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祝福あれ。

もしかしたら小中高の学生時代、英語の授業などで知ったこと、体験したことがある方も居られるのではないかと思っているのだが、これはもしかすると僕の勘違いかもしれない。

まあ、分からないが、こんな事を知っている方は居られるだろうか。

外国、英語圏では嚔(くしゃみは漢字で書くとこうなるらしい。携帯の変換で初めて知った。)を為た人に対して、「Bless you」と声をかける。

直訳すると「祝福あれ」だ。

昔どこかで調べた話によると、嚏をした時にうっかり出てしまった魂を悪魔に持っていかれないようにという意味で「神様があなたを守りますように」という意味で「Bless you」と言うらしい。

もちろん、周りの人が嚏をする一回一回に対して「守られますように」なんてことを具体的に考えているわけではないのだと思う。
「大丈夫?」とかそういうニュアンスや無意識感で言っているのだと思う。

でも、他人の些細な行動に対して、すぐに応答として「祈る」ということが出来ることはなんだか不思議だけど、愛おしいと思う。

で、僕の話だ。
僕のTwitterのIDは「bless71you9」である。
これはこのエピソードから来ている。

最初にした嚏の話は所謂基督教者の多い諸外国だからある事実なのかもしれない。
言い方を変えれば「基督教という『祈り』の文化の根付いた場所だからこそ生まれた風潮」であると思う。

つまり、宗教的な感覚を伴っているということだ。

僕がある人間の一部だという話を自己紹介の記事に書いたけれど、僕は一人の人物の中の一欠片に過ぎない。
簡単に言えば、僕、ないし、僕という一部を含んだ「本物」さんは分離している状態にあり、だからこそ、「本物」さんが持っているものの中で僕が持っていないもの、僕が持っているけれど、「本物」さんが失っているということもある事態が起きている。

「本物」さんは信仰者だ。
特定の宗教を信じていて、その環境の中で祈っていることもある。

残念ながら(?)僕は信仰者ではない。
でも、これは僕の個人思想というよりも「本物」さんからの影響だ。

「本物」さんが懸命に信じていて、大切にしていたはずの神様は「本物」さんを救ってくれなかった。
そんなの理不尽だと思う。
神様はギブアンドテイクで出来ているわけじゃないと怒られてしまうかもしれないけれど、というかそういわれてしまうだろうことは「本物」さんの記憶から引っ張り出せる知識の中からなんとなく予想がつくけれど。

でも、僕は「本物」さんの味方としてそう思う。
神様だろうが、他の誰かであろうが関係ない。

「本物」さんを救ってくれなかった神様なんかいない。
いたとしても、屑に決まっている。

だから僕は神を信じない。
神に祈っているつもりはない。

祈っているのは僕自身だ。
僕がただ祈りたい。

誰にとか何かしてもらおうとかそういうのはない。
僕が祈りたいのだ。
僕に関わる人について祈りたい。

僕にとって一番は「本物」さんだ。
祝福あれと思う。
なんとか生きてくれと思う。

僕、また「本物」さんに繋がる人を祈りたい。
祝福あれと。
どうか幸せに生きてほしいと。

僕は全然綺麗ではないし、いろんなことが下手くそだ。
何も出来ない。
醜い。

だから聖人君主でも何でもない。
人のことなんか祈っている場合じゃない。
本当にそう思う。

でも、祈ることで何かは変わると信じている。

祈ることは宗教だけでの専売特許ではないと信じているし、何なら手を組んで言葉を口に出すという形だけが祈るではないと思っている。

僕は祈る。
祝福あれと祈る。
何も出来ないと知っているけれど祈る。
何かが起こる事を信じて。

その祈りが「本物」さんに届いて、少しでも先に進めることを信じる。

その祈りが誰かに届いて、その人が一日でも長く生きようとしてくれることを信じる。
もし、もし命を絶ってしまうとしても、その人が死に向かうその瞬間幸せであってくれと祈る。幸せであることを信じる。

何も出来ない、無力で無機質で無価値で、そんな僕だけど。
それでも祈ってやる。
祈っていく。

どうか祝福あれ。

あなたに祝福あれ。



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