SF小説「ジャングル・ニップス」2−11
ジャングル・ニップス 第二章 オン・ザ・ロード
エピソード11 キンポーゲ
「ピザな。」
エースケは後ろを振り返り、マウンテンバイクで通り過ぎる女性に手を上げた。
おはようございまぁすと言いながら通り過ぎる女性を、ショーネンはいい感じだなと思った。
「うん。オレにはどっちも油っこかったけど。薄っぺらいニューヨークのがオレは好みかな。まあ食べ行ったのはインド料理ばっかだったけどよ。」
エースケはゴムを外すと、器用にポニーテールを締め直した。
「それにしても、オマエ、本物のオンナ好きだよな。ミホちゃんがちょくちょく出てっちゃうのスゲエわかる。」
このヒト、急に何を言ってんだ。
「ははっ、いや、旅好きなだけです。まあアイツは。でもなんつか。オレ、エースケさん、あのステンドグラスの前で、声の秘密が分かったって、あの話、けっこう好きです。」
ショーネンはそう言って誤魔化した。
「そうか。どうせ、酔っ払うたびに何度も話しているんだろうな。」
ショーネンは少し笑って煙草を吹かした。
「シカゴに朝ついて、次の日か。道も広くて、オレにはなんかニューヨークより綺麗な街に見えたよ。部屋にいたらまずいの分かってるから、とりあえず美術館だなって。有名だしな。美術はもう、あんま興味なくなっていたんだけどよ。」
ショーネンは本でみせて貰ったシャガールの青いステンドグラスを心に想い描いた。
「それそれ。写真では知ってたんだけど。実際に見たらすっげえ良いんだよ。シャガルは日本でも見てたし。シャガル好きな人多いしよ。だかっらって言うのは変だけど、別にどうとも感じていなかったんだよ。」
シャガルって言い方を、ショーネンはアメリカっぽいなと思った。
「エースケさんが当時、好きだった画家って誰ですか?」
「誰だろ?当時は?そうだな、大友克洋とか、メビウスとかか。」
本気とも冗談ともつかない答えで誤魔化された。
「誤魔化してねえけど。まあ、いいじゃんかそんなの。でも、あのステンドグラスの前にボーっとな。半日ずっと、前に立っていられたよ。ざっと、近代絵画回って、ああやっぱいいねなんて思ってたんだけど、あれは別だったな。」
川の上空を首が長い鳥が飛んでいる。
「あれはアオサギだよ。気持ちいいだろうな、あんな風に飛べたら。」
日本に似合わない鳥だなとショーネンは思った。
「うん。結構な時間、ステンドグラスの前に立っていた。そしたら周りにさ、中学生くらいのが、遠足かなんかで引率されて、二・三十人来て、大声で美術館の係員が説明を始めやがんの。ステンドグラスには一枚づつ意味がありまして、みたいにな。あのガキども、係員の周りの数人以外は誰も聞いちゃいねえよ。キャーキャー友達とお喋りしてんだよ。」
たしか、シャガールはアメリカに亡命したユダヤ人だ。
「そう、そうゆう説明。そうだな。それで、あのステンドグラス、アメリカ・ウィンドウズっていうんだけど、何が描かれているかパッと見わかんねんだよ。ちょうど、ヒトの夢の中を覗き込んでいるような感じでさ。なんだろうって、ディテールに眼を向けて読まないと分かんねえんだよ。ガラスなのに色のグラデーションあるし、刷毛の後とかバンバン残っていて。あれどうやってんだろうな。ゴリゴリって感じに鉛の枠で自由に区切られていて、でも、全体は繊細なんだよな。」
ステンドグラスの前に立っている若い頃のエースケの姿をショーネンは想像してみた。
「でも、前に立ってるとさ、気持ちいいんだ。綺麗だとか、寂しいだとか、感情は沸かなかった。うん、そういう気持ちにはならなかった。気持ちよかった。静かでな。静かで広くて、気持ちよかった。楽な気分っていうのかな。」
この話を聞くたび、シカゴに行ってみたいと思ってしまう。
「うんオレも、もう一度、行ってみたいよ。修復したらしいし。えっと、だから、つまりな。周りの声じゃないんだよな。どんなにデカイ声が頭に響いていてもよ、静かな場所はあんの。中学生がこの自由の女神、子供の絵じゃんとか笑っていてもよ。青い光を眺めていた時、周りのガキとか先生とか美術館の係員とか、そういう連中の言葉も、感情も、イメージも、オレの頭にはビンビン響いていたんだけど、静かだったわけだよ。静けさをオレは見ていていて、ノイズはそのままなんだけど、静かなんだよ。で、ふと、なるほどなあって。そうか、なるほどなあってな。それで、マチコさんの顔を思い出しちゃって。なんかもうダメなの。涙がボタボタこぼれてきてよ。」
ヘヘッと笑うエースケを見て、ショーネンは頷いた。
「でさ、ヒクヒクやってたら、肩に手を置かれて。見たらあの係員がよ。オレの涙に感動して、自分まで泣いてティッシュ差し出してんだよ。で、よせばいいのにまた、先生がガキどもに拍手させやがって。オレを囲んで、ワーッパチパチパチなんてな。カッコ悪いったらありゃしねえよマジ。もう、しょうがねえからよ、シェーッてポーズしたら場内大爆笑よ。」
エースケはカラカラと笑いながら、サングラスを出し、シャツで少し拭くと、ユックリとかけた。
「こういうことを話すときは、やっぱサングラスかけてないとダメだよな。」
「煙草をふかしていたら、サマになるんすけどね。」
ショーネンが茶化して煙をはいた。
「バーカ。そんな臭くてみっともねえもん、とっくの昔にやめたよオレはっ。」
エースケが蓋を取りお茶をグビリと傾ける。
「ヤスオもオメエも臭くてしょうがねんだよ、まったくよう。令和の新時代が始まったってのに、なんでオメーらは二十世紀のまんまなんだよ。」
これは何言ってもダメだな、そう思いショーネンが少し笑った。
「笑って誤魔化してんじゃねっての。」
エースケが愉快そうに言い、頭を掻く。
「まあ、要するによ・・・。頭の中の声は、聞くことも聞かないことも、コツを掴めば、どっちも出来るんだよ。理解るか?ショーネン。」
ショーネンの脳裏に何かが映る。
青いビール瓶に黄色い野花が活けてある。
「綺麗だろ。」
ショーネンが目を閉じる。
「そのボトルを何十枚も描いたよ。」
ショーネンが頷く。
「ウマノアシガタって花だ。」
無数の野鳥の声が青と黄色に溶け込んでいく。
「キンポウゲ。毒がある。オレなんか好きなんだよ。」
毒があるように見えない。
「オマエはね、自分の声に反応しすぎ。ゴチャゴチャ考えてないで、たまにはステンドグラスの前にボンヤリ立ってみ。」
どう答えていいか分からなかった。
「分かんねえなら、そのままでいいじゃんか。」
ステンドグラスの静かな光。
オレの頭はいつも声ばかりだ。
キンポウゲと鳥の声。
オレは自分の声のせいで何も見えていない。
いつも屁理屈ばかりで何もしてない。
そうだ、気楽でいいんだ。
こんな風に。
こんなに青い瓶は、冷たくて温かかったのか。
「つめたくって、あったかいだぁ?」
エースケの歪んだ顔を見て、ショーネンが大笑いした。
だめだ。
ああ、ヤバイ。
「冷たくって温かいって、いくらなんでも、オメそりゃねえよ。」
そんなことを言いながら、エースケは立ち上がって歩き去った。
マジヤバイ。
だめだ。
モーレツにヤバイ。
オレはなんで泣いているんだ。
おしまい。
☆
ジャングル・ニップス第二章、オン・ザ・ロード、完。
第三章につづく。
ありがとうございます。
一曲。感謝のしるしです。