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明日への祈りを。

※この文章は3.11、東日本大震災について綴ります。当時のことを思い出したくないという方、苦しくなってしまう方はブラウザバックをお願いします。僕は傷つけたくて、苦しんでほしくてこの文章は書いていません。

どうか、あなたの悲しみや苦しみが少しでも癒えますように。


僕の出身地は詳しく言わないが、東北の内の一県である。
11年前の今日、体育の授業のドッチボールをしていた僕は、恐ろしいほどの揺れを感じて、怖くなった。先生が大声で皆に指示を出していたのを今もなお頭の片隅に覚えている。

今日は東日本大震災から11年の日だ。
今も各地で祈っている人がいる。

僕は高校生の時に、自分以外の県の被災地に訪れた。
そこで聞いた話はあまりにも痛々しくて、苦しくて、生々しかった。
目の前で語った人が大切な誰かを失くしている、今も見つかっていない、そんな現実は僕にとって本当に痛ましく、苦しくのしかかった。

今も元のような住宅地には戻らない更地の被災地。
かつてここに人が住んでいたとは思えないほどの場所。

あの震災でたくさんのものを失った人がいる。
故郷や家、宝物。
ものだけではない、人さえも失った人がいる。
11年経った今も、自分の家族を探し続ける人がいる。

11年だ。
かつて小学生だった僕も今は20歳になった。
僕も成人して「大人」の仲間入りをした。
これからは僕等が社会を作っていく世代になっていく。

11年という年月は並大抵のものじゃない。
なんなら、僕の人生の半分なのだ。半分よりも多い年月なのだ。
それほどの年月が経ってもなお、人々に影響をもたらす、それが震災というものだ。

地震のような天災は僕達人間ではどうすることも出来ない。
本当にそう感じる。
地震が起こり、海が荒れ、津波がすべてを飲み込んでいく。
なんて恐ろしいことだろう、と思う。

僕自身も震災の経験者だけれど、僕の知り合いたちの中には僕以上の被災を受けた人もいる。
僕はまだ恵まれていた方だと思う。
僕は守られてきたと思う。

こういう風に言うのは変かもしれないけれど、運が良かったと、そう思う。

僕はちっぽけな存在で、何かを変える術をきちんと持っていない。
自衛隊のようにレスキューにも行けないし、政治家や官僚のように政策を出せるわけでもない。
震災の時、僕は9歳。自分のことで精一杯だった。体育館に自分の親が迎えに来てくれるかだけをずっと考えていたそんな僕だ。でも、そんな僕を責められない。自分のふがいなさを知っている。無力さを知っている。

それは今もあまり変わっていない。僕は「特別」じゃない。

でも、僕は11年という年月を過ごしたからこそ思う。僕は僕自身の思いをこうして綴る事が出来る。自分とは違う環境の中で、震災を経験した人、亡くなった方、生き抜いた人を知っているから、その人達について祈れる、祈りたいと思う。

だから、未来のために祈る。
明日のために祈る。

どうか、幸せであれ。祝福あれと。


NHKの復興支援ソングとして「花は咲く」という曲がある。
この曲、実は数年前に歌詞が一部変更されたのだ。

サビの最後のフレーズ、「私は何を残しただろう」。
これは当初、震災での被災者、特に亡くなった人、死者から生者への歌だったから、「残した」という言葉だったのだそうだ。

でも、May. Jさんが企画で何年か越しに再び歌うという時、歌詞を一部改編されたものが放送された。
それが「私は何を残すだろう」だ。

死者から生者ではなく。
生者から生者へ。

僕等は今を生きている。
この先も生きていく。
確かに地震を始めとして天災はいつ起きるのか分からない。いつ命を落とすかも分からない。
分からないけれど、生き抜いていくのだ。

僕達がこの世界で生きる中で、何かを残す。
それが未来の誰かに繋がっている。
未来の”あなた”に繋がって、届いている。

そうあってほしいと思う。
そうあってほしいから、今、懸命に生きたいと思う。

僕は何を残すのだろう。
未来に何を残せるのだろうと問いかけながら生きてみたいと思う。

今日、この3.11という日に、少しでも未来を描く事が出来るような世界へと進みますように。
どうか皆が幸せでありますように。祝福がありますように。

僕はそう祈りたい。



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