か、なんて不幸か。どちらかなんて分からない。そういういい悪いの話ではないんだと思う。きっと何か判断をつけるべき何かではないのだ。
 

だって、想像もしえなかった、今だってきちんとつかめていない、この自分のものではないと確実に分かるものを、それを、「不思議」と以外になんて呼べるのか。
想像も出来ない考えを持つ、行動をする、そんな人が目の前にいるこの現実を、「神様」の存在を感じずにどう理解しろというのか。
「運命」と呼ぶにはあまりに自分も、相手も醜い、弱い人だと分かる。問題も困難も、互いに山ほど抱えている。だからこそ、衝突もする。
「奇跡」と呼ぶにはあまりに自発的すぎる。自分も相手も一生懸命努力して、向き合っている。きっと他力本願で出来上がった、どこからから勝手に舞い降りてきたものでもない。

だけど、「運命」や「奇跡」みたいに、想像もしていなかったようなことがある。確かに「そこ」に誰かいる。確かに支えられている。不思議だけど、それが事実だ。社会も、経験も、それが何か分かってないけれど、体感が、自分の心が、嘘じゃないと言っている。それは「神様」なんじゃないかと私の心がそう感じる。そう、信じさせられる。

今日も一緒にいられることに感謝をする。平和であれと一人で、二人で祈る。神様がいなければ、きっと私達の関係は一瞬で崩壊する。その時が来たら、お別れなんて一瞬だろう。その時は明日にでも来るのかもしれない。私が、相手が、どちらかが神様にそっぽを向いたらその時点できっときっぱり縁は切れる、そんな気がする。
だけど、同時に。今はそうじゃない。だとしたら、それは、神様と、私と、相手と、すべてが繋がって、そこにあるんだと思う。

綺麗事では全く収まらないけれど、でも確かに今目の前にあるその泥臭い現実の中で感じる確かな温かさを今は大事にしたい。自分の弱さと醜さに向き合って、それすらもきちんと抱えて、あなたと向き合いたい。神様と向き合いたい。
神様がいるならば、私達が共にいる事を導いて、許してくださるならば、祈りつつ、平和を作って生きていきたいとそう思う。

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