考えてもみたら。
バイリンガルであるということ。
それは多重の人格が個人の中で共存しているとゆう軽度の混乱。
欲求不満。
言葉だけでは表現しきれないNEEDSに日々薄らっと焦燥感。
北野映画が好きなのはなぜだろう。
魔かな?
あの間。
北野映画の中のキャラクター達は、
自分の立場の枠からはみ出た人間性が濃い。
好きなんだよなそうゆうリアルが。
月明かりの下で、
殺人をしてしまった男も、
ベンチに座るとスマフォをチェック。
ジョージアを買って飲んじまう。
手を暖めて。
夜の孤独に震える自分を慈しむ。
漫画ではなかなかそこが描けない。
ヒトはヒトを愛する前に、
独りを楽しめる余裕が必要で、
日々孤独の中激務に追い立てられる作家には、
プライド以外頼れるマジックワードがなくなっている。
なんか、
遠くに、消防車のサイレンの音。
近づいて遠ざかる。
国道沿いのパチンコ屋でまた何かあったか?
独りきりでいようと、
ヒトに囲まれていようと、
どちらであろうと、
対話の相手はいつも自分。
それを知らないキャラクター、
それに無自覚なキャラは、
単純に薄い。
まあ、
濃く醜いより、
薄くとも、
軽快で美しいキャラを他者は好むもの。
ましてや、それは読まなくても世界は回る、たかがエンタメ。
噂を共有できる、
噂にもなりゃしない、
未完成なエンタメ。
サーカスにはお弁当持参で。
昭和の母の朝は早い。
REIWAのママの夜はスマホだより。
アプリで子育て。
パパまたパチンコ?
と、独身50年、ネコ好きなご近所さん。
優しさとかそうゆうのかえって迷惑だなんて、
そうゆうの理解しているオンナは、
男が群がり独り身ではいられない。
オトコなんてシャボン玉。
ありがとうございます。