生きてさえいれば
今日は金曜日だったので、所属先の火樹銀花にて140字小説を書いた。
書いた作品は、冷静沈着な彼女についての話だ。
この彼女がどうなったのか、という解釈はお任せする。あえて曖昧に書いているので、最悪な終わりも、希望のある終わりもこれを読んだ貴方次第だ。
とはいえ、どうしても一筆書きたくてnoteを開いた。
僕にとって大事なメッセージだからだ。
Twitterでも少しばかり発信したのだが、noteはもう少し詳しく追記する。
「さよならだけが人生だ」とか「メメントモリ(汝の死を忘るることなかれ)」とか。そういう言葉があるのは知っている。
知っているからこそ、永遠のお別れである『死』というものが人間にとって必然であろうこともわかっている。
それでも。
それでもだ。
僕は出来る事なら生きることを全うしてほしいと思う。
願わくば自分で自分の命を捨てるような行動はしないでほしいと思う。
もちろん、それぞれの環境がある。
「死なないでくれ」と簡単に言うこと、覚悟もない癖に、その人の何かを知らない癖に言うことは、残酷だと思う。卑怯だと思う。
ある種、偽善と呼べるかもしれない。
でも、生きる事を優先してほしいと思う。
僕の我儘なのは百も承知で、僕は生きてほしいと願う。
「死」は救済なのかもしれない。
暗く、辛く、厳しいこんな世の中からおさらばできる特権なのかもしれない。
でも、そうは思いたくない。
自分達が生きるこの世界に失望したくない。
苦しくとも、辛くとも、この世界には希望があると信じていたい。
だから、希望があると信じて、共に生きたい。
だから、本当に大事なのは「生きること」だと思う。
仕事を頑張れるあなたは本当に偉いし、かっこいいけれど。
すごいと心の底から思うけれど。
尊敬するけれど。
でも、自分を失ってしまうと思うなら、全速力で絶対に逃げてほしい。
逃げる事を忘れないでほしい。
仕事のような義務、それだけがあなたの人生の全てではない。
絶対にそれだけであなたの価値の全ては決まらない。
本当に大切な事はあなたが生きている事です。
どうか、生きて下さい。
少し前、年の離れた友人と会った。
彼女と一緒に行った本屋で彼女がおすすめの本を教えてくれた。
それは「生きてさえいれば」という小坂流加さんの作品だった。
今の僕にはそのタイトルだけで、その小説が好きになれた。
今の自分に必要な本だと確信できた。
今回のnoteはそこからタイトルを頂いた。
生きてさえいれば、いつか幸せになれるかもしれない。
…なれないかもしれない。
って言いたくなるあなたもいるかもしれない。
そうだね。その通りだ。
でも、可能性はあるんだよ。
生きている限り、可能性は続くんだ。
生きてさえいれば、いつの日かあなたに寄り添える日が来るかもしれない。
隣で笑える日が来るかもしれない。
僕がそうしたいから、生きてくれませんか。
生きてさえいれば、そう出来るかもしれないから。
生きて、共に生きて、いつの日かあなたが幸せであることを祈ります。
どうか、今を生きるあなたに祝福あれ。