超短編小説「お店」
昨晩書いた短編をアップします。
「お店」 作・よーかん
菜の花の、あの黄色が好きだ。
千葉には菜の花が良く似合う。
平日のこんな天気がいい時間に、菜の花を眺めながら煙草を吸っているオレは幸せ者だ。
「なんて贅沢な。」そんな風に感じる。
空き地をへたフェンスの向こうを、車の行列がノロノロと流れている。
なんで脳味噌という奴は、こう、幸福を憎むのだろうか。ウンザリな野郎だ。毎回ため息が出る。
わざわざ現実に引き戻してくれなくていいものを。
「なあ、灰皿の水、昨日の雨で溢れてたよ。」ドアを押しながら店内に声をかけてみたが返事がない。
どうやらキッチンに下がっているようだ。
奥の壁に掛けられたテレビ画面に、BMXバイクで階段をくだる少年の後ろ姿が流れている。
ゴープロで後ろから写しているのだろうか?どうやってフォーカスを合わせているのだろう。音が消えているからかもしれないが、画面の揺れがまったく気にならない。
サイクロン型掃除機の広告番組が、スピーカーでやけに盛り上がった声を上げている。不覚にもアナウンサーの白々しいタイミングの良さに変な感動を覚えてしまった。
ああいうのは、日本ではプロフェッショナル魂って言うはずだ。
「なんか、叫んだ?」クマチャンが奥から声をあげた。
「ああ、灰皿の水がキノウの雨で溢れてた」オレも聞こえるように声をあげる。
「ああ、バケツに移してくれると助かるんだけど。」
「なんか、ザルがあったから、それで濾して入れといたよ。」
「おおっ、サンキュサンキュ。」クマチャンは何か作っているようだ。
「なんか、いい匂いすんだけど、ナニ?」
店内のラジオが消えて、音楽に切り替わった。
たしかピンク・フロイドのアス・アンド・ゼムだ。
「ああ、新作のお好み焼き系夜食を開発してんだけど、食べる?」
「なんだよ、その新作って?」クマチャンの新作にハズレはない。
「ははっ。それはオタノシミ。」
「ヤバイッ、腹減ってきた。」
クククッと含み笑いしている気配がする。
テレビ画面がユーチューブのホーム画面に戻って、カーソルがクルクルと動いている。
「その、グリルドチーズの映像良さそうじゃん?」
中西部のカウボーイ系ユーチューバーが、重たそうな鉄のフライパンで、グリルドチーズを焼いている写真が見える。
「ダメダメ。今こういうの観ると羨ましくなるだけだから。」
クマチャンのこういう判断はいつも正しい。オレには無いこういう繊細な感覚が、クマチャンの店を繁盛させているのだ。
オモテナシの基本っていうのは、身体感覚と共感力なのだ。
自分にとってナニが心地良いのか、そういうことに無関心なオレには、相手にとってナニが心地よいのか、それを想像する能力がまったくない。
「なあ。」
画面を動くカーソルが止まった。
「オレ思うんだけどさぁ」
チーズが焼ける匂いがする。
「ピンク・フロイドとか昼に聞いちゃうって、夜、仕事する気なくなっちゃわないの?」
クマチャンが暖簾を分けて顔を覗かせる。
「コーヒー淹れたから飲もうぜ。」
オレが暇な時間にしかこの店に来ないのは、このクマチャンの繊細なオモテナシ感覚に感動してしまうからなのだ。
おしまい。
ありがとうございます。