独り占めするのは苦手だから
独り占めするのが苦手だ。
例えば、お菓子。自分で買っても、周りの人についつい分けてしまう。私はグミが好きなのでよく買うのだけれど、友人達に「食べる?」と聞いてはあげてしまう。逆に周りに「一口ちょうだい」って言われたら、絶対あげてしまう。自分でも食べるけど、時々半分以上が他人に消える。
これはちょっとおかしいんだろうなと思う。
いつもつるんでいる、所謂「いつメン」の一人に「暁子はいつもお菓子分けちゃうよね。自分で食べなきゃ」と言われた。私は「皆で分けた方がいいじゃん」とどこかで思ってしまっていた。それが普通だと思っていた。
ある日のお昼、私は友人達と一緒にクッキーを食べていた。ヨモギと珈琲の二種類の味の穀物クッキー。ちょっと健康志向で、その辺のスーパーとかでは売ってない、ハンドメイドのお菓子。大切な人からのお土産で、あくまでこれは私宛。私が食べることを想像して買ってくれたお菓子だ。
でも、私は大学にわざわざ持っていってしまった。大学の皆と食べたくて。
クッキーの袋を開けながら思う。本当にこれでいいのかなって。
たぶん、良くない…のかもしれない。だって、たくさんあるものならともかく、これは一人分だ。わざわざ分ける必要もないほどの量。私一人でも十分食べきれてしまう量なのだ。
それでも。
そのクッキーを独り占めするのはなんだか心が痛かった。
独り占めしてはいけない気がしていた。だから、いつも通り、友人達と分けて、食べた。
クッキーの送り主はとても優しい人だし、私が友人達とクッキーを分けて食べたことを怒ったり、不快に思ったりはきっとしない。だけど、私はその人がくれた贈物やそこに宿っているであろう気持ちを完全に私のものとしては受け取っていないのだ。
私だけのものとしてはいけないように感じてしまっているのだ。
独り占めすることに罪悪感を持っている。
話は少し変わって。
大分前、元恋人さんとお別れする時に、彼から「まあ、暁子はたくさん友達がいそうだからなあ」と言われた。それの意味するところは「俺と別れても平気でしょ」とか「寂しくないよね」とか、「暁子は自分だけのものじゃなかったし、これからもそういう暁子なんでしょ」ってことだ。
確かに私はよくサークルや大学、他の関わりの友人の話をしていたし、私と彼は同じ大学ではなかったので、私の周りにどんな人がいるかを彼が実際に見たことはなかった。だから「友達がたくさん『いそう』」というような表現になったんだと思う。事実、私の周りにはいろんな個性を持った友人達が少なくない数、確かにいる。でも、友達がいるからって私が恋人さんと別れることをなんとも思ってなかったわけじゃないし、結構この言葉には傷ついた。
同時に、それに躊躇なく肯定出来てしまう自分もいた。
「私は誰かのものじゃないし、私の周りにはたくさんの素敵な人がいて、それもすごく大事だ」って思っていた。恋人さんのためにすべてを捧げるなんてありえないし、私の人生は私のものだし、それは私側からも侵しちゃダメな領域だと思っていた。だって、そんなの「束縛」だし「わがまま」だ。「甘え」だ。そんな「独り占め」を許していいはずがないと思っていた。
でも、やっぱり私は「特別」がほしい。
そんな風に最近思う。
誰かに「他の誰でもないあなた」がいいと言ってほしいし、独り占めを許してほしい。
他の人とは違う、私にしか見せない、知りえない、絶対的領域がほしい。
そう考えてしまうのはずるいことだろうか。
そう考えてしまうのは、誰かを傷つけてしまうのだろうか。
そう考えるだけで、なんだか最近苦しい。
独り占めは苦手だ。
誰かと一緒にふわふわしたまま幸せでいたい。
必要以上に傷つきたくないし、傷つけたくない。
でも、独り占めしてしまいたい。
自分にとって「特別」であるものを自分だけのものにしてしまいたい。他の人に傷つけられたくないし、変えられたくない。他の人とは違うあり方で私とは関わっていてほしい。
葛藤の中、私は誰かを愛したいと願っている。でも、それはきっと無理なんだと、ずっと思っているのはきっと変わらない。
これは私のちょっとした絶望の話。
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