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【短編小説】君の世界はどうやら美しく

  20代も後半、目の前に座る君はいつにもましていい笑顔だ。その理由もなんとなくだけど分かってる。いつもよりずっと格式高いレストラン、お洒落な店内は正にプロポーズ向きって言葉そのもので。

   君の服装もちゃんとしたスーツ。いつも以上に頑張ってかっこよくしているんだって伝わってくる。青いネクタイは私の水色のワンピースとも綺麗にはまっていて、誰から見たってお似合いなんだって思う。これから一生一緒にいる『夫婦』としてだって完璧に見えるはずだから。

  だから。

「結婚しよう」ってその言葉さえ、想像通りで。
返事はもちろん「はい」以外にはありえない。「はい」って言った私の手を君が控えめに引っ張って、その手に指輪をはめてくれる。やっと。やっと、こんな私にも幸せが巡ってきた。ちゃんとした家族が作れるし、ちゃんとした人生が送れる。良かった。

指輪をはめた私を見てにこやかに笑う君はすっごく優しくて。そういうところがやっぱり好きだなって思う。

「指輪も似合うね、かわいいよ」

私にかわいいって言ってくれるのは彼だけで。これでいいんだって思う。かわいいなんて、小さい時から誰も言ってくれなかった。

「ありがとう」

いつだって素直になれなくて照れてしまう。照れちゃう私の方を見て、君が嬉しそうに笑った。

「あ~、これでいい報告が出来る!!」

とびっきり嬉しそうにいう君はやっぱり家族のことが大好きなんだなって思う。私が持ってなかった幸せを生まれた時からこの人は持っていて、そういうところが羨ましくて、素敵だなって思ってる。

でも、やっぱりどこか不安になる感覚があった。
あって、だから、ある意味、君がそういったのには納得も出来て。

出来たけど。

やっぱり聞かなかったことに出来ないのかってどっかで思ってしまうんだ。


「ねえ、ご家族に挨拶してもいい?結婚式にも来てほしいし」


顔にひびが入ったかと思った。いや、でも、前にも絶対話してたはずで。

「いや、私の家はいいよ。前にも話したけどさ、家族仲良くなくて」

でもさ、なんて君は続ける。君が困ってるのが伝わってくる。

「せっかく結婚するんだし、いい機会だよ。この機会にお母さんとお父さんも仲直りしてくれるかもしれないし。ほら、皆で楽しくご飯とか出来るようになったら、最高じゃない?」

最高、なんかじゃない。知ってる。ありえない。
あんな人間と一緒のテーブルでご飯を食べるなんて冗談じゃない。

「ごめん、私の家族はそういうの…、無理、だよ」
「なんで無理って決めつけるの?やってみようよ」
「どうして私達の大切な結婚をそんなことに使わなくちゃいけないの?」
「そんなことじゃないよ。大事な事だって」
「私にとっては大事じゃない。もう家族とは縁を切ったの。もう会う気もないの。だから、私達の結婚式は私達のためにやりたい」

君が戸惑った顔をして、これでもかと意味が分からない顔をして、私に向き合った。そして、美しく整ったその口を開く。

「家族って仲が良いに越したことないでしょ?」

何の躊躇いもない言葉に目眩がする。優しくて、それが当然と思っているような迷いのない声が私の頭を金槌で何度も殴り飛ばしていく。

「親なら子どもがかわいいものだよ」

かわいいわけない。私よりも男を選んで、家を出ていったあの最悪なビッチに似た、そっくりな顔をした私が。

「皆喜んでくれるって」

喜んでほしくなんかない。喜んでくれるわけない。あの父親にとって、何よりも大切だった母親がいなくなってから、あの男は何にも喜ばなくなったのだから。

「皆で幸せになろうよ」

そんなの、絶対に嫌だ。あいつらに私のことで幸せになんてなる権利はない。
私の幸せは私のものだ。私自身が作り上げた、私が努力して手に入れたもの。あんな奴らに死んでも渡す気なんてない。

この人間と血がつながっていると思うだけで、自分を殺したくなるこの感情に名前をつけるのならば、それはきっと「殺意」で。自分への失望とか、最悪な憎しみとかそういう部類のもので。死にたくなるってこういうことを言うのであって。
自分が生きているだけで、犯罪者と同じ血が流れてて、それが一生変わらないんだとしたら、それに勝る絶望はないとしたら。死ぬしかこの世界には希望はないとしたら。そんな絶望しか生きている限り自分の目の前に存在しえないとしたなら。そこにあるのは、どこまででも落ちていける暗闇しかないんだ。

この人は。

けたたましいほどの音を響かせて割れたテレビの画面を知らないのだろう。
腕や足に押し付けられる熱い煙草の熱を知らないのだろう。
真っ赤に染まったバスタブを、血の色に染まったカッターナイフの刃を知らないのだろう。
髪を引っ張られて、ぐしゃぐしゃにされる、埃まみれの部屋でなぎ倒されるその恐ろしさを知らないのだろう。
自分の身体を玩具のように遊ばれて、何度も何度も壊されていく感覚を知らないのだろう。
耳が割れて、引き千切れてしまうんじゃないかと思える怒鳴り声を、それと共にやってくる拳の痛みを知らないのだろう。
人の目につくことをことごとく否定させられる傷跡を、もう痛みはなくとも、一生消えないその形を知らないのだろう。

一生、知らないのだろう。分からないのだろう。

そういうことをこの人は、この男はきっと何も分からない。きっとどころか、絶対に分からない。分かるはずもない。分からない。一生。優しいからこそ、きっと分からない。優しくて、恵まれて、愛されて、幸せな世界に生きてきたこの人には、絶対に、確実に、永遠にわかるはずがない。
きっと何も分からない。そもそも分かろうとしてくれない。こんなことを伝えても無駄でしかない。
必死に生きてきた現状も、そこで必死に掴んできたもの全ても、お前には何一つ理解できるわけがない。お幸せな世界に生きてきたから。

あの家から逃げて、やっと幸せになれると思ったのに。やっと、私にも『まとも』が『普通』が手に入ると思ったのに。結局、生まれは全てを決めてしまう。こんな世界で、こんな家族に生まれた私が最初から幸せになんてなれるはずなかった。目の前が真っ暗になっていく気がする。このまま眠って、そのまま起きなければいいのに。こんな結末になるくらいなら、最初から生まれなければよかったし、今すぐにでも死ねばいい。私の人生終わればいい。

君の世界はどうやらひどくひどく美しいようで、私の世界とは違うみたい。
私はきっと、君とも一緒に生きられない。

それを絶望以外の何と呼ぼう。

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